みなさまあけましておめでとうございます。
2020年になりました。
元日は早速白味噌の雑煮を食べました。
が、今年は餅は4つにとどまる形になりました。
夜が寒すぎるというのが第一要因ですが、主に次のようなプロセスを経て、という感じです。
まず小晦日、つまり大晦日の前日のことですが、若干寒さがマシだったため、帰省中の友人と外で話し込み、気付かぬところで少し腹が弱っていたという感じになりました。
そして大晦日当日、「大晦日」というイレギュラーが意識を乱してしまったのでしょう、年越しそばと同時にもらいものの寿司を頬張ったのですが、度を越して食べてしまったせいか腹が若干下り気味になりました。
そして元旦、陽の光とともに若干の潜在的爆発性を伴った腹具合と共に目覚めました。あまり痛みはないものの、寒さと相まって発酵気味になった腹具合との格闘により、結局昼頃に雑煮を食すに至ったのですが、例年の通りの量を食すことはできなかったという感じです。
と、腹具合の報告になってしまいましたが、健康管理の記録がてら書き残しておきました。
そういえば、数年前は、脇腹が痛んだなぁということを思い出したりしたので、短期的ですが9月以外の要注意シーズンとして捉えておきます。
ちなみに今年も昨年と同様、年明けの瞬間は草津温泉の湯の花を入れた風呂に浸かっていたので、はっきりとしたタイミングはわからないまま新年を迎えることになりました。
子年ということで…
さて、子年になりました。
「ネズミ君ですか!」
ということで、我が家に現れたねずみくんでもいいのですが、鬼天竺鼠ことカピバラを代表して草津熱帯圏のまるに登場してもらいましょう。
年末年始に友人と話して少し考えた抱負
年末に何人かの帰省中の友人と話し込んだりしました。
そこで共通の友人の話や友人の友人などの近況を聞いて、改めて気づき、そして思ったことがあります。
それは、同年代の「本意ではないフリーター」等々、自己評価のようなものを下げられ続けたまま抜け出せずにいる人達が少なからずいること、そしておこがましながら、そのように生きながら死んでいるような彼らに、何とか生きて欲しいというようなそんなことを改めて思ったというような感じです。この点については、「フリーターから上場企業へ」で触れていたような形になるのが理想的だと思っています。
普段はあまり世間的な「やりたいこと」がなく、「行為のみが残る」という感じで過ごしていますが、「まあ少しは何かしらできるかなぁ」とおせっかい気味に思ってしまったという程度にはなるものの、その中には若干の洗脳搾取企業たちへの怒りの昇華のような要素も含まれています。
相手次第といえば相手次第ですが、そんな現状の相手の状態すら、洗脳搾取企業によって形成されているので、少しは能動的に刺激を与えてみてもいいかなぁということを思ったりもしています。
もちろん雇うとか斡旋をするとかそうしたタイプではありません。ただ、妄想から恐怖が起こっている部分に対し、現実に触れてもらって抵抗を弱めるという程度なら、遊びがてらでもできるので、ちょろっとだけやってみようかなぁという感じでは思っています。
洗脳搾取企業たちへの怒りという表現くらいしか無かったので、そう表現しましたが、現実的には怒りとは少し違っていて、タイプ的には怒りに属するものの、「あの時のかっこいいあいつを取り戻せ」という感じです。
十代の時は、若干チュウ兵衛親分的なかっこよさを持っていた友人が、みすぼらしいというか、自己欺瞞を含んだ虚勢のもと、一種の餓鬼のようになっているのは悲しく、まあできるなら、あの時のかっこいい彼の本質的な部分が発露するような状態になってくれれば僕たちは嬉しいという感じです。
なので、友達と一緒に友達を助けに行くというような感覚です。
時代を煽動した企業たちや過去の時代背景は、もう過ぎ去りしことであり、どうにもできないことはどうでもいいですが、これから先に続く今が本人主観でもいいので輝かしいものであるように、ということは思っています。
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また、もうひとつはロングランですが、かつて宗教勧誘で少し溝ができてしまった友人をやはりいつか脱洗脳しようと思います。身内の方による包囲網があるので難しいですが、長い目で見ていつの日か、あの日のことを共に爆笑できる日を望んでいます。
依存症の脱依存
さらに、また近々個別投稿するかもしれませんが、その他依存症関連について、若干ながらその傾向にある友人知人を、何とか脱依存してくれるようにしていこうと思います。
人によっては既に若干の健忘などの症状が出ていたりもします。それほど自覚もなく、ちょっとだから良いというわけはありません。放置すれば、今後悪化の方にしか行きません。
違法薬物への依存などであれば、その害とは裏腹にまだ指摘しやすいという面を持っています。しかし、「程々に嗜むのは正常の範囲で、やりすぎたとすればそれは本人が悪い」と思われているものほど、止めるという面では難しい傾向にあります。
極端に症状が出るまではあまり問題視されない、アルコールやギャンブル、ゲーム、スマートフォン等々への依存により、「いいやつだったやつがおかしくなる」という「友人を奪われるような感覚」は、個人的感覚としてもやはり良いものではありません。
もちろんデータを示して危険性を指摘したところで言うことを聞くわけがないどころか、落胆や怒りと共に疎遠になるだけなので、智慧により導ければなぁと思います。
あまりにわざとらしいのものバレますし、適したタイミングというものもあるのでどうなるかはわかりませんが、まあできる限りはやってみようかなぁという感じです。
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それでは本年もどうぞご愛読くださいませ。
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