三大欲求といえば、食欲、睡眠欲、排泄欲ですが、どうしても最後の排泄は性欲と言われます。
明らかに全般的な排泄の方が衝動も大きいと思うのですが、どうしてなのでしょうか。
それに性欲より体温を維持する欲求の方がもっと強烈だと思います。
何かにつけて欲といえば三大欲求、みたいなもので、なんでも簡略化して考えてしまう癖が出ているのでしょう。
ブッダは人間の欲求をすべて把握していたそうです。
確かに把握しようとすればわかると思います。
中心となる欲の種類を把握すれば、あとはその組み合わせというだけになります。
こうした欲のジャンルについては仏教の専門書にでもお任せすることにしましょう。
スマートフォン時代の新しい欲、とか言っても結局昔からあるなにかの欲求がこの時代のフィルターを通しているだけで、見抜こうと思えば簡単に見抜けます。
名誉欲 権力欲 金銭欲
名誉欲、権力欲、金銭欲よくこれらのキーワードについて説かれることが多かったり、また、これらの欲求をテーマに商売をしたり、セミナーをしたり、「しゃべり場」みたいなことをしたりしますが、これらは非常にわかりやすいテーマです。すぐに終わってしまいます。
「みんなが欲しいもの」として、当然に認識されつつも、それを前面に押し出すと恥ずかしいという観念もあるため、うまい具合に逃げ道をつくることによって人を誘導したり、商売したり、宗教にはめたりします。
名誉、権力、金銭は、みんなが欲しいものとして認識されていますが、意外にそうでもありません。
これらの欲求の本質は、「制御の欲求」であり、その源流は「安心の欲求」です。
「安心」に対しての条件としての「恐怖心の克服」のための条件として「アイツ」が仮定したものです。
自分の生命の安全の確認のための条件としての仮定です。
ただ、それだけです。
たとえば名誉を手に入れて、どうしたいのでしょうか。
ある側面を捉えると
「嬉しい気分になりたい」
つまり喜びを感じたいということになります。
それは、名誉という形でなくてもすぐに手に入ります。
なぜ名誉でなければならないのか、「アイツ」に聞いてみましょう。
純化された欲求
つまりは条件クリアや段階など踏む必要などないということです。
そういう経験として五感で体験してみることも面白いかもしれません。
しかし、そこに執着や苦悶が生じるならやめておいたほうがいいでしょう。
実際に経験することもできます。
その時には、もしかしたら「なんだこれだけか」という感想が出てくるかもしれません。
それをあらかじめわかっている自我以外の領域があらかじめストップをかけている可能性もあります。
よく「ある資格を持っていない人は、その資格保有に憧れるのに、実際に持っている人は、今となればその憧れがよくわからない」というケースがあるかと思います。
自尊心が満たされていない人は、そんな憧れている人をいいことにバカにしようとします。そして自尊心を充足しようとします。
本質的に見るべきところは、そんなところではありません。
実際に資格を持っていて、日常に満足している人は、資格自体に対して意外にそんなに価値を感じていないという点です。
むしろ意識すらしないかもしれません。
本能的な欲求を一旦無視して、それでも「経験したいこと」というのはどんなことでしょうか。
いわば喜びのジャンルです。
安心して喜びを感じている状態がデフォルトです。
ただ、喜びにもジャンルがあります。
様々な楽しさや喜びの種類がありますが、とにかく経験したいジャンルはどんなことでしょうか。
ふと、本能に支配されそうな時、そんなことをぼんやり考えてみてください。
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