話し相手が欲しい時

話し相手が欲しい時、話を聞いて欲しいというような感情が昂った時、普通は話し相手を探そうとしてしまいます。

たいていそんなふうに話し相手が欲しい、話を聞いて欲しいと思っている時は、何かしらの抑圧されたもの、鬱憤といったものが溜まっていたり、頭がまとまっていない状態だったりするので、聞いている側は面倒だったりします。

ほとんどの場合は、建設的な意見が欲しいのではなく、ストレス解消を目的としています。

旧来から掲示板やチャットというものもありますし、最近では、話し相手を探す系アプリの広告がよく出たりします。

しかしながら、本当に話し相手というものは必要なのでしょうか?

「話を聞いて欲しい」という衝動をぶつけるだけ

もちろん人と話をするのは良いのですが、「話を聞いて欲しい」という衝動をぶつけるだけというのはどうかなと思うところがあります。

親戚に数名、まさに「話を聞いて欲しい」系の人たちがいます。

最近では、意図的に会わないので全く困ってはいません。

陰謀論を含め「情報を吐き出したい!」という相手の感情エネルギーをぶつけられるだけだったり、憂さ晴らしの怒りをぶつけられる(第三者の悪口が多いですね。直接僕が攻撃されているわけではありません)だけなので面倒です。

これを客観的にモデル化して考えると、僕は、彼、彼女たちのう○この処理をさせられているようなものです。

頷くのも面倒です。

なので会いません。

ということで、そんなことは自分で解決すればいいのです。

絞り出すように紙にすべての思考を吐き出すように書き出す

それには紙への書き出しが一番です。

絞り出すようにすべての思考を吐き出します。

どんな些細なことでも、どれほどくだらないことでも、どれほどスケベなことでも気が済むまで書き出したら、たいていは「人に話す必要などないのではないか?」という感じになります。

それでも話し相手が欲しい、話を聞いて欲しいという感情エネルギーが残っているなら、まだ書き出しが足りません。

もちろん人と会ってもいいのですが、相手が嫌な顔をしたり困るような話題を振って不快にさせてしまう可能性があるのであれば、その前に絞り切るほど思考を書き出して自己解決しておくと、そうした気まずさは無くなっていきます。

別に人を不快にさせることを恐れる必要はありませんが、「自分の不快感を話し相手に解消してもらおう」とするのは、本来誤りです。

言語化の訓練と思考のエネルギー

ちなみに僕は幼少期から小学校高学年くらいまで、同じ話を一日に最大7人くらいにしていました。

実際問題としては、相手が聞いていなくても問題はないのです。

ただ、印象の言語化の訓練をしていたということと、思考のエネルギーがなくなるまで話し続けていただけ、という感じです。

母としては大変だったと思います。

思考のエネルギーが尽きて眠るまで、布団に入りながら1時間も2時間も話し続けているのですから。

ちなみにいつもいつもではありませんが、娘も1歳後半から僕と全く同じことをしています。

日中はどうかというと、日中も僕と話しまくっています。

今後、学習とは全く関係なしに思考を書き出すことを教えるつもりです。

「快さ」を掴むまで書いてみる

本来、言語というものは、心にとって苦をもたらすものです。

「名称」を用いるからこそ思考が起こり、判断が起こり、無駄な感情が起こるという感じになっています。

本来それを取り除けば、「それはそのまま」となります。

五感のまま、という感じになります。

しかし日常では否が応でも「言語」が出てきます。

それはそれでただのシステム、反応にしか過ぎないのですが、それが苦をもたらし、「苦を吐き出したい」という気持ちにしていきます。

それは「混乱し、頭がまとまっていないだけ」というわけではく、それとともに思考の暴走エネルギーを抱えているような感じです。

それをひとまず鎮めたい、ということで「話し相手」を欲したりもしますが、人に話さなくても、手書きで紙に「思考」を書き続けているとそれは落ち着いていきます。

ちなみに、個人的には幼少期や十代の頃は別として、20歳以降くらいからは人と話したい、話し相手が欲しい、話を聞いて欲しいということは特に思いません。

ただ、人に話して頭をまとめていたり、記憶を定着させていたりというようなことはあったような気がします。

というような僕が、ひとまず落ち着くまで、というより「もうそろそろいいだろう」と思うまで日を分けて紙に書き出すと、概算ですが結局字数は10万字以上になってしまいました。

自我レベルでは、僕の頭はそれくらいうるさいんですね。

余談ですが、元々スーパーZ会である僕がその方面について、できる限りのイメージを記述すると、数行、つまり1分経たずに10代レベルのギンギンZになりました。

「全く役に立たないんだ」

という男性諸君がいれば、医療機関に駆け込んだり、薬を飲んだりする前に、一度思うままに書いてみるというのもよいのではないか、と思います。

とにかく誰に見せるわけでもないので、思うままに、合理性など排除して「夢」を書いてみてください。

それを実現したいとすら思わないほどに、その空間に没頭してみても面白いと思います。

女性に興味がなくなってしまうレベルにまで書き続けます。

そうすると、女性に気を使うような「自信のない感じ」が無くなっていくかもしれません。

さらに「いつでもどこでも、紙とペンがあれば瞬間Z」の自信もつきます。

といっても、非Z会の方は、どの程度まで体が反応するのかはわかりません。

Category:miscellaneous notes 雑記

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