透明感への没入

僕は透明感に惹かれる時があります。

そして元々視覚よりも聴覚優位なのか、声に惹かれる部分があり、透明感のある声に多大なる魅力を感じたりします。

My Little Loverには透き通った風を、Coccoには海洋深層水のような透明感を感じます。

「風と水の名において解き放て」

といった感じで、全身の毛穴が透明とつながるようなそんな気がしてしまいます。

声で世界が透明になった日

結構前になりますが、以前勤め人の頃、仕事終わりに同僚に声をかけられ、

「そこにMy Little Lover来てるで」

と言われました。

新風館に来ていました。

不意打ちもいいところです。

「透明感に浸りに行くぞ」という気持ちで、チケットを購入し、当日までの間に心の準備をしてから会場に向かうのとはやはり違います。

僕は軽いパニックを起こしていました。

半ばパニックになりつつ、同僚と新風館に向かいました。

その日はMy Little Loverと持田香織氏が来ていました。

よくもまあ僕が思春期の頃に憧れた年上のお姉さんたちをここまでセットで持ってくるなという感じです。

僕たち世代の客層を狙ったものなのか、小学校高学年から中学生の間くらいのときのあこがれをそのままにという感じです。

鼻血が出そうになりました。

「さあいざ行かん!」

という状態で心の準備をしていたわけではなく、不意打ち的にすぐそこに来ているという形だったので、混乱が増し、卒倒しそうになりました。

この時初めてコンサートで倒れる人の気持ちがわかった気がしました。

で、実際にMy Little Loverの声を聴くと、混乱から透明感の没入へと様子が変わってしまいました。

興奮からの卒倒という方向だったのが、透明感への没入によって僕は骨抜き状態になりました。

ただそんな形で透明になってしまうような感覚だったというだけの記憶しか無く、素晴らしい出来事のはずなのにあまり記憶がありません。

なぜ透明感に惹かれるのか

いままではなぜ透明感に惹かれるのか、とりわけMy Little Loverのあの透明感に惹かれるのかが自分でもよくわかりませんでしたが、先日親戚が集まった時にそれに気づいてしまいました。

「血の繋がった親戚の女性陣の声に似ている」

という単純なオチでした。

とりわけ、既に亡くなっていますが、超絶甘党のおじいちゃんのお姉ちゃんの声に似ているということに気づいてしまったという感じです。

もちろんその人の声はピッタリ同じというわけではありませんが、晩年の声は、老化による身体的な影響で変質しているだろうという予測があり、「若い時に同じ歌唱法で歌ったとすればそっくりだったのではないか」というような予測を意識が勝手に判定したというくらいのことだろう思います。

もちろんそれを除いても、akko氏の声には普遍性を持った美しさを感じますが、僕の場合は特に遺伝子的な作用がブーストを掛けているのではないか、と思ってしまったという感じです。

Category:music 音楽

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