最初から計画して嘘をつくということは詐欺師並の輩にしかできない芸当ですが、時に人は嘘をつきます。お金が絡んできたり異性絡みだったり、はたまた地位や名誉などに関する事柄となると、人を心底信用することはできません。
嘘と言ってもその種類は様々で、ただ自分を守りたいだけなのか、私利私欲のために相手を陥れるためのものなのか、相手を傷つけないためのものなのか、それとも相手の状態を見越してひとまず仮止めとして方便を説くかといったような感じでたくさんのパターンがあります。
夏目漱石氏の「こころ」を再読
諸法無我で少し触れたりしていたので、最近また久しぶりに夏目漱石氏の「こころ」を再読してみました。
初めて読んだのは19歳位の時でしたが、その時に受けた衝撃を含めて今現在でも最高の文学作品だと思っています。
以前に少し触れていたこともありましたが、「こころ」を読む少し前、まだ高校生だった時のことですが、ある友人に「お金と異性が絡んできた時の人は信用するなよ」と言われたことがありました。
「そんなもんなのかなぁ」
という感想くらいしかありませんでしたが、何となくはわかるような事柄だったので、一応頷いていたような記憶があります。
彼としては別に「こころ」に影響を受けたわけでも何でもなく、実際にそれを痛感するような出来事があったようでした。
その後もたくさんのことを経験しましたが、確かに特に積極的に、能動的に嘘をついたり欺いたりするつもりはなくても、結果的に裏切りのような形になってしまったり、お金が絡んだりしてこっそり騙そうとしてくるような人にもたくさん出会いました。
「かなり遠い親戚」による陰謀
そういえばいつの日だったか、かなり遠い親戚から電話がかかってきました。
なんでもその人とは別の「かなり遠い親戚」で天涯孤独の人がいて、その人が亡くなったので遠縁の親戚たちに土地の相続の話が出てきたという感じのことのようでした。
うちのおばあちゃんあてにかかってきたのですが、最初電話に出た僕に対してその親戚は、「ハンコだけもらいたい」という旨を伝えてきました。
その後、おばあちゃんのところにその親戚が来たようですが、蓋を開けてみると相続権の放棄の意思を示すような書類だったようです。
不動産業界にいた叔父が書類の意味を見抜き激怒して追い返す
叔父(おばあちゃんの息子)が元々不動産関係の会社をしていた人だったので書類の意味を見抜き、激怒して追い返したということのようでした。
相手の言い分としては、その人の家の近くだから自分が先祖代々のその土地を守るのだとか何とかそういうことを言っていたようです。
まあ結果的にいくらかの現金がおばあちゃんのもとにやってきて一件落着と言う感じでしたが、叔父さんがいなかったらその「遠い親戚」はわけのわかっていないおばあちゃんを騙す形で土地を独り占めしていたということになります。
その話を聞いて僕は少しばかりショックでした。
当時まだ十代だったと思いますが、額は小さいもののまるで夏目漱石氏の「こころ」で出てくる通りのような出来事です。
法律の専門家も加担した「ほぼ詐欺未遂」
そのような感じの出来事は、ほぼ詐欺未遂であり、明らかに人を騙そうとしていたわけです。しかしながらそれだけでなく、その遠い親戚は専門家が作成した書類を持参していたということで、その奥を見ると法律の専門家もそれに加担していたのです。
まああくまでその専門家の人としては、自分の客からの依頼を受けただけですが、そうした人たちはどういう神経でお偉方ぶっているのだろうということを思いました。
法に関わっていながらどのような倫理観で生きているのかと言うような感じです。世間的には「先生」などと呼ばれ、すごい人扱い、善人扱いされているのにその実は詐欺のようなものに加担しているのだから二重に悪徳です。
話の流れや書類のあり方などを見れば、八割以上「親戚の高齢者を騙して独り占め」という感じの構造が見抜けるはずですが、「それはそれ、これはこれ」といった感じで、何とも思わず関わっていたのだと思うと、法律の専門家だから信用できるというわけでもない、ということがよく分かった気がしました。
嘘をついたり嘘に加担したりする要素としての「面倒くささ」
その後もそのように感じざるを得ないことをたくさん経験しましたが、人が嘘をついたり嘘に加担したりする背景には「ちゃんとやるのはめんどくさい」という要素が少なからずあるのだろうと思いました。
営業という仕事の上でも、一から十まで相手のことを考えたいのは山々ですが、真剣に考えすぎたり、あまりに難しい話をするとそれはそれで相手は混乱し、不快になり、結局は営業話はご破綻になるということも多々あります。
だから知っていてもあえて話さない、たくさん選択肢があってもあえて提示しないということが起こるのだろうということです。
嘘に合わせるように現実が展開することもある
しかし一方で、その時は「厳密には嘘」であっても、その嘘に合わせるように現実が展開することもあります。
「先の保証などどこにもない」という状況であっても「大丈夫だ」と繰り返し説き続けていれば、本当に大丈夫な状態に変化するということもあります。
しかしその時、一方で「大丈夫」といいながら、別のところで「やばいんだ」などと言ってはいけません。
常に「大丈夫だ」と言っていれば、どんなときでもふと「大丈夫だ」と心の声がするようになります。
少しばかり気持ちが怯んでしまったとしても、間髪入れずに「大丈夫だ」なんてな声がしてくると、一歩踏み出すことができます。
生きている限り選択の連続だからこそ日頃から「大丈夫」と声に出す
生きている限り選択の連続です。そんな時にだいたいやったことのないこと、何かしらリスクのあることを目の前にすると、「やめておこう」と思ってしまいます。
「特にやっても仕方ない」とか「やらなくても問題はない」というような物事の局面において、やるかやらないかということになれば、だいたいは「やらない」の方を選択してしまいます。
長期的に見ればやったほうが良いことだと思っていても、「今やるかやらないか」という面に関して「明日でもいいかなぁ」というような事柄であればあるほど、だいたいやらずじまいで終わってしまいます。
そんな感じの事柄はたくさんあるのですが、先延ばし先延ばしにすると、結局そうしたチャンスもいつしか無くなっていたりします。いつまでもチャンスがあるわけではないのです。
ということで、日頃から「大丈夫」と言っておけば、そうした選択の際に「大丈夫だ」という声がするので、どんどん事が展開していきます(不安感を解消する極めて簡単な第一歩)。
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