現代の精神状態の反映としてわかりやすいのが、音楽や映画などなど、文化面において「何が流行っているか?」というような点になりますが、最も如実に表すもののひとつが「笑うポイント」であると昔から思っています。
先日たまたま知人の教え子である大学生たちとお話をしましたが、一番感じてしまったジェネレーションギャップは、強烈さへの耐性とか、笑いへの昇華への部分であるような気がしました。
特定の文化や出来事について、知っているとか知らないとかそうした部分はさほど問題になりません。
しかしながら、何事も真面目くさってしまうという部分が増しているような感があります。
極端に言えば、公務員化、本来商人文化である関西への武家文化の侵食という感じで捉えることにしています。
つまり単純には、笑うようなことに関して「それって笑うようなことですか?そういう人たちに対して失礼じゃないですか?」というような義務教育感が増しているという感じです。
ちなみにそんなことを言われたわけではないのであしからず。
元来関西圏は古くから商人文化が強く、交渉事等々利害関係がある場合に、気まずくなるのをうまく避けるために笑いの文化が発展したという感じになります。商人の知恵という感じです。
もちろん京都は公家文化も武家文化も商人文化も混在しているような感じですし、武家文化にも良いところがあるとは思っていますが、何事も深刻に考えすぎるフシが根付いてきているような感じがしてしまいます。
真面目すぎる接待術
真面目すぎるという点で思い出しましたが、真面目すぎる接待術というものがあるようです。聞いた話ですが、あまりに真面目すぎて少し笑ってしまいました。
接待イコール相手を喜ばせる的な感じで捉えているのか、マニュアルに書いてありそうで、ドラマなどで描写されそうな丁寧な接待方法をする人がいます。
しかしながら根本をたどるとラポールが生まれればそれで良いので、そうした表面的な言動はあまり意味がありません。それどころか、変な緊張を生み出してしまうので、その緊張の非言語的な伝達によって逆効果にすらなったりもします。
まあそれでも、自尊心の欠落した「褒められたい系の人たち」にはそれでいいのかもしれません。
で、真面目すぎる接待術についてですが、誰が言い出したのか、「相手が女性の場合は、その女性よりも年上の人がタイプだと言わなければならない」というようなモテテクがあるようです。
すなわち本音では、20歳そこそこの女優さんか何かが好きだったとしても、相手が30歳ならば、30歳から35歳位の女優さんのことが好きだと伝えるようなマニュアルです。
自分が女性で相手が男性であっても同様というようなことのようです。
それで面白いのが、事前に相手の年齢層がわかっている場合は、そうした嘘をつく用にWikipediaで嘘用の「好きなタイプの異性の経歴」調べてから接待に挑むということのようでした。
バレたら寒いはずですが、バレないと思っているのでしょうか。
別の日に接待したAさんとBさんは、年齢層は異なっていても知人であるということが推測できないのでしょうか。
こうなると真面目なのか横着なのかがわかりません。
少なくとも無理をしているという意味で憐れにも見えます。
こんな時にも「本人は好かれようと努力したんだから否定すんなよ」というようなことになるのでしょうか。
「無理したらあかんで」と、笑ってやればいいのです。
ちなみに僕は平気で本人に「無理したらあかんで」と笑いながら言います。
その方が自分も相手も楽ですからね。
笑う月(一覧)
仕事上においては、いわゆるビジネスライクに過ごすこともありますが、対面する形で人と会った時、「この人とは友だちになれる」と思える基準として「冗談ですませられる話を冗談ですませることのできる人かどうか」と言うようなポイントがあります。
時代によって変化する要請と抑圧のあり方によって笑うポイントに多少の差異はあるでしょう。両価感情と抑圧において、環境要因が異なるため、ジェネレーションギャップが生まれるのは致し方ありません。要請の男女差による差異も同様です。
ある人にとっての「面白い」が、ある人にとっては「面白くない」のは、なぜなのか
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