情報が溢れてくると、情報過多による頭のオーバーフロー以上に面倒なことが起こります。
ひとつは、広い意味での「現在の最高位の科学や統計に合致しているか」という思考の狭まりが起こることです。
もうひとつは、身体的な感覚が失われやすくなることです。
現代の病のひとつは、「効力感」です。自己効力感のなさ自体よりも、それを「擬似的で根本解決にならず、身体性を伴わないもの」でごまかそうとすることと、最適解だと思っていたことが実際の実行において、実はあまり機能しないというようなことが多い環境にあるということです。
効力感というものは、実は大したことがありません。
「蛇口をひねったらきちんと水が出た」という程度のことです。
その構造は同じで、あとは分野や規模だけの問題です。
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ある程度確からしい情報がすぐに手に入るようになると、それが答えかのように見えますし、仮に答えではないとするならば、それを上回ったり、別の角度から見て、その確からしい情報を覆す必要が出てくるように感じます。
そこでその答えを実際に採用したりするのですが、実際の現場ではうまく機能しません。
別にこうした構造は、昔からあります。
法律上、労働時間は一週間で40時間のはずなのに、うちの会社では誰も文句を言わず、残業代もまともに払われないまま毎日12時間働いているのはおかしいのではないか?
というようなものがわかりやすいかもしれません。
かといって、それを普通に会社に伝えても、改善されないということは昔からよくありますし、昔の方が、上下関係万歳で、下の人をナメてかかっていたのでもっと酷かったと思います。
「明らかに正しいことを言っているはずなのに通じない」
という感じです。
しかし、情報があふれ、さらに、すぐにその情報を得ることができるという環境が加速しているので、このミスマッチ現象の頻度は高まりますし、そのミスマッチがさらに効力感を削いでいきます。
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最初は負荷が強いかもしれませんが、現代こそ、この体で感じて、一から考えてみるということが大切なのかもしれません。
「私」「世界」「心」そして「幸福」等々の前提が曖昧なまま、なぜかそれらが確定事項かのようになっており、それらは置き去りにされたまま、「各論」が語られていることがほとんどです。
それら各論は、ある目的のために「うまくやる方法や考え方」であって、その目的達成自体が幸福とは限らないというところに、本質的な幸福論とのズレがあります。
