新しいPC環境

最近、新しいデスクトップPCを買ったりして、PC環境を大きく変えてみました。元々、物は長く使うどころか基本的に潰れるまで使うため、既にサポート終了済みのWindows7を長らく使っていましたが、今さらながらWindows10が入っているデスクトップPCを買いました。ということで覚え書き程度に記しておきます。

CPUは少し前の世代のCore i7で、メモリは中途半端に24Gです。そして今回初めてSSD搭載のPCにしてみました。

「クソ速い」

のひとことです。

以前のHDDのPCは起動に時間がかかっていましたが、今回のPCは、以前のPCの「スリープ解除」くらいの時間で起動します。

その他、PC本体購入より少し前から、ブルーライト低減系のモニタを買ったり、マウス・キーボードをエルゴノミクス系にしたり、それよりも手前に机と椅子を買ったりと、ありとあらゆるPC環境を変化させました。

求めたのは「時間の短縮と負担の軽減」

エルゴノミクスマウスとエルゴノミクスキーボードに慣れるまでは違和感がありましたが、それも今では馴染んできました(当初、メイプル指板のストラトキャスターから、ローズウッド指板のプレシジョンベースに持ち替えるくらいの違和感がありました)。

少し未来に来た感じもありますが、それでも結局PCで行っていることは以前と変わりありません。

ということで、求めたのは単純に「時間の短縮と負担の軽減」くらいです。

あいも変わらずデスクトップなのは、やはり「さあやるぞ」という感覚を大切にしているからです。これは常時接続的な状態がもたらす疲弊を回避するという面の裏返しのような感じです。

OSバージョンの関係上アプリのバージョンアップができず使用不可に

そういえば、たまたま「LINEか何かで」ということになり、久しぶりに昔使っていたiPhoneでLINEを起動してみましたが、OSバージョンの関係上アプリのバージョンアップもできず使用できないという状況になりました。そして、アカウント情報を見ようと思ってもバージョンアップを促す画面から動かせず引き継ぎすらできないという感じになりました。

まあ使わないので別にそれで構いません。

こうした感じでLINEに限らずアプリというようなものは、すぐにOS面での下位互換性無きまま、どんどんバージョンアップしていきます。つまり新しいものを買えということなのでしょうが、こうしたところに共感性なきシロナガスチ○ポの流儀を感じてしまうわけです。

考えてみると家の電話の電話機など20年くらい前からずっと同じです。友人の家では未だに黒電話という家もあります。

「よほどのことがない限り、使えなくするなんて」というような配慮が日本の文化として古くからあるような気がしますが、そうしたものも、結局ハードとOS的な都合でどんどん叶えられなくなっていきます。

少なくともWindowsは、そんなことはなく、古いソフトでも昔のOSモードで使えたりもするので配慮がなされている感があります。ということで、PCにおいてもWindows一択です。

「やっていること」は昔からそれほど進化していない

さて、そういえば最近旧石器時代というような言葉をちらほら見る機会があります。それは比較的新しい世代の人達による、古いものや古い世代への印象のようなものなのでしょうが、残念ながら、結局「やっていること」という面ではPCにおいても、生活においても、昔からさほど変わったりはしていません。

PCにおいても、XP時代からさほど何かが変わったかというような印象がありますし、インターネットがブロードバンドになってから以降は、様々なサービスで特に目新しいものは見当たりません。

変わったのは普及率くらいなもので、幅広い対象に広まったという程度です。やっていることは昔からそれほど変わりはありません。

個人の消費者レベルで考えても、結局誰かと誰かが文か音声か動画でやり取りするか、サイトや動画を見るか、ゲームをするかというようなことくらいしかしていないはずです。

旧石器時代にちなむならば、人は所詮「食って出して寝る」ということくらいしかしていないのと同じです。

ということで私事としても新しいPCになったからといって特にやることは変わっていないのですが、少なくとも動きが速く、負担が軽減されるという感じにはなったので、買った分以上に取り返せそうな気がしています。

Category:IT &Internet パソコンとか通信とか

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