一度、二度、三度正しい!

人間というものは、口では言えないほどしばしば嘘をつく。しかしそのことをあとから考えない。そんなことがあるとは一般に信じない。 曙光 302

現在最多PVでお馴染みの「すぐにお金を借りる人」は、何かでお金が入用だとしても、その焦り、その問題がお金を借りることによって解決した場合は、お金を借りたことを忘れます。お金を借りてしまう人の特徴は、参照先をご覧ください。

そして、油断していると金銭感覚というものは周りの人から少しずつ影響されてしまいます。家族や友人の中にギャンブルなどをする人がおらず、自分はギャンブルをしないとしても、勤め先の人たちがみんなするような人なら、自分もその方向に走ってしまう可能性は大いにあります。

「自分は大丈夫だ」

と、自分を過信している人ほど危ないでしょう。

周りからの影響

「自分は借金してまで浪費などしない」と、なにか明確な理由があるならまだしも、どちらかというと無属性で「考えたことはないが、あまりよくなさそう」くらいの感覚だと、周りからの影響で自分もそのような人間になってしまうことがあります。

金銭感覚のみならず、人が何かするだけで、いや、特に行動として何もしなくても、ただ生きているだけで、誰かに影響を与えています。また、通りすがりの人であっても、たまたま入った店の店員さんでも、少なからず自分に影響を与えています。

目に入ってか耳から声が入ってかはわかりませんが、相手を認識しているのだから相手は自分の意識に入ってきています。

その影響は非常に微細なものかもしれませんが、必ず影響があるでしょう。それを無効化できるのは、自我の錯覚の領域から脱した人たちだけです。

嘘をつくつもりがなくても

そういうわけで、いくら自我があると思っていても、時間という解釈を保持しているということは、変化があるということを嫌でも認めているはずです。では、そこにどういう理屈で「普遍的な部分」を説明できるのかが不思議です。

嘘をつくつもりがなくても、お金を借りた時にはお金を返すつもりでも、借りた瞬間から、借りる前の自分とは違う自分になっています。借りる動機になった解決すべき対象が解決するという道が出来たのですから、焦りが安心に変わります。焦りの原因が不安か欲かはケースによって違うでしょうが、それを解消する手段としての「融資を受ける」というやり方です。

また、お金を借りた時には返す心づもりが本当にあったとしても、環境の変化で違う自分になり、結果的に宣言したこととは違う方向に行くことがあります。

「なぜ心を閉ざすんだ!」
「教えてやろうか?」

以前、勤め人時代に「おまえは心を閉ざしている。どうして和の中に入ろうとしないんだ!なぜ心を閉ざすんだ!」と言われたことがあります。

「心をオープンにしない」ということではなく、「心を護っていた」のです。別に自分の情報を開示することはいいのですが、その人達からの影響から、自分の意識を護っていたということです。

意図的に周りからの影響を防いでいると、結構疲れます。しかし気を許すと相手に影響されていきます。自分では大丈夫だと思っていても、例えば一年、二年と月日が流れた時に振り返れば、その人達からの影響が身に沁みてわかるでしょう。しかしそれからでは元通りにすることが、より困難になります。だからなるべく欲や怒りに満ちた人たちとの付き合いはしない方がいいということです。

つまり答えは簡単です。

「教えてやろうか?」の答えになります。

お前らから影響を受けてしまうと心が汚れるんだ。

たったそれだけのことです。

一度、二度、三度正しい! 曙光 302

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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