タグ別アーカイブ: 言語

言語・言葉に関することについて

野放図への白眼視

京都という土地柄か、少しの言葉遣いの違いなどに過敏です。すぐに「なんて低俗な」とか「小癪な。何様のつもりか」という感想を持ってしまい、時に爪弾きにしてしまうという感じです。そうした言葉への感度は、デメリットとして無駄に怒りが生じてしまうと言う面もありますが、逆に言語表現が豊かになったりコミュニケーション能力を培えるというメリットもあります。 また、世間では、女性の方がコミュニケーション能力が高いという風潮がありますが、言語のみのやりとりに限定していえば、その能力が低いと考えざるを得ないケースも多々あります。 これは

» 野放図への白眼視の続きを読む


根無草の二枚舌

最初から計画して嘘をつくということは詐欺師並の輩にしかできない芸当ですが、時に人は嘘をつきます。お金が絡んできたり異性絡みだったり、はたまた地位や名誉などに関する事柄となると、人を心底信用することはできません。 嘘と言ってもその種類は様々で、ただ自分を守りたいだけなのか、私利私欲のために相手を陥れるためのものなのか、相手を傷つけないためのものなのか、それとも相手の状態を見越してひとまず仮止めとして方便を説くかといったような感じでたくさんのパターンがあります。 夏目漱石氏の「こころ」を再読 諸法無我で少し触れたりして

» 根無草の二枚舌の続きを読む


口八丁の金字塔

口の上手さだけでなく、人は自信にも感化されてうまく転がされてしまいます。妥当性ばかり追求している人より、ホラ吹きの方が大物のような人になっているというケースを実感している人も多いのではないでしょうか。 単に口が上手いということなら「それはスキルだからなぁ」と納得できそうなものですが、それが嘘であっても、大見得であっても、結局周りが感化されて嘘のように実現しているという場合があります。 ある種不公平に感じますが、それくらいに口の上手さの裏にあるような自信のようなものは強力なのです。そして相手を錯乱させるために権威性を

» 口八丁の金字塔の続きを読む


皮肉骨髄から考える「人の意見」

皮肉骨髄から考える「人の意見」ということで、皮肉の語源となっている達磨大師の「皮肉骨髄」の逸話から、人の意見をどう受け止めるべきかということについて考えていきましょう。 皮肉といえば京都の文化であるということで「現代人の皮肉」では京都の皮肉文化について触れていましたが、元々皮肉という言葉は、達磨大師が弟子に対して行なった最終試験の逸話が元となっています。 皮肉骨髄 知っている人は知っているような話ですが、「僕が伝えたかったことは何か、それを示してみなさい」をいう最終試験で、4人の弟子がそれぞれ異なったアプローチで回

» 皮肉骨髄から考える「人の意見」の続きを読む


対象者ごとの語彙と文体

使用している単語の持つ意味に対する印象は人によって異なりますし、普段その人がどのような環境にいてどのようなものを重要としているのかによって、同じ文章でも伝わり方が変わってきます。 そう言えば最近、若年層向けのマーケティング、特にライティングにおける国語表現に関することを調べていると、やはり文体にしても使用語句にしてもその人達に合わせたものの方がよりよく伝わるということを改めて気付いた次第です。 意図的な文体の揺れ もちろんかつてからその通りだとは思っていましたが、語彙のみならず誤字脱字のあるような、文法すらもぐちゃ

» 対象者ごとの語彙と文体の続きを読む


落語的思考

普段からよく散歩をしますが、特に今のシーズンは「春になった」ということでよく外を散歩します。 そんな折、不可思議な看板や案内や観光地にありがちな「由緒書」的なモノに出くわしたりします。そしてそれを見て頭の中で遊んでいます。 ということで落語的思考の遊びです。 落語的なのかどうなのかはわかりませんが、言葉の違和感や論理的な矛盾に爆笑しています。そういうわけで、周りの通行人の人からは怪訝な目で見られたりしています。 例えば空き地に次のような幟(のぼり)が立っていたとしましょう。 これを見て違和感を感じた人はいるでしょう

» 落語的思考の続きを読む


良きものを称賛するという意識の向け方

たいてい思考は言葉で行われていますし、意識の状態も普段使う言葉に大きく影響されるというのは本当のところですが、言葉にさえ左右されなくなる領域まで行ければ、言葉はもうこの心を縛ることはできません。 しかしながら、基本的には言葉によって意識は方向付けられています。ということで、言葉選びは結構重要だったりします。 言葉選びも大事ですし、何より「何に意識を向けるか」ということが結構大事だったりします。 否定的な言葉と肯定的な言葉 言葉を選ぶ時や意識を向ける時に、それが否定的な言葉を使うか、肯定的な言葉を使うかという面や、悪

» 良きものを称賛するという意識の向け方の続きを読む


洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みた

洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みてみました。宗教勧誘を論破して撃退するという感じではなく、相手のフレーム合わせて、対機説法をしてみるという感じです。 普通は宗教勧誘に対して上手く断るという感じだったり論破して撃退するという感じだったりするでしょうが、僕の場合は目的が少し違っていて、追い返すことではなく、短時間で脱洗脳のタネを撒いておくことです。 先日、Twitterでこっそりつぶやいてみましたが、ほんの少し前の休みの日に我が家に宗教勧誘の人がやってきました。 それで玄関先で話すことになったので

» 洗脳カルト宗教の勧誘に来た人を逆に説法して脱洗脳を試みたの続きを読む


合理化や最適化が機械にできる限界

AIがすごいとか、少し前であればIT化がすごいとか、そうした事が世の中でよく囁かれますが、「合理化」や「最適化」が機械にできる限界であり、結局大切なことは文語ではなく口語でないと何ともならないというようなことについて触れていきます。 哲学カテゴリでも会社経営と商いカテゴリでも良かったのですが、抽象的な感じなので雑記にしておきます。 まず最初に、新世代に対する旧世代的な後ろ向きの考えではないということに注意してください。 合理化や最適化の意味するところ まず合理化や最適化の意味するところについて一応再考しておきましょ

» 合理化や最適化が機械にできる限界の続きを読む


活字の世界と感情の世界

何かをしたり人とやり取りをする上で、活字の世界の比重と感情の世界の比重というバランスがあることは案外見落とされています。 いくら感情的になったところで、活字の世界である学校のテストで良い点をとれるわけはありませんし、逆に恋仲になろうと思った時に活字ベースで事を進めることもできません。 たまに思考の世界と感情の世界をごっちゃにしてはいけないというようなことについて触れる時がありますが、もう少し具体的に考えて思考の世界の中でも活字の世界があるということについて触れてみたいと思います。 その行動は活字をベースとしているの

» 活字の世界と感情の世界の続きを読む


われわれ精神の飛行する者!

しかしそこから、それらの前には巨大な自由がもはや全くないとか、それらはわれわれが飛ぶことの出来る限り飛んだとか、推論することがだれに許されようか!われわれの偉大な師や先駆者たちもすべて最後には立ち止まった。そして疲労で立ち止まるのは、極めて高貴な身振りでも優美な身振りでもない。私も君もそういう成り行きになるだろう!しかしそれは私にとっても君にとっても何の関係があるだろうか!他の鳥がさらに遠く飛ぶだろう! 曙光 575 一部抜粋 この「われわれ精神の飛行する者!」でニーチェの曙光シリーズ最後の投稿になります。 それで

» われわれ精神の飛行する者!の続きを読む


4歳児に教えてもらった素敵な言葉

先日、お客さんのところに行ったときに、その人の息子である4歳児に教えてもらった素敵な言葉があります。 いつもいつも「大学教授が言おうと幼稚園児が言おうと本質は変わりなく、言葉が指し示す意味のみを検討するべきだ」というようなことを言っていますが、まさに幼稚園児から教わることになりました。 意味は状況の中にある、ということにはなりますが、大体どのような状況においてもかなり良い感覚を呼び起こすフレーズです。 何気ない言葉ですが、いい言葉だなぁと思いました。 少しのニュアンスの違いで含む意味が全く異なるということを実感した

» 4歳児に教えてもらった素敵な言葉の続きを読む


聖職者の襲撃

「君はそれを自分自身で決着をつけなければならない。なぜなら、それは君の生命の問題であるから!」― こう叫んでルターが跳びかかってくる。首に短刀がつきつけられたようにわれわれは感じるだろう、と彼は思う。われわれはしかし、高級でより思慮深い人の言葉で、ルターを近づけない。「あれこれのことについて、全く意見を立てず、こうしてわれわれの魂から不安を免れさせるのは、われわれの勝手である。なぜなら、物自身は、その本性上、われわれからいかなる判断をも強奪することはできないからである。」 曙光 82 哲学的・倫理的な格言は、時に自

» 聖職者の襲撃の続きを読む


すぐれた四つ

われわれと平常われわれの友人であるものに対して誠実、敵に対して勇気、敗北に対して寛容、常に― 礼儀。四つの主徳はわれわれにこう望む。 曙光 556 いきなりこんなところで、疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し、といったように戦国武将のような項目になっています。 だいたい「やばい」とされるのが、こうした標語を社長室に飾っている人です。ブラック企業に限って、「十訓」みたいなものを掲げていたりします。 「従業員を人間として正しい道に導くことが私の使命だ」という感じで思っていた

» すぐれた四つの続きを読む


キリスト教徒の底意

次のことが第一世紀のキリスト教徒のごく普通の底意ではなかったろうか。「罪がないと思いこむよりも、罪があると思いこむ方がよい。というのは、はなはだ強力な裁判官がどんな気持ちでいるのか、よく分からないから。― しかし裁判官は罪を意識している者ばかり見つけたいと思っているのではないかと気がかりでならない!彼は大きな力をもっているので、自分の面前の人間が正しいということを認めるよりも、罪人を赦す方がたやすいであろう。」 曙光 74 前半 キリスト教徒の底意(そこい)ということで、正しいと認めるよりも赦す方がたやすい、という

» キリスト教徒の底意の続きを読む


かつてのドイツ人的な教養

あのドイツ人的な教養はヨーロッパ人を馬鹿にしたということ、またそれはそうした関心に、それどころかそのように模倣したり張り合って自分のものにしたりすることに値しなかったということは、否定することができない。まあ今日、シラーや、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、シュライエルマッハー、ヘーゲル、シェリングなどを捜すがよい。 曙光 190 中腹 「シラーや、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト、シュライエルマッハー、ヘーゲル、シェリングなどを捜すがよい」 … 「誰?」 という感じの感想を持つ人が大半のはずです。 ということで、

» かつてのドイツ人的な教養の続きを読む


最初のキリスト教徒

聖書の中には、最も野心的で最も厚顔な魂が備わり、また、抜け目がないと同様に迷信的でもある頭の持主である人の歴史、使徒パウロの歴史もやはり書かれているということ、― 若干の学者は別としても、誰がこれを知っているだろうか? ― パウロの書面を「精霊」の啓示として読むのでなく、われわれのあらゆる個人的な危機を考えないで、誠実な、そして自由な自分の精神で読んでいたなら、真に読んでいたなら、― 千五百年の間そのような読者は誰ひとりいなかった―、キリスト教もまたとっくの昔に終わっていたことだろう。 曙光 68 一部抜粋 あらゆ

» 最初のキリスト教徒の続きを読む


われわれ初心者!

俳優が他の俳優の演技を見るとき、彼は何と一切のものを推測したり見て取ったりしていることだろう! 中略 他方画家が、彼の前で動いている人間をどんなに別様に見ることであろう! 曙光 533 抜粋 合気道の袴は、相手に膝の動きをさとられないためにブカブカであると聞いたことがあります。 一方、画家はピカソ等々平面空間を抽象的に統合して捉えたりしています。 さて、「われわれ初心者!」です。初心者ということで「初心者と学力」あたりから進めていきましょう。 誰しも初めてやることに関しては初心者であり、そうした時は「何がわからない

» われわれ初心者!の続きを読む


「愛は平等にする。」

愛は、それが一身を捧げる相手から、よそよそしさの感情をすべてなくそうとする。したがって愛は偽装と擬態とで満ち満ちている。愛は絶えず欺き、実際には存在しない平等のお芝居をする。 曙光 532 前半 平等ということなので、絶対的なモノの見方と相対的なモノの見方についてでも書いていきます。 平等が語られる時は、だいたい社会目線です。経済学の永遠のテーマとされる、ピザを均等割りするのか、体格に合わせて分けるのかといった分配なんかも社会的です。 ほとんどの場合、「平等」という言葉は、弱者側からの説得材料として使われる程度で、

» 「愛は平等にする。」の続きを読む


環境の選択

威厳を保って沈黙することもできず、高級なことを打ち明けることもできないので、われわれの不平や要求やわれわれの窮境全体の話などを知らせるより外には道のないような環境で生活することは避けた方がよい。その際われわれは自分で不満を覚え、この環境に不満を感じる。 曙光 364 前半 よく「この環境からは逃れられない」という類のことをいう人がいますが、ほとんどの場合どころか、すべての場合においてどんな環境からも脱却することができます。 本当は環境を選択する自由はいつどこにでもあります。 その制限は、どこから来るのでしょうか?

» 環境の選択の続きを読む


簡単な異なる表現

先日の実験によるダメージから徐々に気力体力ともに回復してきました。現在、8割位の回復です。 またまた、頭の回復のためにちょろちょろ書いていきます。 最近、少し思うことがあるのですが、たまには平易な表現で書くのもいいかなぁ、ということを考えています。 かと言ってB層に合わせるような「ネタ」を書く気はありません。 あれ面白いですよね。 ネット=基本的に無料、ということで、B層による投票行為がよく行われていますが、100万人のB層が選んだ記事を、その分野の玄人が評価することはほとんどありません。 投票的に評価されただけも

» 簡単な異なる表現の続きを読む


「道。」

いわゆる「近道」は、いつも人類を大きな危険に導いた。そのような近道が見つかった、という福音に接すると、人類はいつも自分の道を離れ― そして道を失う。 曙光 55 毎度のことながら「道」という言葉を見るとどうも松下幸之助氏を思い出してしまいそうになりますが、それはさておきましょう。 ただひとつの道 昔からよく「近道を選ぶとえらい目になる」というようなことが色んな所で囁かれます。 しかしながら、それは横着をするなという戒めのようなもので、効率のよいやり方を模索することは、非常に険しくリスクも伴いつつも、人を成長させるも

» 「道。」の続きを読む


言論の自由

「真理は語られなければならない。たとえ世界が粉々に砕けようとも!」― 偉大なフィヒテは大きな口をしてこう叫ぶ!そうだ!全くだ!しかしわれわれは真理を実際に持たなければならないであろう!― ところがフィヒテは、すべての人はたとえ一切が混乱に陥ろうとも自分の意見を述べるべきである、という考えである。この点については、フィヒテとさらに論争することができる。 曙光 353 「言論の自由」という概念がありますが、どんなことであれ、それを社会が制限をかけてこようとしても、社会的制裁という圧力などがあるだけで、どんなことでも自由

» 言論の自由の続きを読む


わかりやすい「おすすめ本」

「同じ経験はできませんが、どのような本を読んだら良いですか?」 メッセージのみならず、現実社会でもやはり会話の節々に出てくるような話題です。特に若い方で読書に慣れている方からはよく言われるご質問事項です。 ただ、あまりに「おすすめ本」と書いてしまうと、まるで胡散臭いアフィリエイターです。 彼らは「売ろう」と思って記事を書いていますが、売ろうとしているので純粋なレビューではありません。人のレビューを転載するような形で紹介しています。このサイトは、そういったタイプのものではない上に、もちろん広告も貼りません。 売れてい

» わかりやすい「おすすめ本」の続きを読む


中心

「私が世界の中心だ!」というあの感情が非常に激しく起こるのは、われわれが不意に恥辱感に襲われた時である。われわれはそのとき、砕ける波の真中に麻痺したもののように立ちつくし、四方八方から視線を向けてわれわれを見通すひとつの巨大な眼のために、目がくらまされたような感じがする。 曙光 352 もちろん「私が世界の中心だ!」という一文から「世界の中心で、愛をさけぶ」を思い出したのですが、それはさておきましょう。 つまりはネタがスベった時に「世界には自分しかいない」と自己弁護を行い自分を擁護をしようとするあの心境です。 周り

» 中心の続きを読む