忘れっぽい人々

情熱が爆発するとき、夢や狂気で空想するとき、人間は自らと人類との前史を、すなわち、野蛮な歪んだ顔をもった動物性を再発見する。 曙光 312 序文

先日、自分より少し若い方とお話した時に、「メモをとることを忘れて商談がご破綻になった」というようなことを聞きました。それは体育会系同士のやりとりなので些か厳しすぎるだろう、ということも思いますが、「忘れるわりに対処もしない」という点をつかれたのかもしれません。

忘れること自体は良いことでも悪いことでもありませんが、意識の中で優先度が下がってくる、ということは実際にあることです。パソコンでもメモリの量に限りのあるように、「すぐに使える領域」に貯めておける、ひとまず並べておける情報量はある意味で限度があるのでしょう。

それはそれで集中力が増せば、ハードディスク内へのアクセスも容易になるようなことです。そのためには集中力を増す必要がありますが、メモリの領域が少なくても、それを物理的に補助する方法はいくらでもあります。

手帳というものを使わなくても、ある程度のことは覚えておけます。覚えて置けるのですが、「覚えておこう」とすることによって意識のエネルギーがある程度持って行かれます。

簡単なことであれば、いっそ手帳やメモ書きのようなものを使うことによって、意識のスペースを空けることができます。

手帳やメモ書き

極めて重要な事であれば、手帳やメモを使わなくても嫌でも覚えているものです。たまにメモすればそれで満足、読み返すこと無く忘れている人もいます。

先のご破綻の商談も、「何かに記すことなく忘れたとかふざけるなよ」というようなニオイがあったのかもしれません。

そのようなことで、仕事が適当な人ほど、そのようなツールを使わない傾向にあります。

使わなくてもできるのですが、使ったほうがもっとできる、ということです。記して見直す習慣があれば、その分だけ意識と集中力を他のことに使えます。

できれば電子的な媒体に記録するより、紙ベースのものに手書きした方がいいでしょう。そのまま誰かに連絡するのならスマートフォンなどでもいいですが、記憶や意識の集中に関しては手書きのほうが意識は高まり、より良く記憶できます。

覚えたりするためだけでなく、記すことによって意識の中の問題点を明確化するという時にも使えます。意識のメモリを空けて、より解決策の方にエネルギーを使えるようにする、というやり方です。

忙しい人の「忙しさ」はただの混乱

ただ、本当に重要な事はメモなどとらなくても覚えています。むしろメモなどとらずにその場で眼や耳に集中力を費やしたほうが良い場合もあります。

彼女にふられそうな時に、「その対応策を考えるため」、と、彼女が話をしているまさにその最中、彼女の今の気持ちをメモ書きし、対応策をメモ書きに綴っていては、その場でそのままふられてしまうでしょう。

忘れっぽい人々 曙光 312

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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