カテゴリー別アーカイブ: 特別企画

特別企画

先に弁明したほうが負け

日常、社会の中では「先に弁明したほうが負け」ということになっているのか、「明らかに負けているのに非を認めず強気」というような人を見受けることがあります。 そうした場合だけでなく、「気持ちを汲み取ったら負け」ということなのか、何があっても意味不明の毅然さを保つ人たちもいます。 その代表例は、外資系企業であり、時価総額ランキング上位のIT

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白っぽい、頼り切った微笑

白っぽい、頼り切った微笑には美しさを感じたりしますが、そうした笑みだけに翻弄されてはいけない場合も多々あります。 入院中などは一番わかりやすいですが、何かしら悲惨な出来事があった後などに見られる「白っぽい、頼り切った微笑」は誰しもが見せるものでありながら、その美しさに感化されていると、追々苦しさが生じてしまうことがあります。 ― 先日

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駅のトイレットでは

駅のトイレットでは

駅のトイレットでは、様々な方々の日常動作の癖を観察することができます。ちなみにハイカラにトイレットという表現をしているわけではなく、原文のまま故にトイレットという言葉を用いています。トイレでいいのですが、笑う月に倣うようにあえてトイレットで統一しておきましょう。 さて、男性用トイレットにおいては、小水コーナーにて様々な放尿の仕方を観察

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扇子のように折りたたみ可能な印象

扇子のように折りたたみ可能な印象のものの代表例は、エリマキトカゲ理論であり、物理的な大きさによる威嚇を無意識的にしている人たちといったところでしょうか。 羽を閉じても開いても本来の物理的な質量は同じですが、羽を広げた場合、主に面積的に空間を占める割合が広くなるというのが扇子です。 威嚇のみならず、異性へのアピールとして体を大きく見せる

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弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている

「弱者への愛には、いつだって殺意がこめられている」 と、まあいかにも芥川賞作品などでありそうなテーマ、という感じのフレーズです。 可愛がられること、甘えること、すがることへの憎悪、その裏にある我慢や奮闘といったものもありそうなものですが、弱々しさの象徴として、自分の中の弱さの投影、そして破壊というようなものも込められていそうな雰囲気も

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しだいに空洞化していっているのだろう

趣味というほどのものではないのですが、一応旅に出た時に、記念にと収集しているご当地新聞集めという習慣があります。 ご当地新聞を買う時か、何かの待ち時間で著しく暇な時くらいしか新聞を読む機会がないので、そうした時には一応全ての記事に目を通すことにしています。 するとだいたい社会面あたりに、社会学者と誰かの対談とか著名人の論説のようなもの

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誰もが狼狽を隠せない

一触即発の緊張感や焦燥感から、狼狽してしまうということもありますが、ズレすぎている人に出くわした時の狼狽というものもあります。 言葉遣いなどにやたらに敏感な京都という土地柄では、そうした狼狽に関して他エリアよりも出くわす頻度が高いというようなことを思っています。 20歳くらいのときの対バン相手のお話ですが、事あるごとに言葉尻が京都にそ

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苛立たしげに、素早い会話

何かしらの理由でカツカツになっている時、悠長な人を相手にすると苛立ったりしてしまうことがあります。苛立たしげに、素早い会話を繰り広げるときは、どちらか一方、もしくは両方が何かしら急いでいたりする時や苛立っている時です。 仕事などで疲れが溜まってきている時などは顕著ですが、それ以外にも話のテンポの差や情報差なども苛立たしげな素早い会話の

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掘割を這上り、道端に立った

掘割を這上り、道端に立った

中学生の頃、同級生とよく自転車で旅立ったりしました。平日の夕暮れ時は近所をぶらぶらという感じですが、休みの日、特に春休みや夏休みの時は結構な頻度で旅に出たりしました。 ある夏、ジーパンマニアである一人の同級生が、少し離れた場所にあるジーパン屋に行こうと誘ってきました。 同級生たちと三人で向かったのですが、スマートフォンなどで地図を参照

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痩せ細った体

対象が人であれ動物であれ、かつてがっしりして元気だった者が痩せ細っていく姿を見るのは辛いものがあります。痩せ細った体は、ただそれだけで、それを見る者に何かしらの侘しさをもたらしたりします。 養子のうさぎも、寝たきり時には日に日に体重が低下していき、一番がっしりしていた頃と比較して、最後は体重が半分以下になっていました。 痩せ細った体を

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断末魔のあがき

断末魔のあがきということで、「悲惨な出来事とあがき」について触れていきましょう。世の中では突発的な被害というものもありながら、悲惨そうに見える人もだいたいは「なるべくしてなった」という感じがしてしまう時があります。 悲惨な人だけでなく、うまくいっている人も、後に振り返り全体の流れを俯瞰してみると、やはり「なるべくしてなった」という感じ

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気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

気のせいのようでもあるし、事実のようでもある

それが本当の真実であるということを証明できないようなタイプの主観的な感想については、それが妄想であれ「何かの象徴」として表現されているものなので、よほどの暴論でない限りそれほど問題にはしていません。 「気のせいのようでもあるし、事実のようでもある」という感想を持つしか無いような、巷で言う心霊系のお話については、「見えたのだから見えたの

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セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服

日中の公園に行くと、「セールスマンや集金人などが、手摺にもたれて一服」という光景をすぐに発見することができます。 「誰がそんなに自販機を利用するのだ?」と思うほどに公園周りには自販機がありますが、なんだかんだですごいペースで中のドリンクが消費されていっていたりもします。 まあ売れ筋は、よく言われるようにお茶と缶コーヒー、それに水あたり

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選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない

選ぶ道がなければ、迷うこともない、ということで、やることが決まっている場合は脇目も振らず突き進むことができるので、事がうまい具合に運んだりします。 もちろんその方向が誰かに恣意的に設定されたものであるならば、ロクでもないことになるのは明白ですが、複数の選択肢や可能性があるゆえに迷ってしまうと、足踏みしてしまうことになりかねないというこ

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周旋屋

斡旋ならまだしも周旋という言葉は、この近年では聞き慣れない感じがしますが、「笑う月」に出てくるように、昭和の頃は周旋や周旋屋という言葉それほど珍しくもない感じだったようです。近年ではあまり耳しない「細君」みたいなものでしょうか。 周旋は売買や雇用の「仲介」というよりも「立ち会い交渉」という意味合いがありますが、「間に立って世話をする」

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何処に置いておくつもり

「何処に置くの!」というようなフレーズがありますが、母を筆頭にそうした言葉を今まで何度も投げかけられたことがあります。 あまり物を買ったりしない傾向にありますが、「何処に置いておくつもり?」ということで、大型のものを急に持ち帰るということがたまにあります。 大型の物ということでなくても、養子のうさぎも相談なしに養子入りしてもらいました

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年寄りじみた笑い

加齢に伴い爆笑することが減っていき、年寄りじみた笑いへとシフトしていくような気がします。 それはかつて同様のことを経験したというような耐性的なものが出来上がっていくことが要因となっていたり、多様性を受け入れる感性が磨かれ、笑うという反応をしなくなるというようなことが要因となっているのでしょう。 年寄りじみた笑いとまではいきませんが、十

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宅地造成で新しい道

世の中には一見不可解な構造や状態に見えるものがたくさんありますが、社会生活の中でふと思うそれらは、結局税を含めた法律やお金的な合理性などが絡んでいたりします。 結局割に合うか合わないかとか、許認可や税の関係などによって、傍目からは不可解な構造になっているもの、不可解な形で放置されているものなどがちらほらあったりします。 ということで「

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鞄を持たずにいれば

本能的な「保存・貯蔵」の意図が反映されているのか、女性というものはほとんど必ずと言っていいほど鞄を持っています。鞄を持たずにいれば逆に不審がられるというレベルでそれが普通ということになっており、どこにいても鞄なしの人を発見する方が難しかったりします。 そんな感じで、普通は持っているという感じで捉えられているものを持たずにいると、持って

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一種の消去法

消去法というものは、基本的に「期限が迫っていてどうしようもなく」という場合に用いられるようなものなので、「仕方無しに」という感じがどうしてもつきまとう物事の選択方法です。 通常、消去法というと何かしらの制限があったり、それほど望んでもいないことに対して「選択肢のうち、ダメなものから削除していく」という感じになっています。対象外にしてい

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くたびれた服装

意図的にくたびれた服装やおじさんっぽい服装で出向くことがあります。 あえてちょっと劣化したような服を着ていくということになりますが、もちろんそれは皮肉的な遊びであり、服装で態度を変える人や服装を自慢する系の人で遊ぶためにやっています。 兵法というわけではないですが、相手に「慢心」を作るということも、相手にその実力を出させないという方法

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一種の崩壊感

崩壊感という言葉自体はなんだか、消極的な感じがしてしまいますが、創造と破壊というコントラストが象徴するように、どのような分野や段階の話であっても、新しいものが形成されるときには必ず崩壊がセットになっているので、崩壊感が来た時は新しい世界の幕開けということにもなります。 平穏な状態というものは、普通「安定していて揺るがない」という感じに

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飛ぶ人間を知ったことによる、心のゆがみ

「飛ぶ人間を知ったことによる、心のゆがみ」ということで、詐欺師についてでも触れていきましょう。 詐欺師を筆頭に最初から飛ぶつもりで人に近寄ってくる人間もいれば、途中から都合が変わって飛ばざるを得なくなって飛ぶという感じのことも起こり得ます。 変な話ですが、幼少の頃から僕は様々な犯罪の中で特に詐欺に思い入れがあり、詐欺師というものに関心

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プライバシーの盲点

プライバシーの盲点としてよく語られるのが、スマートフォン関連であり、とりわけソーシャル系ということになっています。 画像の高解像度化により「指紋が読み取られてしまう」ということが囁かれだしたりなんかして、運営側も「アップロード時に画像を自動で圧縮する」などなど、そこそこ対策をしたりしているようです。しかし、可能な限り自己防衛しておくに

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混雑したバスや電車

混雑したバスや電車

混雑したバスや電車の中は、当然のごとく人が密集しており、時にトラブルも起こったりもします。 そして混雑した電車ですぐに連想できるのが痴漢というやつです。 突然ですが、あなたは痴漢にあったことがあるでしょうか? 僕はあります。 痴漢ということで、男性が加害者ということになりますが、僕の場合は、痴漢・痴女両方です。触られる程度なら数十回、

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冗談ですませられる話

仕事上においては、いわゆるビジネスライクに過ごすこともありますが、対面する形で人と会った時、「あ、この人とは友だちになれる」と思える基準というものが、中学生くらいの時からあります。 それは、冗談ですませられる話を冗談ですませることのできる人かどうかと言うような点です。 世の中には本当に冗談では済ませられないタイプの話があります。特に、

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念力のようなもの

念力というと、いわゆる超能力のようなものを想起してしまうと思いますが、本来「念」とは「今心」なので、今に心を合わせるとか、今に集中するとか、自己観察というような意味を持っています。なので、念力といえば、本来は今への集中力とか、自己観察力というようなものになります。 まあどうして自己観察なのかということになりますが、これは普段慣れ親しん

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のっぴきならない証拠

たまに苦し紛れ感もなく当たり前かのように辻褄の合わないようなことを言い出してくる人がいますが、そうした事ができる背景として「本能による衝動」というという面が潜んでいます。 いわば非理性的ということになりますが、理性でないならば本能という感じで、結局は根本として本能的な生存欲求の方が強く、本能による衝動のまま言葉を並べているにしか過ぎな

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記憶の底に貼りついた、もう一枚の薄い記憶

僕が自分の周りの人と比較して少し特殊な点は、幸か不幸か記憶力が良すぎることです。 基本的には重宝しますが、その分嫌な記憶も長い間残ってしまうという弊害もあります。たいていは記憶力がプラスに働くのですが、嫌な記憶を思い出しやすいということもありますし、また、自分は覚えていて相手は忘れている、ということもよくあるので、若干の人間不信の原因

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別誂えで取り付けた

カスタムパーツ等々、純正の状態から個人の好みに合わせて改造していくというのは、各種分野よくありますが、僕個人としては、高校生の時に経験した二つの出来事によって、結局「純正もしくは、ほぼ純正」を好むようになりました。 ひとつは、「レコードを置き、針をのせた」で触れていた低音ブームの中のフラットな音です。本体がある程度の能力を持っているの

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