タグ別アーカイブ: 文化・芸術

文化・芸術・風習などについて

芸術を別様に感じとる

人々が孤独でありながら交際し、吸収しながら吸収され、深く実り豊かな思想を持ちながらも辛うじてその思想を抱くだけで生きる時代となって以来、人々は芸術からもはや決して何も望まないか、あるいは以前とは全く違ったものを望むかである。 曙光 531 前半 そう言えば先日、今 敏さんが出演されている番組の動画を見ました。20代前半の頃に「妄想代理

» 芸術を別様に感じとるの続きを読む


象徴であることを望まない

大物であれ、という不断の強制によって、彼らは結局事実上儀式張った零に等しい者になる。そしてこれが、象徴であることに自分の義務を見出すあらゆる人たちの常である。 曙光 526 後半 今は亡き大物芸人が「いつまでこのキャラ続けなあかんのやろ」と嘆いていたというのは知る人は知る話です。 世の中ではキャラ付いていたほうが、覚えられやすく得をす

» 象徴であることを望まないの続きを読む


孤独な人たちの嫉妬

これはおそらく孤独を愛する文化系特有なのですが、嫉妬でも羨望でもない特殊な感情があります。 嫉妬は、「自分もそのように評価されるべきなのに、まだ評価されていない」という時に起こり、羨望は同一のフィールドにありながらも「すごいなぁ。でもこれは自分では届かないや」というような感情です。 ただ、「こんなものを作れてすごいなぁ」「ここまでこん

» 孤独な人たちの嫉妬の続きを読む


美の増大

なぜ美は文明とともに増大するのか? 曙光 515 序 感性やセンスなんて言われるものは、本来、今ある具体的な何かの出来などではなく、それよりももっと高いレベルで、抽象的な領域で形を作れるかどうか、というようなことで、素人レベルの「センス」などまったくあてになりません。 なんだか最近やたらと「パクリ曲」の記事にアクセスが多いようですが、

» 美の増大の続きを読む


制限と美

君は美しい教養を備えた人間を探すのか?しかしそれなら君はちょうど美しい地方を探すときのように、やはり制限された展望と光景を甘受しなければならない。ー たしかに全景的な人間たちもいる。たしかに彼らは全景的な地方のように教訓的であってすばらしい。しかし美しくはない。 曙光 513 あえておカタイことをいうと、美しいとは、「羊+大」というこ

» 制限と美の続きを読む


奇人

その最上の作品や感動をくだらないと見なし、それを打ち明けたり述べたりすることの下手な小心な人々がいる。しかし一種の復讐心から、彼らは他人の同情をもくだらないと見なす。あるいはまったく同情を信じない。彼らは、自分自身のことに心を奪われたように見えることを恥じ、物笑いの種になることに反抗的な快感を抱く。ー これは憂鬱な芸術家の魂の状態であ

» 奇人の続きを読む


老いも若きも

老いも若きも。 楽しめるのが文化系。 ということでプレシジョンベースについてでも書いていきます。 わがパートナー Fender プレシジョンベース 一応初代のベースは、英会話の先生のお兄さんからのお下がりで、今ではお蔵入りですが、その後中3から使っている二代目プレシジョンベースをいまだにずっと使っています。 三代目のジャズベもあるので

» 老いも若きもの続きを読む


よいものすべてに必要な乾燥

どんなに新しいよい作品でも、その時代の湿った空気に触れている限り、― それはさらに、市場や、敵や、最新の意見などの匂いを、明日をも知れぬ無常なすべてを、いたく身につけているからこそ― その最小の価値しか所有しないということを、諸君は気づかれなかったのか?あとになると作品は乾燥し、その「時代性」は死滅する。 曙光 506 中腹 湿度が高

» よいものすべてに必要な乾燥の続きを読む


商人文化の根本思想

個人的な競争が古代ギリシア人にとって精髄であり、戦争や、勝利や法がローマ人にとって精髄であったのと同じように、商業が精髄である社会の文化が成立しつつあるのを、われわれは今日幾重にも見る。商人は一切ものを作ることなしに評価し、しかも彼自身の個人的な需要に応じてではなく、消費者の需要に応じて評価することを心得ている。「誰がどれだけこれを消

» 商人文化の根本思想の続きを読む


新年 2016

新年 2016

みなさま、あけましておめでとうございます。 2015年から2016年になり、年明けからすでに1週間以上経過していますが、あらためまして、あけましておめでとうございます! 正月の休暇のおかげで体はほとんど回復しました。 正月は白味噌の雑煮ばかり食べていました。例年は白味噌とすましを交互に食べますが、今年は白味噌ばかりです。 先日地下鉄に

» 新年 2016の続きを読む


性に合わない

更新がやや滞っていますが、もちろん放置や閉鎖するつもりなど毛頭ありません。 さて、「性に合わない」というお題は、大抵のことについて書けそうですが、少し絞りましょう。 人の性格を分類するような占いやデータ等、世の中にはたくさんの分類方法がありますが、中学校のときに感じた違和感と、比較的最近出た手塚治虫氏の「ブッダ」の劇場版についてでも書

» 性に合わないの続きを読む


悲劇と音楽

たとえばアイスキュロスの時代のギリシア人のように、心情の根本的な調子が戦闘的である人々は、なかなか感動しない。しかし同情が一度彼らの厳しさに打ち勝つと、それは彼らを夢うつつのように、「魔物の力」のように感動させる。 曙光 172 前半 アイスキュロスは、古代アテナイの三大悲劇詩人の一人とされ、悲劇を確立させたとされる人のようです。 さ

» 悲劇と音楽の続きを読む


ここはロードス島だ、ここで踊れ

われわれの音楽、それは海の魔物のようにそれ自体としては性格を持たないために、あらゆるものに変化することができ、また変化せざるをえない。 曙光 461 序 「ここはロードス島だ、ここで踊れ」 と、いきなり言われても、ロードス島がどこにあるのかわかりません(調べてみるとギリシャの南エーゲ地方にあるそうで、ナトリア半島沿岸部のドデカネス諸島

» ここはロードス島だ、ここで踊れの続きを読む


大瀧詠一氏

もう最近は、楽しかったり深く味わったりするより、静寂の中で静かにできるだけ何も感じずにいるほうが好きになりました。 しかしながら、久しぶりにCDを買ったりしたので、この方について。 かなり有名な方ですが、知らない人は知らない(僕より若い人なら)、というような方ですね。しかし彼が手がけた曲を聞いたことがない人は、この日本では生まれたての

» 大瀧詠一氏の続きを読む


ひとつの寓話

今年に入ってからですが、久しぶりに手塚治虫氏の漫画を読みました。 もう10年以上も前に一度読んだ作品ですが、改めて読んでみるとやはり今の「後々のキャラ化のグッズ化」を意図していない純化された作品だけに、作者の意志がよくよく染みこんでいると感じました。 手塚治虫氏の「ブッダ」 そんなことで読んだのは手塚治虫氏の「ブッダ」です。 もちろん

» ひとつの寓話の続きを読む


俳優の心理学

自分たちが演じる歴史的人物は演技をしているときの自分たちの気分と実際に同じであったと錯覚して、偉大な俳優たちは幸福になる。― しかし彼らはその点でひどくまちがっている。彼らが千里眼的な能力と詐称したがるその模倣力と推測力は、まさしく、態度や、声音や、眼つきや、一般に外面的なものを説明するのに十分な深さにしか到達しない。すなわち彼らから

» 俳優の心理学の続きを読む


道化師が必要な人

道化という字を見ると、やはり太宰治氏が思い浮かびますね。「人間失格」「道化の華」(青空文庫)などなど、道化ということについて自分塾を開きすぎたがゆえに入水自殺してしまいました。人間失格については以前に「恐れられる眼」で、少し触れましたね。 さて、無理をすると、どれほど凄まじいことになるか、ということについて書いていきましょう。道化師が

» 道化師が必要な人の続きを読む


新しいものを古いと申し立てる

多くの人々は、新しい出来事の話を聞くと興奮するように見える。彼らは、新しい出来事がそれを先に知った人に与える優越を感じるのである。 曙光 284 新しいギャグほど寒気を催すものはありません。歌モノやリズムネタ、一発芸など、小学生が真似をするようなものは絶望的なはずですが、大の大人になってもそのようなことを面白いことだと思っている人がい

» 新しいものを古いと申し立てるの続きを読む


われわれが芸術家になる点

だれでも或る人を自分の偶像にすると、その人を理想に高めることによって自分自身に対する弁明を行おうとする。彼は疚しくない良心を持とうとするため、それによって芸術家になる。彼が苦しむとしても、無知に苦しむのではなく、無知であるかのような自己欺瞞に苦しむのである。曙光 279 前半 アイドルに陶酔している人をよく観察してください。 さて、「

» われわれが芸術家になる点の続きを読む


変装した人

目下彼は品行方正になっているが、ただ他人にそれで苦痛を与えるにすぎない。そんなに何度も彼に目を留めるな! 曙光 275 「変装した人」ということで、最近ではあまり見かけませんが、十年以上前にはよく「女装したおじさん」なども街を歩いていました。梅田にも、ほどよく禿げつつ、ピンクのミニスカートという出で立ちのNさんがよく出没していました。

» 変装した人の続きを読む


人間の権利と特権

われわれ人間は、うまく出来ないときには、出来そこないの文章を抹殺するように自分自身を抹殺できるただひとつの生物である。― われわれがこうするのは、人間の名誉のためであろうと、人類に対する同情からであろうと、われわれ自身に対する反感からであろうと。 曙光 274 何故か曙光のこの箇所を見た時に、一番最初に浮かんだのが戸田誠二氏でした。イ

» 人間の権利と特権の続きを読む


お祭り気分

物思いに耽るようになりました。 ※(写真の方は僕ではありません) 最も熱烈に力を得ようと努力するほかならぬあの人間たちにとって、言葉で表し得ないほど快適であるのは、自分が圧倒されていると感じることである!渦巻きに沈むように、突然、深く、ある感情の中に沈み込むことである! ― まあ何という全くの無力さ!根源的な力に翻弄されて! ― もし

» お祭り気分の続きを読む


病人と芸術

あらゆる種類の悲観や魂の悲惨に対しては、まず食事の変更と肉体的な荒仕事を実験すべきである。しかし人間はこの場合、麻酔剤に手を伸ばしがちである、―  たとえば芸術に。それは彼らにも芸術にも禍いとなる!諸君が病人として芸術を熱望するなら、諸君は芸術家を病気にしてしまうことに気がつかないのか? 曙光 269 うつ気味になった時は、食事の変更

» 病人と芸術の続きを読む


演劇はその時をもつ

ある民族の想像力が衰えると、その伝説が舞台で上演されるという傾向が生じる。今や民族は想像力の粗雑な補充品を我慢するのである。 曙光 265 前半 昔の曲のカバー曲などを聴くと時に寒気がすることがあります。 オリジナルと同等以上の味があるのならばいいのですが、「なか卯」などで流れるようなカバー集のような曲は寒気がしました。その理由がよく

» 演劇はその時をもつの続きを読む


思い違いをしたがる

自称アーティストの方々は、よく思い違いをしたがります。アーティストの特性を分析し、その分析結果を元に自分を当てはめようとし、他人からはそう勘違いされるように仕向けていきます。 「何かつかみ所のない不思議な存在」 自称アーティスト、自称芸術家の方々は、特にこのような属性を自分に帯びさせようと努力します。 努力している時点ですでに違うので

» 思い違いをしたがるの続きを読む


音楽についての対話

自分の中では当然でも、人には理解されないことがあります。 しかし、相手が自分には理解できないようなことを言うからといって、その人の頭がオカシイと決めつけてしまうのは少し早急です。 千原ジュニアさんの「14歳」で、「太陽を紫で描いて叱られる」というシーンがありましたが、同じような経験があります。 しかし、その時の僕は「先生はおそらくオレ

» 音楽についての対話の続きを読む


夜と音楽

昼に聞く音楽より、夜のほうがなぜか盛り上がってしまいます。 よく言われるのは、日の明るい内、特に午前中は思考が優勢になり、日が暮れてくる頃からだんだん夜になるにつれて、感情が優勢になってくると言う点です。 だからこそ、感情的になりそうな話し合いは午前中にした方がいいと囁かれます。確かにその方がいいかもしれませんね。 しかし早朝というも

» 夜と音楽の続きを読む


舞台の道徳について

舞台、狭義には演劇を観ることには特にお金をかけたことはありません。 出演者が同級生、という誼で何度か行ったことがありますが、やはり体質的に合いません。悲劇対喜劇という項目で少し引用しましたが、かつて演劇には「感情の解放」という目的があったのでしょう。喜劇なら笑いに、悲劇なら悲しみや恐怖心をぐっと捉えることによって、感情移入による心的エ

» 舞台の道徳についての続きを読む


人間と物

なぜ人間は物を見ないのか?彼自身が妨害になっている。彼が物を蔽っているのである。 曙光 438 パスカルが嘆いたように、花の絵は見て実物の花は見ないという不可解な現象があります。目の前にある花を感じず、名作とされた花の絵にこそ関心が向くという、人間だけが持つ変な現象です。 芥川龍之介氏が春画を買いあさっていた時に菊池寛氏が「そんなこと

» 人間と物の続きを読む


恐れられる眼

威嚇された時よりも、こちらがギクッとする時の「こちらを見ているの眼」の方が恐ろしく感じる時があります。 それはまさに電車の中で英書を読んでいる人が、その真意を悟られた時です(電車で隣に掛けた客の本)。 世の中には、恐れられているものがたくさんありますが、その相手が「強いかどうか」より、「本気かどうか」の方が重要な事は言うまでもありませ

» 恐れられる眼の続きを読む