お近づきになったような女性に関して思い返してみると、同じようなタイプの人に好かれ、同じ名前の人に好かれということが不思議なくらいに起こっていたりします。
昔お付き合いしていた彼女にそっくりな女性の上司が職場にいて、ある時ふと「別れた元夫とよく似てるの」なんてなことを言われ、その元夫さんにそっくりだという息子さんの写真を見せてもらったら顔も体格も僕に似ていたというようなこともありました。
「息子によく似ていると言えばいいのに」ということも思いましたが、おそらくピンときたのは元夫さんの方だったのでしょう。
そのような感じで本能的に予め決まっているような相性というものがあるのかなぁと言うことを思ったりします。
そしてそうした相性があろうとも後天的な環境の変化によって、何かしら相性に関する条件のスイッチが切り替わって変化し、本来は相性が良いはずなのにそれが変化してしまうということもあるのかなぁというようなことを思ったりします。
おそらく本来は相性が良いはずなのに
そのような感じで、20代前半の頃くらいに経験したある出会いの時の様子を思い返しました。
相手の女性は、おそらく本能レベルでかなり相性がよく、さらに感覚的にも人格的にも申し分ないような人でした。
しかし、Z会にもかかわらず、なぜかダメなのです。
その理由は、叔父の奥さん(再婚)と「重複率が75%くらい」だったからです。
意識的に「かぶってしまう」ということを避けているということになりそうですが、もちろん別人なので理屈の上では何の問題もないはずです。
顔や人格は75%くらい似ていましたが、歳も違いますし雰囲気的にも25%くらいは違いがあるはずです。
相性のスイッチのどこかが切り替わった
しかしおそらく意識ではコントロールできないような領域で、ある意味「家族・親戚」扱いになってしまったのでしょう。
まさに本能的な相性のスイッチのどこかが切り替わってしまい、本来本能レベルでは相性が良いはずなのに、除外対象になってしまったという感じです。
相性が良いはずなのにということに関しては、叔父さんとその奥さんは実際に結婚しているので、「それ系組み合わせ」としては、相性が良いということになるはずです。
さらに言うと叔父さんは僕とかなり似ています。一緒にいたら確実に親子だと思われるはずです。
やはり意識の中で、「俺のパターンをパクるなよー」と叔父さんに言われるのではないかということや、叔父さんの奥さんに惚れていたのではないかと思われるのは嫌だというようなことが起こっていたのでしょうか。
意識の中でいくら「それは関係がない」と思っていても、本能レベルで体はそれを拒否しました。基本的には○玉に命じられるがまま起こるはずのムラムラも興奮も一切起こらなかったのです。
そうした感じで何かしらの判断が下った場合、本能レベルで何かしらのスイッチが切り替わってしまうのではないか、ということを思ったりしました。
そして、その時はお近づきになりましたが、結局交際はお断りすることになったりしました。
もしかすると本能的な相性として、両者は相性が良くてお互いに好きになりやすいということであったのかもしれませんが、相手は僕に好意を抱きやすいということにはなっていても、僕の方は本能的にスイッチが切り替わってしまっていて、そうした縁は結ばれることがなかったという感じなのかもしれません。
相手は何も悪くはありませんし、元々相性も良いはずなのですが、本能レベルで体が拒否してしまったという感じです。
そしてさらに数年後また同じようなことが起こったりしました。
今度は「重複率90%くらい」でした。
本来本能レベルでは相性がよく「一瞬でお互いに興奮し合う」ということになっているということになるのでしょうが、もちろん僕は反応しません。一瞬でお断りすることになり「意味がわからない」的なことを言われたりもしました。
そして、理由を説明してみると「やっぱり意味がわからない」と言われてしまいました。
そういうわけなので、本来相性が良くてもその他との関連性から本能レベルでダメになることもあるということで、「何がダメなのかわからない」ということが起こった時に、「それは様々な関連性の中で何かのスイッチが本能の領域で切り替わってしまったからだ」と考えると気が楽になるのかもしれません。
しかしいくら説明しても、だいたい納得はしてもらえないので少し困りものです。
ただ、もしかすると、そうしたスイッチも関係性の変化によってさらに切り替わることもあるのかもしれません。
一旦オフになっているものの、事が進めばオンになり本来の相性が発揮されるということもあるのかもしれないという感じです。だから、闇雲にお断りすることもないのではないか、ということを改めて思ったりしています。
「あの時はごめんなさい」という感じです。
いつまでも追いかけてくる名前
さて、余談ですが、特に異性というわけでなくとも、いつまでも追いかけてくる名前というものもあります。
勤め先が変わったはずなのに、毎度毎度「職場の隣の席の人」が、同じ名字だったりして、さらに名前も一文字違いということがありました。
親友が京都市外に引っ越したと思ったら家の向かいにその親友と同じ名字の人が引っ越してくるということもありました。
そのような感じで、やはり顔つきとか声とかそうした完全に本能的な領域でなくとも、名前ベースでも相性というものがあるのかもしれないということを思ったりします。偶然にしては確率が高すぎるという感じで昔は不思議でした。しかし、論理ではそれが見えませんが、因縁の上ではそれが見えたりもします。
今回のお話、非常に共感できるお話でした。自分も好意を持ったり持たれたりする異性、もしくは縁のある異性の名前がなぜかある特定の同じ名前であることが何度もありました。
その度にまたこの子もこの名前なんだと
不思議な感覚でした。
たまたまと言えばたまたまで終わるのかもしれませんがちょっとした面白さを感じます。
あとこれはどこかで聞いたり見たりした話ですが実際に遺伝子レベルで異性の好きな匂い
があるみたいですよね。
たしかに体臭を何気なく嗅いだ時(意図的の時もあるし偶然的な時も)匂いがダメな異性もいるしいい匂いと思う異性もいます。
これこそたしかに遺伝子レベルの好みであり
本能的な部分でもあるなと感じます。
自分で選んでいるようで脳だか細胞だか
遺伝子だかが選別していますね。
スイッチのオンオフも同感です。
世の中には3人は似たような顔?人?がいるとは言いますがこれも自分の中では実感しています(笑)
コメントどうもありがとうございます。
どうやら僕だけではなかったようで、少し面白く感じます。
おっしゃる通り「遺伝子レベルで異性の好きな匂い」というものがあるというのを何かで読んだような気がします。
そしてそうした好みでくっついた二人も、一緒に住んだり子どもが生まれたりすると、お互いにその好みの匂いが変わるというような感じで研究がなされているというような感じのようですね。
匂いで言えば、先天的な本能をベースとしながらも、セキセイインコなどが持つ体臭「インコ臭」が後天的に取り込まれた時や、犬が持つ体臭を学習した時、インコへの思いや犬への思いが影響を与え、穀物中心の食生活をしている人を好みやすいとか、肉食中心の人を好みやすいというようなことも起こっているのかもしれないというような感じもしています。