トリックスターによって混沌が生成され、その混沌から新しい秩序が生まれる、というようなことがあります。そうなると、最初は厄介者扱いだったトリックスターは、新しい世界をもたらす鍵として評価されます。
いたずらというものは、その秩序の体系の穴をつくようなものであり、ある空間、空間の論理の不完全性を示すようなものになります。そして、その不完全性を示し、空間を壊し、再構築させるというようなことにつながっていきます。
社会的に考えれば、義務教育の成れの果てのような、鬱屈したギムキョ空間に対する矯正のような機能があります。
そういうわけでトリックスターは排除するようなものではなく歓迎するべき存在です。異物、危険因子としてだけの評価ではなく、盲点を取り除くための起爆剤として機能するということがあるからです。
トリックスターとの遊び
友人5人を足して5で割ると自分になるというようなことが言われたりします。
そう考えると、自分の中のトリックスター性だけを抽出したような友人が一人頭に浮かびます。トリックスター性の象徴です。
ただ、狂気の型、トリックスターの性質として、僕は仮性ですが彼は真性です。
その友だちと遊ぶと、まるで自分の中のその部分だけを見るような感覚になり、少し遊ぶだけで混沌が生成されます。
本来、四方八方に意識が乱れ、支離滅裂な空間に入ると、秩序の快適さとのギャップから苛立ちが生まれますが、その時は遊んでいるだけなので、あえて生成された混沌空間の中に入ることにしています。
遊んだ日の夜、無意識だけの世界である夢の中は、混沌そのものとなります。
そして次の日は、より一層男性化したような感じになります。それは「野生化する」という表現が一番近いような気がします。
女性を排除し、男友達のみと遊ぶだけでも男性ホルモンは活性化されるというような話も聞いたことがありますが、そうしたものがさらに濃縮されたような感覚になります。
野生のエネルギーで混沌の海から秩序を生み出す
思考は情報を操作するという一種の運動ということになります。力むと脳の中の運動の部位や体そのものにエネルギーを持っていかれるというだけで、一応頭の中では体を動かすのと同様に情報空間で運動しているというような感じになっています。
トリックスターによって、それまでの秩序が混沌の海になります。それに対して「野生化」レベルに活性したエネルギーを使って、新しい秩序を生み出すというような現象が起こります。
それは「ひらめき」という形で訪れることもありますし、無意識レベルでブレーキがかかっていた対象に対する「思い切り」として表現されることもあります。
また、そうした意識状態の変化が周りの人に伝播して、様々な状況が変化することがあります。
擬似的な混沌の生成
さて、僕は個人的に「独り時間」が少なくなると体調を含め調子が悪くなる傾向にあります。そうした時は、深夜の独り時間が非常に贅沢に感じたりします。
独り時間の過ごし方の質と量によって調子が変化するという感じなので、その時間を凝縮して利用するために、擬似的な混沌を生成すべく工夫をこらしたりします。
ある空間に没入するというのが手っ取り早く、特にマンガや音楽の空間に入り込んだり、それらを組み合わせるというのが即効性があり有効的です。
少し前は、古谷実氏の「僕といっしょ」や「グリーンヒル」を読んで過ごしましたが、それだけではまだ回復が追いつかないので、昨日は、漫☆画太郎氏の「星の王子さま」を読みながら、黒夢のFAKE STAR、カマキリ、少年などをある程度ループして聴いて過ごしました。
爆笑の合間に、ハハハでもなく、フフフでもなく、クックックッのような笑いが出てくれば成功です。
近所のシングルマザー家庭の家にやってくる「エリンギのような髪型で遠くから見るとエノキに見えるような交際相手の男」の車が、一晩中その家の前の路上に駐めてあるとしましょう。
その車のフロントガラスに、う○こで「エノキち○ぽ」と描いてやりたくなったら成功です。
その気持ちが生じたら成功なので、あとはおやすみです。
翌日には活力とひらめきが待っています。
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