AI(人工知能)への皮肉とドラえもんの設計

AI(人工知能)への皮肉として、先程無駄な遊びをしてみました。人工知能自体への否定的な考えは無いのですが、人工知能への期待を寄せている人たちへの皮肉的な遊びとして個人的に楽しんでみたという感じです。

いつの時代も、革新的な考えを提唱する人たちは概ね「人が良すぎる」と言えばいいのか何というか考えが甘い人たちばかりだったりします。経済学でいえば、アダム・スミスもケインズもカール・マルクスなどもそうですし、アインシュタインですら「人は理性的にだけ行動する」という前提で考えてしまっていたというような感じです。

機械学習と言うと、データを集める系と、ルールを教えて自分で学ばせる系がありますが、例えばデータを集める系だったとして、そうしたデータ自体が正しいかどうかを判定するということは難しいですし、全員が全員「意図的に正しい情報を流す」とは限りません。

もちろん口語ベースの抽象的な表現を読み取るということは絶望的ですし、ドラえもんのような共感力をもたせるのは、ひとまず現状の技術者には不可能なのではないでしょうか?

ドラえもんのような共感力

そういえば最近TV版ドラえもんを観たりしているのですが、タイムマシンや四次元ポケットはさておいて、ロボットとしてのドラえもんを設計しようとするとなるとかなりの難易度になるということを思ったりしました。

その最重要ポイントは、共感にあると思っています。

人工知能の得意とするところは、「問題について、たくさんのデータから導き出して最適な解を出す」というところだとしましょう。そのために学習をさせているという感じですからね。

しかし、「のび太の宿題の問題を解決する」ということが、のび太くんにとって最適なことかどうかはわかりません。

例えば、災害救助などであれば、その状況を改善すること、命を助けることという明確な目的が設定しやすいですが、のび太くんの人格形成や成長にとって何が最適かということをどうやって判定するのかが極めて難しいと思います。

ドラえもんのように、時に少し困った顔をしながら「君はいつもそうだ」と答えて相手にしないという選択ができるのか、ということです。

しかしドラえもんは、いつもいつもそのように突っぱねるだけではありません。

時にのび太くんの保護者としておばあちゃんのようなポジションで、時に何でも語り合える友人として、そしてのび太くんと同じような目線で考えて最適な行動を起こすことができるのがドラえもんです。

同級生くらいの知能で、でも少しだけしっかり者くらいの感じで設計されています。

現状の延長では「宿題をやっておいてくれ」と言われて、代わりに問題を解いてしまうか、もしくはアホの一つ覚えのように「自分でやりなさい」と答えるかのいずれかのような感じになってしまいそうです。

宿題というものの目的を考えると、本人の学力をつけるためにあるものであって、仕事のように「片付ければよい」というような目的のものではありません。

しかしあまりに困っているのならヒントを出したりやる気にさせたり、時に手を貸しながら失敗をさせて気づかせるということも必要なのかもしれません。宿題は教育の手段であって、人格形成を含めた教育という目的があるのならば、そうした別件での失敗の気付きというものも必要になると考えられるからです。

人工知能を発展させてドラえもんを設計しようとするのならば、現状をどう判断するのがトータルで一番いいのかという、ドラえもんが持つような「共感力」をいかにしてつけさせるのか、というのが最重要課題だと思います。

僕のもとに帰ってきたドラえもん

人工知能への皮肉

さて、そんなドラえもんと人工知能への皮肉がどう関係あるのかという点ですが、概ね理系の人たちには最適な解を出すのが好きであり、抽象的な共感に欠けており、何でもかんでも理性的に事が進むと思いがちだという点です。その一部は、自己主張の強すぎる家電で触れたとおりです。

よく夫婦等々男女すれ違いで語られるように、「何か問題があった時にそれに対する解決策を提示するというのが正解ではない」という場合があるということを見落としがちです。

同情と共感で触れていたりしましたが、問題に対して直接的な解決策を提示するということでは、人の心を楽にすることはできないということがよく起こったりします。

例えば、ある男性が仕事上で何か行き詰まった時、今ある問題をぼんやり奥さんに話したりしたとしましょう。

その時の答えは、問題に対する解決策を提案してみるということではなく「頑張れ」と励ますことでもなく、無言で「大好きな激甘コーヒーを淹れる」ということであるかもしれないというような感じです(そう言えば同じようなシーンがLIVE A LIVEのSF編でありましたね)。

そういう意味では、動物は言葉を使って思考上の解決策をもたらしたりはしてくれなくても、非常に高い共感力で接してくれたりもします。

あえて沈黙した人もいるのかもしれない

まあ技術というものは、別にどこまででも進歩していけばいいと思いますが、最終的にはそれらを利用することが人間にとってより良いように働くのかどうかということは別問題としていつまでもついて回ります。

ドラえもんを例に取って考えてみた場合、極めて長い年月をかけてサンプルを集めていけば、ドラえもん並みの働きをするロボットは登場するのかもしれません。カメラから表情を読み取り、脳波を感知し、といった感じで、共感を含めた最適な解を出せるようになるかもしれません。

しかしながらそうしたロボットがいることが人間にとって人類にとって、そしてこの私にとって本当に良いことなのかは別問題です。

もちろん生産効率向上のためとか、災害救助のためといった利用は良いと思いますが、市民レベルでそれ以上は無いような気がします。

株式のトレードにしても、現状はAIを駆使しているところが頭一つ出て勝っていたとしても、参加者全員が同じレベルのものを利用しだしたりすれば、そのAIをどう発展させるかという人間の知恵比べの領域になるため、結局人間の力に依存することになるのではないでしょうか(といってもそれは基本的にゼロサムの世界なので、トレードで利ざやを稼いだりすること自体が社会全体にプラスになっているとは思えませんが)。

冒頭の方で触れていましたが、過去の偉人とされるような人たちも「人が良すぎる」という感じで、「その組織の上に立った人の心理の変化」とか、「その技術を得た人たちが考えるようなこと」という面を無視しすぎているという面があります。

そのような感じでいくら時代が進んだところで、生存本能に命令されるままというのが凡夫たちなのですから、理屈や技術だけが進んでも、結局表面上は進化したように見えて中身は動物と変わりません。

そんな感じで「思いついたけど、どうせロクなことにならないから黙っておこう」という感じで沈黙した人たちもいるのかもしれません。歴史には登場しない幾多の賢人が、あえて沈黙を守っていたのかもしれないと思うと面白く思います。

まあそんなこんなで、必要以上に、そして実力以上にAIを万能視している現代の風潮と検索エンジン、そしてそれを見越して貪りに耽っている人たちへの皮肉として、先程遊びとして極めて無駄なことをしてみたというような感じです。

今後もたまにやってしまうかもしれません。

最初は驚きもあるかもしれませんが、生活への影響はまだまだしれていると思います。

その後やたらとAIを進化させようとしている系の企業が、メール等々のデータを集めようとするような流れになりました。

そういう必死感が面白く感じます。

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

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