特別企画 その7
久しぶりに特別企画を実施します。前回の特別企画はロングランでしたが、「特別企画 その7」はひねくれつつもサクッと終わりそうな感じのことを進めてみます。 三字熟語を2つ合わせてタイトルに いつ頃買ったものかは忘れましたが、高橋書店の「四字熟語辞典」に載っている「三字熟語」を無理やり2つ合わせてタイトルとして設定していくというものです。
凡人が天才のフリをする時に用いる統計・データに騙されてはいけない
僕はなんだかんだで統計・データの分析が得意な方です。でないと会社経営もあまりうまくいきませんし、トレードなんかで勝てるわけがありません。でもそうしたものは参考程度にしています。 データには精度というものもありますし、何某かの意図が組み込まれている場合もよくありますからね。そして何より市場も人の心理も環境も常に動いており、あくまで統計・
記号としての役割しか持たない人たちと社会的監視機能
洗脳やマインドコントロールについて触れたり、消費社会について思索を巡らしてみたり、面白い映画とあまり面白くない映画の違いを考えてみたり、「手塚治虫のブッダ」の原作と劇場版の違いに遺憾の念を持ったりという感じで過ごしていると、記号としての役割しか持たない人たち、「入れ替え可能なキャラクターとしての立ち位置」について思いが巡ってきました。
生命保険を担保にお金を借りる
生命保険会社からお金を借りる方法として、すでに契約している生命保険を担保にお金を借りるという方法があります。 これは契約者貸付制度というもので、既払い保険料で貯まった分(養老保険の満期における生存保険金の部分や終身保険なんかで貯まっている分)を担保として解約返戻金額(保険契約を解約した時に戻ってくるお金)を元にそれより少し少ない額を借
広告による威厳の喪失
家にテレビもなければ、もちろん新聞もとっていないので、世間のニュースに関しては全く無頓着で無関心という感じで、普段あまり広告に触れることがありません。しかし、なんだかんだでネット上の様々なページに表示される広告なんかを見る機会があります。 その手の広告は、広告対象となる商品やサービスに比例するように品質が低いものも多くあり、そうした広
鹿の王との約束
最近、見る夢の中でも白昼のふとした隙間においても、何故か宝ヶ池の鹿の王が出てきます。 僕が勝手に鹿の王と呼んでいるだけですが、もちろん宝ヶ池に実在する鹿です。その旨は一応「宝ヶ池の鹿」で少し触れていました。 サラブレッド並みとまではいきませんが、かなり大きな体に加え、すごく立派な角を持っています。普段宝ヶ池で見る鹿とは圧倒的に体格が違
味やロマンと駄菓子の機械
味やロマンと駄菓子の機械ということで、駄菓子メーカーの事業譲渡について触れつつ、味やロマンと汎用性についてでも書いていきます。 全国的に展開している企業もありながら、駄菓子メーカーは家族経営の零細企業が多く、事業主の高齢化の問題により消えていく可能性がある駄菓子がたくさんあるようです。 駄菓子を残そうと思っても、駄菓子は結構手作りで製
尊厳・自尊心と承認欲求
尊厳・自尊心と承認欲求ということで、人の尊厳や自尊心と他者からの承認、そしてそうした承認を欲する承認欲求について紐解きながら、それらを根本から覆していきます。 「人は他人から自分の存在を確かめる」とでも言いたげに、社会においては尊厳や自尊心を当然のものとして扱い、他者からの承認をもって尊厳を保っているとでも言いたげです。 それこそが人

家族のバランスと退行現象
家族のバランスと退行現象ということで、家庭内での人間関係のバランスとバランスが崩れた時に起こる退行現象についてでも書いていきましょう。 少し前にはなりますが、自分が作成した心理学の「退行」について改めて確認していた時に、ふと幼少期から大人になるまでの間の我が家を振り返ることとなりました。 よく人格の歪みやそれを発端とする精神疾患は家庭
生きることに不器用な人たち
生きることに不器用な人たちということで、不器用な生き方についてでも書いていこうと思います。 先に結論から言うと、最も不器用な人は「不器用であることに気付いていない人」です。だからこそ「自分は不器用だ」と気付いている人の方がチャンスが多いということになります。 そして自分が不器用だと気づいている人は、その不器用さを乗り越えた時に自分がた
自由意志を哲学と社会学的帰責から紐解く
自由意志はあるのか、もしくは自由意志はないのか、そんなことをいつまでも議論している人たちがたくさんいます。 何かと相容れなさそうな哲学と社会学の両側面から自由意志を考えていくとそうした自由意志論にそれほど意味がないことが朧気ながら分かってくるはずです。 どんなことでも、前提が間違っているとその先の論理の展開もおかしな方向に行きます。ま
植物と仲良くなった日
植物と仲良くなった日ということで、植物を育てることが絶望的に下手だった僕が植物と和解しうまく育てることができるようになった時の思い出について書いていきます。 内容が具体的だからか、そういえば何だかんだで植物カテゴリへのアクセスも結構あるのですが、それで何となく思い返すと僕は20歳位まで植物を育てることが抜群に下手でした。 小学生の頃は
元祖ダイエットアファメーション
元祖ダイエットアファメーションということで、言葉によるダイエットについてでもお伝えしていきます。 ダイエットと一口に言っても、元々ダイエット(diet)という言葉は規定食という意味があり、減量だけを目的とするものではありません。 といいながら、だいたい肥満は食い過ぎから起こりますし、食事の質や量は体調不良にも密接に関わっています。 「
洗脳の結果としての消費行動
洗脳の結果としての消費行動ということで、消費社会においての個々人の消費行動は洗脳・マインドコントロールの結果であるという点について書いていきます。 久しぶりの「お金に関すること」テーマで実に1年半ぶり以上という感じですが、お金持ちになったりするをシンプルに考えれば、お金が出ていく量を減らしていくこともその方法になりますし、これはお金を
皮肉骨髄から考える「人の意見」
皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話

ゲームと知能
僕はファミリーコンピュータと同い年であり、小学生の頃はスーパーファミコン全盛期であり、小学校高学年くらいから中学生の頃はセガサターン・プレイステーションの登場によってそれにどっぷり浸かるような世代です。 ファミコンが1983年、スーパーファミコンが1990年、セガサターン・プレイステーションが1994年ということで、まさに成長期がゲー
緊張と弛緩から観る「今」のあり方
心を語る上でよく緊張と弛緩がテーマとなることがあります。リラックスするための筋弛緩法というものもありますし、笑いの要素の一つとして、桂枝雀氏提唱の緊張の緩和理論というものもあります。 緊張があってそれが弛緩する、つまり緩むということですが、その瞬間に人はリラックスし、人は笑うということになります。 そこでよくよく考えてみたいのが、緩ん
正しく観ることが確率論を超える
欧米の確率論的な方法がもてはやされてはいますが、営業にしろ何にしろモノを売るのは実は結構簡単だったりします。 統計や御用聞きを含めたマーケットインは確率論的に物が売れる確率を上げようというようなレベルの低い考え方です。 それは「流行りの髪型にすればモテるのではないか?」というタイプの発想です。 しかしよくよく考えてみると、たった一人の
忙しい人の「忙しさ」はただの混乱
忙しい人や忙しない人が持つ「忙しさ」はただの混乱だったりします。 忙しそうにしている人ほどただ単に頭の整理ができていないだけで、大したことはしていないというのは、世間でもよくよく実感されているはずです。 忙しくしているということは、嘸かし大層なことをしているのだというような印象もありながら、結果を見ると大したことはしていないという感じ
墓場ビジネスと霊感商法
京都という土地柄もあってか、同級生の家が寺ということも多く、墓場ビジネス、冠婚葬祭ビシネスが盛んに語られる事が多い環境に育っています。 なんだかんだで家の電話を取ってみたら近所の寺からの「お墓のご準備はお済みですか?」という営業だったということもたまにあります。 僕としては昔から墓には否定的な印象を持っています。そして墓場ビジネスはそ
日差しが強いときこそ日光浴
だんだんと暖かい日が続き、日差しも日に日に強くなってきています。 紫外線が肌にダメージを与えるので日光は疎がられる傾向がありますが、やはり日光浴というものは良いものです。 先日、太陽が眩しすぎるくらいの強い日差しの日に家の裏の縁側でほぼ全裸で2時間位過ごしてみました。 もちろん直射日光を浴びるというわけではなく、クリアの波板のようなも
春の感傷
今日はいきなり泣いて目が覚めました。 自分でもよくわかりませんが、春の影響からか無意識が暴走するようなことがよく起こっています。 先日は急に台所で意識がおかしくなり、瞳孔が開きっぱなしになったりしました。 そして今日はなぜか夢の中に強いリアリティを感じ、起きたら涙でいっぱいになっていたという感じです。 how are you? 〜 さ
反応の対象
煩いの根本原因の一つは、「反応」にあります。 社会においても反応する側と反応させる側で、立ち位置が全く異なり、自由意志で選んでいるようで誰かの意図に反応しているにすぎないというのが本当のところです。 反応するという事自体は本来無属性ですが、その奥に誰かの恣意的な意図が含まれている場合は、意志を操られているとすら考えることができます。つ
意図的に意識を揺らす場所
京都も今では観光バンザイのような風潮を持っていますが、明治初期までの間、女性は神社仏閣への立ち入りは禁止されていました。 おそらくそれは「儒教の影響を受けた仏教」の影響による男尊女卑的な風潮もどこかにありながら、女性自身を守るためのものでもあったと思っています。 女性は共感性の高さから強烈な変性意識状態に陥りやすく、いわゆる「狐憑き」
対象者ごとの語彙と文体
使用している単語の持つ意味に対する印象は人によって異なりますし、普段その人がどのような環境にいてどのようなものを重要としているのかによって、同じ文章でも伝わり方が変わってきます。 そう言えば最近、若年層向けのマーケティング、特にライティングにおける国語表現に関することを調べていると、やはり文体にしても使用語句にしてもその人達に合わせた
変な意識の力と「諦め」
僕単体ではどうということもないのですが、特定の人たちと共に意識を向けると対象が無くなってしまうということがよく起こります。 変な話なのですが、十年くらい前から僕には変な意識の力があり、最近では相手に「諦め」を与えるような形になっています。おそらくそれは同調によって情報状態の変化をもたらすという感じになるのでしょう。 僕個人として一番最
意識の分野の解消法その3 断捨離的に関係を解いていく
世の中では「断捨離」ということで、物を捨てることでスッキリしましょうという感じのことが囁かれています。断捨離がうつにも有効的であるという感じで語られることもあります。不要なものを捨て、所有物を少なくしていこうということで、なるべく執着から離れれば気持ちが楽になるというようなことが語られています。 しかし、おそらくそうした効用的な面だけ
気力を奪う人たち
気力を奪う人たちということで、自尊心の回復のために人から気力を奪っていく人たちについてでも触れていきましょう。 世の中には、自尊心の低下を何とかしようと人に罵声を浴びせたり、ウジウジと憐れみ乞いをしたりして気力を奪っていく人たちがいます。そうした人たちをまともに相手すると、それまで元気だったのに元気を奪われ、パワーやエネルギーというも
the pillowsが放り込んできた球根が咲かせた花
そう言えば、先日SYNCHRONIZED ROCKERSを少し編集していて、引用していたMr.Children桜井氏のメッセージを読み返していると「pillowsが放り込んできた球根」というフレーズがありました。その球根はもちろん僕にも放り込まれてきていて、それが咲かせた花は、本ブログにも表れています。 もちろんthe pillows
落語的思考
普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑して