部屋の状態はその人の心理状態を表しているとかいう話があります。
その他「お部屋をきれいにして運気アップ!」とかいうのもよく目にするタイトルですね。
「そんなことは関係ない!」とも思いますが、やはり部屋はシンプルな方が気持ちはスッとするというか、気が散らないのは確かでしょう。
ということで物を捨てることは意識の分散を防ぎ、集中力を高めることにつながったりします。そして、捨てる時の痛みによって、その後の無駄な仕入れを防ぐようになったりもします。
―
捨てるときは一気に捨てたほうがいいのですが、なかなか思いとどまる人もいます。
コツとしては先に収納用品から片付けてしまうという点でしょうか。
「細かいものから先に」となりそうですが、先に大きいものを片付けると、かなりやりやすいと思います。
僕も昔、毎週のように風呂桶2杯分くらい捨てていった時期があります。
大量廃棄のメリット
モノを大量に捨てると、いくつかのメリットがあります。
- 検索時間が短縮されること。
- 意識を分散させる対象が減るので、何かに集中しやすくなること。
- 文字通り空間が空くので、圧迫感が減ること。
- 意識が「現在」に向きやすくなること。
そして、全てではありませんが、捨てる対象が昔「お金」だったことに気づくことです。
他にもあるでしょうが、僕が感じたのはこのような点です。
あとは、本当に空気が軽くなって澱みがなくなりますね。
「風呂上がりの爽快感」のようなものです。
空気の綺麗さは呼吸の深さにもつながるので、頭の働きにも間接的に影響を与えるはずです。
なのでより一層集中力が高まっていきます。
ジメジメとカビ
また、ジメジメした場所はカビが生えます。カビは毒を出します。
それが自分の動きを鈍らせていると考えても差し支えありません。
空気の流れが悪くなるとジメジメします。さらにそこにホコリが溜まるとさらにジメジメしてカビが発生しやすくなります。
古くなって着なくなった衣類や布団などは、その内側にジメジメが溜まります。
それらが自分を圧迫していると思っておいても差し支えありません。
長年着なかった衣類
新しい服を買うのはいいですが、その分着ていない服は捨てるか誰かにあげるか、売るかということをしなければなりません。
長年着なかった服、衣類については、もう一度着るとしてももう一度洗わなくてはなりません。その手間は、自分の時間と労力を消費するということです。自分で洗わないと慣れば、誰かに肩代わりしてもらうかお金を払ってクリーニングに出すことになります。
そんな時間と労力を消費するに値するのであれば、すぐに洗うということをしてもいいですが、そんな気力体力がない、ということなのであれば、潔く捨てるという選択をした方が賢明です。
売ると言っても、洗ってアイロンをあてて、フリマサイトに投稿する手間をかけて、それでいくらになるでしょうか?
時間と労力を考えて割に合うのならばいいですが、割に合わないというのならば捨てるに越したことはありません。
捨ててスッキリして働いて稼いで、また新しいものを買う方がよっぽど楽です。
背負いきれない重荷
衣類も同様ですが、様々な物や本なども、溜まっていくと自分には背負いきれない重荷となっていきます。
部屋が散らかっていて、物で溢れかえっている人がいるとしましょう。そして半ば引きこもりがちで、新しいことにチャレンジできないような感じになっているとしましょう。
そんな人は、もう背負いきれないのです。
抱えきれないほどの情報を既に背負っていて、もう荷を下ろさないと、歩くことすらままならなくなっている、と考えていただいても良いと思います。
「この重荷が自分の足を止めている」と思っていただいて差し支えありません。
そして、「『物』に人生を台無しにされてたまるか」と思っても問題ありません。
もう抱えきれないのです。もう背負いきれません。
物が目に入るたびに、「あの時はこうだったなぁ」という過去の情報を少なからず想起したりしています。
これは極端に言えば過去に縛られることを意味します。
ということは、自分が新しい世界に飛び込めないのは、文字通り「過去に縛られているから」ということになります。
その「物」には、良い思い出も含めて「過去」がたくさん染み込んでいます。
そしてそれが自分を縛っているということになります。
縛られているのです。それでは歩みを進めることは難しくなってしまいます。
廃棄の対象物は少し前までお金でした
さて、大量に捨てて「もったいない」と感じてしまう場合、それをあまり使ってこなかった可能性があります。
捨てれば捨てるほど、身が削られるような思いになると思います。
廃棄される「物」はそれがチラシであれ、一応お金をかけて作られたものです。しかもお金がかかっているということは、何かしらの労力までかけられています。
そこで痛みを感じれば感じるほど、浪費はしなくなります。
つまり、無駄な出費をしなくなります。
それが進むと、「割得だ」と、500ml買っていたものを350mlにしていくかもしれません。
出すべきものを渋ったり、苦しんで出費を抑えるのは吝嗇(ケチ)の範囲ですが、物を捨てて痛みを感じて、必要なものにだけ意識が向くようになると、お金をいいふうに使えるようになります。
モノに限らず情報も対象となる
これは特にモノに限った事ではありません。
お金を「時間と労力」と換算した場合、様々な情報を捨てれば捨てるほど、より的確な意識の向け方をできるようになります。しかも疲れまで減ります。
電話に入っている「連絡先」然り、アプリケーション然り、よくわからない知り合い然り、ということは特に意味のない付き合いやSNSでの「友達」然りです。
そうしたものを削除すればするほど抱えるものは減るため意識の分散を防ぐことができます。
過去に縛られなくなった分、新しいものを入れる空間が生まれます。
そして不要な情報を仕入れようとも思わなくなっていくので、より意識の分散は減り、集中力が高まっていきます。
フローとストックを嗅ぎ分ける
流動的なものと固定的なものを見分ける、というか嗅ぎ分ける感性まで磨かれます。
実を言うと、全てフローなのですが、会計上、短期と長期で流動と固定を分類するように、フローとストックを嗅ぎ分けるようになります。
「永遠」という言葉が好きな頃は、なかなかわかりにくいですが、「もって1週間」のものと「おおまかに50年」くらいはすぐにわかりそうなものです。
自分の親とも過ごせる期間は限られています。
多少の前後があったとしても、いいところ5,60年でしょう。
それは悲しいことでも何でもないのですが、はっきり意識しないと、このことをわかっていても普段はなんとなく「永続」するかのような感覚になってしまいます。
「この『モノ』がもたらしてくれる有用性はどれくらいで、どれくらいの期間なのだろう」
一度はそんな感覚で過ごしてみるのも面白いかもしれません。
そうなると「数年しか一緒に過ごさない、しかも気が合わない人」と過ごす時間のことをすごく馬鹿らしく思えるかもしれません。
一度遠くに置いてみる
捨てる前にしばらく目に付かないところにかき集めて、放置してみるのもいいかもしれません。
一旦押入れに入れてみるといったことをしてみると、押し入れに入れていたことすら忘れてしまうということが起こるかもしれません。
一旦遠くに置いてみて、それでも「やはり困った」ともならないものは、すべて「必要ではなかった」ということになります。
捨てて困るものなど早々ありません。
それは明日には忘れているかもしれない「知り合い」もそうです。
「意識を分散させずに、重要なことに集中させる」これだけで十分です。
―
一度捨てきると、毎回の掃除も楽になるので一石二鳥ですね。
最終更新日: