オカンとの勝負
お母さんというものは不思議な存在です。 もともと体がつながっていたのだから、その時点から不思議が始まります。 会社を作った時です。 僕は男に生まれたので、子を産むということができません。遺伝子的に。 でも、なんとなく我が子を産んだような心持ちになりました。おそらく実際のお母さんの気持ちとは別物なのでしょうが、世の男性クリエイターや起業家の「何かを生み出したいという気持ち」は、もしかしたら女性への永遠の羨望とリスペクトがそうさせているのかもしれません。 オカンとの修行 お母さんとは最大級の修行をしなくてはなりません。
いくつになったら大人なのかな? 改
若い時は大人とはどういうものかを想像して、それに苛立ったり、そういうものにはなりたくないと思ったり、逆に早く大人になりたいと思ったりしたものです。 大人になれば時間がなくなるというのが一般的なイメージですが、「そんなことはない、大人になったほうが沢山時間がある、そしてたくさんお金がある」ということを言う大人が周りに多かったような気がします。 自営業や零細企業の多い土地柄ということもありますが、最初にこれを断言したのが、たまに登場する「英会話の先生」でした。この先生は、英会話を本業にしているわけではなく、様々な事業を
やさしくてもかまわない 改
「自分は損をしている」 そう思いながらも「それで誰かが幸せになるなら」と思ってしまう場合は、何かを変な目で見ています。 自分は損をしている、という点も変ですが、そういうふうに思うのも100%避ける必要はありません。損をしているという感想もまずは肯定しておいた方が無難です。 損をしていると思うのは、どういった理由だからでしょうか。 そこをもう一度深く深く考えるきっかけにさえなれば、そういう感情やそういう経験はすごく楽しいものになってきます。 激しいほど怒り狂ってみよう 海外にいるとき、詐欺師というかぼったくりの商売人
御室八十八ヶ所
先日、御室八十八ヶ所に行きました。 さよなら私に出てくる仁和寺の裏山です。 幼き頃から幾度となく訪れた御室八十八ヶ所ですが、この度再度訪問し、煩悩全開なティーンのように全ての札所をパシャリと撮ってきました。 特別企画番外編として一覧表示します。 御室八十八ヶ所について 御室八十八ヶ所(おむろはちじゅうはっかしょ)は仁和寺の裏山成就山(標高236m)にある霊場です。御室八十八ヶ所霊場と表記されることが多いですが、僕は単純に御室八十八ヶ所と呼んでいます。 四国八十八ヶ所を模して、各札所の土を埋めてあるというような感じで
プレシャス・プレイ 改
安定的なものより、偶発性のあるものの方が刺激的で興奮するというのはかなりわかりやすい話です。 ギャンブルやガチャなどが典型です。 また、「○○エディション」たるいい文句で、希少性を大々的にアピールして人を惹きつけようとする戦術もあります。 ものとしてはほとんど同じなのに、なぜか価格が1.2倍でも気にならないという馬鹿げた話ですが、なぜかこれに飛びついてしまう習性があります。 猫も杓子も「限定」を乱発 最近では猫も杓子も「限定」を乱発するので、それほど効果はなくなってきましたが、やはりある程度姿形を変形させて「限定」
主役降板 改
あくまで印象ですが、認識できる世界が自分中心というか自分を通してだけなのだから、即時的に五感で感じる目の前に広がる世界に意識を向ければいいのに、どうしてかそれ以外の「もっと広いであろう世界」に気が向いてしまいます。 自分が経験したい種類を選ぶインスピレーションになればいいのですが、殆どの場合悶々とするだけです。 「主役」 実際に主役的な位置づけにたった人はもしかしたらこんな経験があるかもしれません。 「なんだこれだけか」 そして、主役でいることを自尊心の主軸にしていた人は、自分が主役ではなくなった時に精神がおかしく
淋しくならない努力 改
耐えることが修行かのように考えられていますが、それもきっかけ作りにしかすぎず、苦しんでいたのでは全くトンチンカンだということはあまり語られないような気がします。 「山にこもる」 というようなことがたまに言われたりしますが、これも変な話です。 山にこもれば、遊びもない、人とも接することができない、いわゆる俗世間的な誘惑がないというような面もありますが、これは補助輪を付けて自転車の練習をしているようなもので、本質的なものではないような気がします。 山にこもらないといけないのは、二流三流ではないでしょうか。 気分転換に山
極楽の余り風 改
最近はよく、自然の中に行きます。 京都はそんなに都会都会はしていないですが、盆地特有の湿度の高さが人を陰気臭くさせているような気もします。 潤いを求めるようなキャッチコピーなんかはよく見かけますが、乾燥を求めるという点はエアコンくらいしか見かけません。 どんどんムンムンしてくる服の内側に対処するため、服を軽くまくりあげて扇風機にあてると非常に心地よいものです。 清爽な風と出会う たまに京都の盆地感を忘れたくなる時にふらっと行くのが滋賀県と京北町です。 今や京北町は右京区に編入されましたが、やはり、京北町としての記憶
時の流れに身をまかせ
目標を定めなければ達成しない、なりたい自分を想像しないとそのようにはなれない、そんな脅しを聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。 しかしながら、「アイツ」の範囲で考えてイメージした世界は、アイツの妄想ばかりといった感じになっています。 「無意識の中で実は勝手に目標を定め、なりたい自分を想像していたら」という場合を、セミナーで数十万取るような人はあまり知らないかもしれません。 彼らはまた聞きした内容を人に説いているだけです。 そして、初めてそれを聞いた時に、意識のブロックというか思考のストッパーが外れて、一時的に
三大欲求を満たしてこそ
三大欲求といえば、食欲、睡眠欲、排泄欲ですが、どうしても最後の排泄は性欲と言われます。 明らかに全般的な排泄の方が衝動も大きいと思うのですが、どうしてなのでしょうか。 それに性欲より体温を維持する欲求の方がもっと強烈だと思います。 何かにつけて欲といえば三大欲求、みたいなもので、なんでも簡略化して考えてしまう癖が出ているのでしょう。 ブッダは人間の欲求をすべて把握していたそうです。 確かに把握しようとすればわかると思います。 中心となる欲の種類を把握すれば、あとはその組み合わせというだけになります。 こうした欲のジ
だまされるのはいつも言葉 改
日々暮らしていれば、ふとしたことから「言葉」にだまされてしまいます。 言葉の力については、過去記事で少し触れましたが、言葉よりも強力なのは関連思考と想像力です。 意志の力よりも 何度か触れましたが、意志の力は大したことはありません。 くり返し唱えられる「言葉」や、サブリミナルの前では、半紙で機関銃を防ごうとしているようなものです。 体育会系は意志の力を「根性」と置き換えて、それを凄いものかのように説きますが、あれは激しい運動で思考が弱っている時に「声援」や「喝」を入れるから効果があるだけで、実際はあまり意志の力は働
のんきになるための一歩 改
のんきやマイペースは勘違いされやすい単語です。 ぼーっとしている、のろま、などの印象を受けやすいですが、どちらも才能だと思っています。 社会ではスピードが重要視されます。 それを否定はしませんが、本当のペースを知っておいたほうがいいのではないのでしょうか。 マイペース 社会でスピードが重要視されるのは当然のことです。 生産効率性を考えれば当然ですし、同じ利益なら費やした時間が少ないほうがもちろんいいでしょう。 それに、人件費というものは基本的に時間で割ることができます。 一時間あたりの単価に対して、以下に生産性を高
モノノカンガエカタ
以前大学で、「モノの考え方」的な講義がありました。 その時に引用された資料はすべてがA新聞でした。 そして講義中に次のようなことを言い始めました。 「中立な立場になって物事を考えられるようにならなければならない」 そこで、ある学生(僕ではありません)が質問しました。 「では、どうして資料がすべてA新聞なのでしょうか?」 周りはざわざわし始めました。 「どんな答えが返ってくるのだろう」 おそらくみんな期待していたと思います。 少なくとも僕は、どんな答えが返ってくるか楽しみにしていました。 「A新聞が一番中立的な見解を
同じ 改
「同じ」であることを根拠に「団体に入りませんかと」勧誘してこようという試みに何度かあったことがあります。 ある点についての考え方が同じである、ということから、そうした点についての社会活動をしている団体に加入し、一緒に活動しようというようなお誘いです。 しかし、考えが同じでも行動の選択まで同じであるかはまた別次元の話です。 本当に意見が「同じ」ならまだいいですが、「理解」しただけで、団体加入に誘ってきます。 一部の団体には属していたりしますが、なるべく煩わしいものからは避けて暮らしたいという気持ちがあるので、ほとんど
不安こそ生きてるあかし 改
生きていると常に不安があると言われます。 しかし、そうでもないと思います。 余計な信念や観念さえなくなれば、大抵の不安はありません。 最後の最後は、本能レベルでの恐怖と向き合わなければなりません。 不安はすべて、本能的な恐怖心がなにかのフィルターにかけられて、文化的な悩みとして表れています。 それならば、まだつかみやすくて野性的で、いいのですが、最もわかりにくいのは多段にフィルターにかけられた悩みであり、不安です。 本能レベルの恐怖心が関連思考によりねじ曲げられ「願望」かのように変化する 本能レベルの恐怖心が、関連
不安からの逃避法 改
不安になったときは、どうにか対処しようと粘ってしまうものです。 言い訳を集めたり、一般的にはどうなのかという情報を集めたり、人に相談したりします。 もしくは独りでただただ悶々と過ごす場合があるでしょう。 「気にするな」と言われても気になってしまう。 根性で突破しようとしても、どこかそのストレスに耐え切れなかったりします。 人に話をするのはいいのですが、あまり良い方法ではありません。 特に「正論」みたいなものを持ち出されたら、さらにダメージを食らってしまうくらいならいいですが、偏見を後押ししたり、何かを決めるときに自
覚えやすい誕生日
なぜか未だにいろんな人の誕生日を覚えています。 覚えやすい誕生日の人が多いのもその理由ですが、やはり身近な人の誕生日は嫌でも覚えてしまいます。 覚えようとしたことはありません。 でも、未だに覚えています。 誕生日が何かしらの祝祭日と同じであったり、月の始めや終わり、ゾロ目といった感じであれば覚えやすいですが、個別に覚えるのではなく、一種の時系列として様々な人の誕生日を覚えておけば、記憶自体は容易になったりします。 祝う日 誕生日は非常にわかりやすいもので、その人固有の日が指定されています。 その他、なぜか「祝おう、
そこがいいんじゃない! 改
そこがいいんじゃない! そうやって「アイツ」を押し倒すと、現状が変わった時に、アイツは隙をついてきます。 「そこがいいって言ってたよね?」 アイツはどんな時でもどんな局面でも利用してきます。 矛盾してるよね? 「今はそこがいいって言ってた状況と違うけど、どう?矛盾してるよね?おかしいよね?どっちなの?」 と、詰めてきます。 そこで「うううっ」となってしまう前に、間髪入れずに 「そこがいいんじゃない!」 またもや押し倒してやりましょう。泣きながらでも。 「ねぇ、自分でもおかしいと思わない?」 「そこがいいんじゃない!
あきらめることから始めよう 改
あきらめると捨てるは違うという人がいますが、違いがよくわかりません。 ネガティブかポジティブか、その違いのようですが、あまり言葉の定義にはこだわらずに考えてみましょう。 何かを望んでいる場合、たいてい力んでいるものです。 結果である目の前の現実をなんとか変えようと、物理的な努力をしますが、あまり効果はありません。 時に力んだだけ結果が出ることがありますが、それはいつもいつも同じように期待通りにはいかないものです。 「努力」 これを惜しまないように長い間いろいろな人から説かれ、たまにそれを評価され、また、努力を評価し
自分のことは自分でもわからない
自分のことはあまりよくわかりません。 たまに「不思議な自分でいたい」という人がいますが、そういうのではありません。 それはなんとなくアーティスティックな自分というものに憧れているだけで、そんな人の心はたいてい読めてしまいます。 自分のことは自分でもわからない、でも、 「わからなくても問題ない」 それがわかるだけでいいのではないでしょうか。 心理的盲点 盲点というものは自覚していないので、あまり探すことができません。 実際の「盲点」も、意識的にそういう紙を見たりしないと自覚できないものです。 さてここで考えてみたいの
人生の選択ってやつ 改
人生は常に選択の連続ばかりです。 ほとんどの事柄は、ほぼ自動的に選択が行われているので意識することはありません。 よく「CMでよく見るから結局買ってしまう」というものもありますが、あれも無意識下での選択に近いかと思います。 知らぬ間に影響され、知らぬ間に刷り込まれ、「考える」というストレスからすぐに脱却するために、簡単に選んでいきます。 広告にはストレートに「買ってください」というメッセージを伝えるものもありますが、「なんとなくよく見る」から親近感や信頼感を得ようとする類まで、いろいろな形があります。 何度か、「本
遠回りして帰ろ
ソーヤングでスウィートな頃は、よく学校から遠回りして帰ったものです。 立ち止まって話してもいいのですが、なぜか遠回りしたものです。 同じ景色より、違う景色を見ながら話したほうが心地いいのでしょうか。 ギリシャの哲学者のように歩きながら哲学について語ると、頭が働きやすいということを本能的に知っているのでしょうか。 最短ルートを模索することもそれはそれでいいことかもしれませんが、「旅」を考えると、道すがらが楽しいものです。 仕事などでは、時間効率を考えることは当然に必須になってきますが、普段はそんなに焦らなくてもいいは
脳との最終戦争 改
繰り返しますが、脳との最終戦争と言いつつ、戦ってはいけません。 基本的に「アイツ」メインになりますが、今回は自己啓発系が大好きな無意識(潜在意識)についてでも少し触れることにしましょう。 彼らはよくわからないままにブックオフで100円で売っているような本の内容を数冊読んだだけで、都合よく無意識を使います。 どうせならもっと奥深くまで関心を示せばいいのに「ご都合主義」で使います。 彼らの言う無意識 自分では普段意識していない「癖」について語っています。 そしてあくまでアイツの範囲で考えています。 ご存知の方も多いかと
自分探し 改
どうしても自分を探そうとするのは一つの通過点なのかもしれません。 「自分など探しても仕方ない」 ということに気づくために。 将来の夢 よくわからないままに「将来の夢」を決めるように強制されます。 幼稚園くらいの時から繰り返し唱えられるため、大きくなってもまだ「将来の夢」ならぬ「本当の自分の夢」みたいなものを追い求める癖がついてしまうのでしょう。 ゴムボートで大阪湾 しかも将来の夢が「京都市内の小川からゴムボートで大阪湾まで行く」というものなら叱られます。 僕は本気でした。 実際の川の速度から何時間で大阪湾まで行ける
呪文・そもそもはない 改
この呪文は一見、人の幸せを打ち消しているように思えますが、「ない」とは否定の意味ではありません。 否定とて、あることを前提にしているからです。 「そもそもはない」 存在する/しないの二元論の域をいっそ出てみましょう。 言葉というものは何かを限定する性質があります。 ある特定の概念を指して、それ以外を排除するという性質です。 そこでばっちり定義ができればいいのですが、それもなかなか難しいという感じになっています。 定義の問題 「りんご」といってもたくさんの種類があります。 品種に始まり、形や大きさにもバラバラなのにそ