過ぎ去りし豪雨に捧ぐ

過ぎ去りし豪雨に捧ぐ

(2008年06月09日02:55) 俺も、空飛んでいいか。 機械を使うと、機械に気を使うから嫌なんだ。 誰に可愛がられなくても、一羽の猛禽がいい。 勇猛に凛と立ち、時に大空と一体になる。 全てが鳥瞰図に見えてもいいだろう。 醜さも憂いも傍観しようじゃないか。 戯言はもういい、御託も聞き飽きただろう。 雨音が漏らす吐息に、その誘惑に溺

» 過ぎ去りし豪雨に捧ぐの続きを読む


tune

tune

(2007年04月10日04:17) 僕はよく歩く。 なので通りがかりに古本屋などがあると迷わず入る。 20冊ほど抱えて出てくる。 そんな風にして生きているものなので、部屋にはまだ読んでいない山積みの本がある。 図書館にありそうな本はあまり買わない。 でも新刊も買わない。 最新作が良作とは限らない。 幾ら目利きになっていったとしても十

» tuneの続きを読む


若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

若き日のbossu 2005年12月~2006年1月

養子のうさぎが亡くなってからというもの、彼と出会う前の僕と今の僕がつながってきたような感覚に陥っています。 そう言えば、本ブログは僕の集大成サイトにもかかわらず、まだ集めきっていない思考の痕跡があることを思い出しました。本当に一部のものは本ブログに移管してありますが、なるべく本格的にちょろちょろ移管しておこうと思います。 ということで

» 若き日のbossu 2005年12月~2006年1月の続きを読む


神の誠実

全知全能であり、しかも自分の意図がそれから想像されたものによって理解されることを配慮さえしない神、― それは慈悲の神であろうか?数かぎりのない懐疑と疑念を、人類の救済にとって危険なものでないものであるかのように、数千年も長いこと存続させる神、しかも真理をつかみそこねた場合には、再び最もおそろしい結果を約束する神が?真理を持っていて、人

» 神の誠実の続きを読む


あらゆる謙遜の限界

不合理なるがゆえに私は信じると語り、その理性を犠牲に供するような謙遜は、おそらくすでに多くの者がなしとげたであろう。しかし私が知るかぎり、それからともかく一歩だけ離れていて、私が不合理なるがゆえに私は信じると語る、あの謙遜をなしとげた者はいない。 曙光 417 あらゆる謙遜(けんそん)の限界ということで、謙ることについてでも触れていき

» あらゆる謙遜の限界の続きを読む


最悪の敵はどこにいるか?

自分の仕事を立派に果たすことができ、そのことを意識している者は、その敵に対して大ていは和解的な気分を抱いている。しかし、別個の立派な仕事をもっていることを信じていながら、それを守ることに巧みでないということが分かると、― 自分の仕事の敵対者に対する怨恨の念にみちた和解できない憎しみが生まれる。― 各人はそれに応じて、自らの最悪の敵がど

» 最悪の敵はどこにいるか?の続きを読む


貴族の将来

高貴な人々の挙動は、彼らの身体の中で、絶えず力の意識が魅力的な演劇を演じていることの表現である。そこで、貴族的な風習の人間は、男性であれ女性であれ、さも疲れたようにして椅子に腰を下ろすことが嫌いである。 曙光 201 序 先日の投稿「貧困に耐える」で触れた貧乏マインドの反対にあるのがこうした貴族的な風習です。「さも疲れたようにして椅子

» 貴族の将来の続きを読む


孤独な人々に

われわれが他の人間の名誉を世間の目の前で大切にするのと同じように、独言を言うときにも大切にするのでないならば、われわれは行儀の悪い人間である。 曙光 569 孤独な人々と独り言、ということで、稀に誰に話すわけでもなく一人でブツブツ言っている人について書いていきましょう。 僕は昔から変な人が好きです。およそ誰からも相手にされていないよう

» 孤独な人々にの続きを読む


愛の治療法

相変わらず大ていの場合愛にはあの古い荒療治が効く。愛し返すことである。 曙光 415 愛の治療法ということで、冷めた男女の治療法についてでも書いていきましょう。 冷めた男女の治療法を求め、冷めた関係の修復や復縁を切に願っているというケースもよく見られますが、たいていはその執着によって関係修復や復縁とは逆行した流れになることがよくありま

» 愛の治療法の続きを読む


貧困に耐える

貴族の素姓の大きな美点は、その素姓が貧困をよりよく耐えさせることである。 曙光 200 貧困と貧乏マインドは相関関係どころか因果関係ですらあります。 寄付をすると金持ちになる、というようなことが囁かれる場合がありますが、問題はその行動ではなく、その行動時のマインドにあります。 実際の行為行動よりもその時の精神状態の方が重要です。 貧乏

» 貧困に耐えるの続きを読む


利己主義対利己主義

利己主義対利己主義と、これはまあ面白みのあるタイトルです。 社会の中で議論されているような題材のことは、概して利己主義対利己主義で、社会目線の議論の中で、より優れた理論を武器に結局他人を説得しようとしているものにしかすぎません。 もし、「何が正しいか?」ということに対して思索が動き出したなら、次のように考えることをおすすめしておきます

» 利己主義対利己主義の続きを読む


詩人と鳥

不死鳥が詩人に、灼熱して炭になろうとする一巻を示した。「驚くな!」とそれは言った。「これは君の作品だ!それは時代精神を持たないし、いわんや時代に逆らう人々の精神などは持っていない。従ってそれは焼かなければならない。しかしこれはよい徴候である。多くの種類の曙光がある。」 曙光 568 ここで曙光という言葉が出てきましたね。 さて、詩人と

» 詩人と鳥の続きを読む


この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!

他人たちに対する愛着と配慮の衝動(「同情的好意」)が現在の二倍の強さになるとすれば、地上では全く耐えきれないであろう。日々刻々、各人が自分自身に対する愛着と配慮からどんなに数々の愚行を犯すか、またそのとき彼がいかに耐えがたいものとみられるかを、まあちょっと考慮するがよい。 曙光 143 前半 人に止められてでもやってしまうこと、それが

» この衝動が荒れ狂いさえすれば、禍いなるかな!の続きを読む


寝たきりうさぎとの過ごし方

先日の「うさぎの死 さようならわが息子よ」で予告しましたとおり、「寝たきりうさぎとの過ごし方」について書いておこうと思います。何度か斜頸(しゃけい)症状が出ていましたが、10歳半の高齢うさぎだったため、最終的な死因は老衰だったと思います。 うちのうさぎは、「神経症状を抑えるステロイドの効きめが限界に来たようだ」ということで、片足不随に

» 寝たきりうさぎとの過ごし方の続きを読む


不殺生戒と人を殺してはいけない理由

不殺生戒(アヒンサー)と人を殺してはいけない理由、という感じで、生き物の命について書いていきます。 戒めとしての不殺生戒(ふせっしょうかい)をただの戒めとせず、全ての生き物に対する不殺生について、その本質と不殺生戒の本意について書いていきます。また、不殺生戒と合わせて「人を殺してはいけない理由について」も書きますが、もちろん人だけでは

» 不殺生戒と人を殺してはいけない理由の続きを読む


うさぎの死 さようならわが息子よ

寝たきりの要介護状態となり、実家の僕の部屋で家族総出で介護を続けていましたが、本日早朝前、養子のうさぎが亡くなりました。 夏頃から片足半身不随となっていましたが、マッサージなどで復活したり、また具合が悪くなったりという感じを繰り返していました(マッサージでうさぎの斜頸&片足不随を治す)。 その後完全に立てなくなったのは今年の8月13日

» うさぎの死 さようならわが息子よの続きを読む


共感

他人を理解するために、すなわち、彼の感情をわれわれの内面で模像するために、われわれは実際しばしば、彼のしかじかの一定の感情の起因を尋ねて、たとえば、なぜ彼は悲しんでいるのか?と問う。― そうすると同じ起因にもとづいて自分でも悲しくなる。しかしそれよりもはるかに普通であるのは、そうしないで、感情が他人において及ぼしたり示したりする結果に

» 共感の続きを読む


罪としての懐疑

キリスト教は円を完結するために全力を尽くした。そして懐疑はすでに罪であると告白した。人は理性なしで、奇蹟によって、信仰の中に投げこまれるべきであり、さてそれから信仰の中を、最も澄み切って明白な活動舞台にはいったように、泳ぐべきである。 曙光 89 前半 「懐疑はすでに罪である」という構造は、カルトを含め世界中の宗教によくありふれている

» 罪としての懐疑の続きを読む


自発的な盲人

ある人物または党派に対する、一種の熱狂的で極端な献身がある。これはわれわれがひそかにそれらに優越感をもつこと、われわれはそれらのために自分に不平を鳴らすことを示す。われわれの眼があまり見えすぎた罰として、われわれはいわば自発的な意志で自分を盲目にするのである。 今年の6月に僕は目が日に焼けて、いわゆる雪目(紫外線性角膜炎)になりました

» 自発的な盲人の続きを読む


われわれの方が高貴である

忠実と、寛容と、名声への羞恥心。この三つがひとつの心情に合一すると― われわれはそれを、貴族的、高貴、高潔と呼び、これによってギリシア人を凌ぐ。 曙光 199 序 「高貴」という字を見ると、どうしても10代の頃にオールディーズライブハウスで見かけた「軽快にステップを踏む髭のおっさん」を思い出してしまいます。 「こうしたものの嗜みもある

» われわれの方が高貴であるの続きを読む


戦場で

「われわれは物を、それが値する以上におもしろく考えなければならない。ことにわれわれは長いことそれを、それが値する以上にまじめに考えてきたのだから。」― 認識の勇敢な兵士たちはこう語る。 曙光 567 真面目なことはいいのですが、歴代の偉人とされるような人々をよくよく観察すると、本質に対して真面目であるだけで、社会的には不良だった人が数

» 戦場での続きを読む


偉大な慈善家ルター

ルターが及ぼした影響の中で、最も意義があるものは、聖者たちに対し、キリスト教の観想的な生活全体に対して、彼が喚起した不信にある。それ以来はじめてヨーロッパで、非キリスト教的な観想的な生活への道がひらけ、世俗的な活動と世俗人に対する軽蔑が制限された。 曙光 88 序 ここで言うルターは、もちろんマルティン・ルター(Martin Luth

» 偉大な慈善家ルターの続きを読む


公私の告発者

告発し審問するすべての人をよく観察せよ。― 彼はその際自分の性格を露呈する。しかも、その犯罪を彼が追跡している犠牲者の性格よりも劣った性格を露呈することが珍しくない。告発者は、ある犯罪あるいは犯人の相手方は必ず元来よい性格でなければならぬ、またはよいとみとめられなければならぬ、と少しも悪気なしに考えている。― そこで彼は勝手気ままであ

» 公私の告発者の続きを読む


倫理的な奇蹟

倫理学という科目がありますが、何だか哲学とごっちゃにされていたりしつつ、「誰々の〇〇という思想はどういうものか?」というお勉強の類に終わっているのが非常に残念だと思っています。大学の学部に関しても、海外では哲学部というものが結構あるそうですが、日本では文学部哲学科という省庁で言うところの庁くらいの位置付けになっているようです。 義務教

» 倫理的な奇蹟の続きを読む


安価に生きる

最も安価で最も無邪気な生き方は、思索家の生き方である。なぜなら、単刀直入に言えば、彼は他の人々が軽視したり残したりする事物をこそ、最も多く必要とするからである―。 曙光 566 序 「安価に生きる」という感じを見ると、思索家は節制して生きるというような感じにも見えそうですが、楽しむという点で安価に生きるという点で捉えることもできます。

» 安価に生きるの続きを読む


序列をその国民に与える

多くの偉大な内面的な経験を持ち、精神的な眼でそれを見つめ、見渡すこと― これが文化人たちを作り出す。彼らがその国民に序列を与えるのである。フランスとイタリアでは、貴族がこれを行なった。貴族がこれまで一般に精神の貧困者に属していた(おそらくもはや長いことではあるまいが)ドイツでは、司祭や、教師や、彼らの子孫がこれを行なった。 曙光 19

» 序列をその国民に与えるの続きを読む


「今」に集中することと今をスタートとすること

「今」に集中することと今をスタートとすること、ということで以前にサイト内検索で大人気だった「今  集中」というようなことについて、哲学カテゴリとして少しだけ書いていこうと思います。 「今ここに集中する」みたいな感じで、欧米でも流行っているようですが、あの手のものは所詮と言っては何ですが、「フィットネス代わり」に瞑想を取り入れているとい

» 「今」に集中することと今をスタートとすることの続きを読む


威厳と無知の同盟

そうだ、われわれの無知と、知識に対するわれわれの渇望の乏しさとは、威厳として、性格として、肩で風を切って歩くことを見事に心得ている。 曙光 565 文末 威厳を欲することはありませんが、社会の中で過ごす場合は、威厳がモノをいう時があります。それは蔓延する体育会系思想、儒教思想的なものの影響が大きいでしょう。こうした威厳のような権威性は

» 威厳と無知の同盟の続きを読む


啓蒙主義に対するドイツ人の敵意

過去のものの完全な、また最も究極的な認識という外見のもとに、認識を一般に感情の下に押さえつけること、そして― 自分自身の課題をそのように規定したカントの言葉を借りていうと― 「知識にその限界を示すことによって、信仰に再び道をひらいた」ことは、決して少なからぬ一般的な危険であった、ということである。われわれは再び戸外の大気を呼吸しよう。

» 啓蒙主義に対するドイツ人の敵意の続きを読む


経験のすぐそばで!

大人物たちもまた彼らの五本の指幅の経験を有するにすぎない。― そのすぐそばで彼らの熟慮は止む。そして彼らの無限の真空と彼らの愚鈍とが始まる。 曙光 564 「もう一度ゼロからやり始めたい」 稀にそんなことを思うことがあります。それは過去に遡って「やり直す」という意味ではなく、違う分野でもう一度初心者から這い上がるというような感覚を味わ

» 経験のすぐそばで!の続きを読む


by bossu

to top