過去の最適化と固有名詞依存による風刺の抑制

文化的昇華のひとつとして風刺というものがあります。一度抽象化してまた具体的な何かに置き換えて行うそれは、「皮肉的な批判を文化的に行い、対象を笑い者にすらする」ということができる上に、直接の名指しとはならないため、誰かに対する批判であっても言い逃れすらできるという面白さを持っています。

かつてからそうしたものがよく用いられていた感じがしますが、近年ではそれがやや下火になっており面白みに欠けるという感じがしています。

以前にも少し触れていましたが、その背景にあるのは、「人の注目」において過去を前提とした最適化やそれに伴い生ずる固有名詞依存ではないかと思うことがあります(情報が内部循環することによる疲弊)。

人の注目と固有名詞依存

情報への到達において用いられる各種検索の利用において、利用者は既知の概念から検索を行います。その他パーソナライズされたリストにおいても、興味関心の対象は基本的に既知の概念やその派生という感じになります。

ということで、主たる軸となるのは様々な固有名詞となります。

なので、広く知れ渡った固有名詞を用いなければ、人の注目を浴びにくいということになり、作り手、発信者は固有名詞を用いることになります。

つまりそこには固有名詞への依存があるわけです。

検索対象となる固有名詞を用いないと人の目に触れないということで、作る側、受け取る側双方が固有名詞に依存し、具体的でずるむけな表現の方に向かいやすいという構造が必然的に成り立っているという感じになります。

検索と相性が悪い風刺

しかしながら、風刺というものは、直接的な名指しを行うものではありません。そこには批判精神がありますが、直接的な名指しを行うことが野暮ったく、また直接的なぶつかりあいも野暮ったいということから文化的に昇華するというのが風刺です。

ということで風刺は直接固有名詞を用いるわけではないので、過去の最適化から導かれる検索という機能の空間における「人の注目」に関していえば、かなり不利になります。

そしてハナから検索という空間における情報でなくとも、結局「人の注目を得る」ということを意図した場合、固有名詞や直接的な名詞、ずるむけの概念が用いられます。それはタイトルを要約することや抽象化し象徴化したものにするということを避け、タイトルだけで全体の概要がわかってしまうようなものが用いられやすいというような感じです。しかしそれは洗練とは逆行しています。

文化的格差の拡大の予感

そしてそうした風潮が蔓延すると、文化においても格差が拡大していくでしょう。

これは多義性や曖昧さを嫌う気質の影響により、「風刺の意味がわからない」「はっきり言ってくれなければわからない」という人たちが多くなっていく一方、風刺的意味を理解する者は、「全体的なつまらなさ」からより一層「直接的には理解できない表現」の方のへの関心が高まり、両者が分断されていくというような感じです。

それが良いのか悪いのかはわかりませんが、過去を前提とした最適化と固有名詞依存の傾向は、固有名詞を用いない風刺を抑制する性質を持っているような気がするという感じがしています。

ということで、また個人的に風刺的なことをしてみたくなるような気がしています。

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