祝八周年&第2022回投稿記念
本ブログも八周年を迎えることになりました。そして、なんだかんだ本投稿で2022となり、西暦2022年に追いつきました。 祝七周年の時は1942記事だったのでこの一年で80の投稿をしたことになります。 やはり投稿をするにはある程度まとまった時間が必要になり、そうしたまとまった時間が取りにくいということが投稿数の少なさに影響しているような
俯いて立ち上がるような感覚
両親を筆頭に、様々な人から教えてこられた物事に対して、それと違う方向に向かい始めようとする時、多かれ少なかれ抵抗感が生まれたりします。 裏切りとまではいかないにしても、相手の生き方、相手と過ごした思い出を切り離すような、そんな感覚が起こってしまいます。 しかしながらそれでも、立ち上がる必要があります。 ちょっと俯いて立ち上がるような感
人生で一番良かった時期
若者をつかまえては「人生で一番良かった時期はいつですか?」というような質問を投げかけ、何かしら回答をしようものなら「過去を振り返ってはいけない。『今』と言わなければならない」というようなことを繰り返している体育会系の人がいました。 その脇で一連のやり取りを数回見たことがあるのですが、毎度毎度、「別に『人生で一番良かった時期』というもの
頷けるような明るいイメージ
今がどんな状況であれ「常に爆笑し、誇りや自信に満ち溢れ、爽快に過ごしている」というような自分自身が頷けるような明るいイメージを持つことで、物事の見え方が変化します。 未来に合わせるように、見えるものが変化し、現在が変化していきます。そうなると結果的に過去の記憶すら解釈が変化していきます。 ただ、普通に過ごしていると「そうなるためには…

PCリースにおける情報弱者へのぼったくり
比較的最近のことですが、父が所属する某団体のコスト削減について父から相談を受けたので、会計報告等々をチェックしてみたときのことです。 事務員さんが使うPC6台のリース費用と会計ソフトの更新費用、たまに来る保守点検費用で年間いくら取られていたか、というところにびっくりしたのですが、なんと年間600万円です。 開発や研究に使うような特殊な
検索の質の著しい低下
近年ウェブ検索の質の著しい低下を感じたりします。その中でもとりわけ取り消し線付きで「含まれない: キーワード| 含めて検索:」という感じで「キーワードを勝手に除外する」というような機能に酷さを感じます。 誤字ならばまだしも、入力したものを勝手に除外するというのはいかがなものでしょうか。 それだけでなく「キーワードは含まれているものの
トリックスターによる混沌の生成
トリックスターによって混沌が生成され、その混沌から新しい秩序が生まれる、というようなことがあります。そうなると、最初は厄介者扱いだったトリックスターは、新しい世界をもたらす鍵として評価されます。 いたずらというものは、その秩序の体系の穴をつくようなものであり、ある空間、空間の論理の不完全性を示すようなものになります。そして、その不完全
熱意に対する比例と反比例
熱意というものは基本的に伝わります。同調によって相手を感化するというような感じです。しかし、一方で熱意に対して反比例するかのように冷めてしまうことがあります。 相手を状況を無視したような熱意は、時に相手を飲み込むように感化するものともなれば、一方で、強烈な抵抗が起こって冷められてしまうという場合もあります。 その理由はいくつかあります
「見えざる手」を観る
見えざる手によって「ちょうどいい感じ」になっていく、というような法則性があります。ただ、プロセスとして一時的にその流れを阻害するものあります。 だいたいの物事は「やりすぎ」に陥って「制限」がかかり、その壁が圧に負けて決壊するように崩壊し、分解して適切に馴染んでいくというような流れになっています。 何かしらの市場の広がりや社会変化が一気
目の保護のためにダークテーマ
数年前から「どうしようかなぁ」と思いつつ、ようやくサイトをダークテーマに変更しました。 最近では、様々なものがダークテーマになりつつあり、もうそろそろたくさんの人がダークテーマ・ダークモードに慣れてきただろうということで変更してみたしだいです。 一応メリットとしては、第一にディスプレイの光が弱まるので目の保護になるという点です。まあ間
油断させるために弱く見せる
武道の極意として「相手と友だちになること」そして「油断させるために弱く見せること」といったようなものがあります。 根本的に強いということも必要になりますが、それでも理想は「自分を倒しに来た相手と友だちになること」であり、基本姿勢としては「相手に準備させないがために油断させ、油断させるために弱く見せておく」というようなことになります。
通信講座による資格取得に対する理解
思えば僕も勤め人時代は資格をよく取得したりしました。勤め先において求められているものがほとんどですが、「まだ学生時代のお勉強感覚が残っている間に」と思い一気にたくさん取りました。 こうした資格の取得に関してよく通信講座とか対面の短期集中講座のようなサービスを提供しているところがあります。 ただ、よほどの難易度のものなら専門の塾のような
個々で判断することの正しさ
海外数ヶ国に冒険に出かけて本当に良かったと今でも思っています。やはりたくさんの収穫がありました。 その収穫の中の最たるもののひとつは、様々な事を臆することなく実行できるようになったことです。 そしてもう一つの最たるものは、世界中どこの国にも良い人と悪い人がいて「国籍」は関係がないということを実感したこと、そして、市民レベル、個人レベル

受け取る「器」と「余白」
自分自身の深い部分で「対象を受け取る器」が無いとそれは現実にはやって来ません。これは当然といえば当然のことであり、何も不思議なことではありません。 そしてあまり語られませんが、器に余白がないと、一時的に壊れることもあります。ただこれに関しては、器というよりもエネルギーや気力の余裕といった方が印象としては近いかもしれません。 現実に即し
「曖昧な記憶」とパラレルワールド
「曖昧な記憶」とパラレルワールドについてちょっとした思考実験的な遊びをしてみましょう。哲学とは本来こうした思考の遊びです。 パラレルワールドとは、並行世界、並行宇宙といったようなもので、単に「並行して存在する別の世界」というような感じです。定義付けとしては「時空」等々、様々なものを絡めることができますが、SFマンガ的にシンプルに、枝分
そなえよつねに
この「そなえよつねに」という言葉はボーイスカウトでしきりに出てくる言葉であり、原語は”Be Prepared” であるようですが、基本的な意味は普通に「備えよ常に」というような感じになります。 一応多少の多義性があり様々な解釈ができるものの、「備えよ常に」ということで、「こんなはずじゃなかった」とか「こんなこと
逃避としての変人意識と芸術
世の中には変人と呼ばれる人たちがいます。本当の変人は自分のことを普通であると思い、本当の変人ではない人は、自分のことを変人であると思っている、というようなことがよく言われたりします。 僕もどちらかと言うと変人の部類に入ると思いますが、自分の考えが普通であると思っている部分もありつつ「世間とのギャップがある場合もある」ということも思って
お客の親への喝
そういえば随分前、お客の親に怒鳴ってしまったことがあります。お客の親が出てくるような業種ではないのですが、相手から来たので仕方なくという感じです。 某団体において経営相談員のようなことをしていた時のことです。そこに直接連絡が来たというわけではなく、その情報を元に個人事業の経営相談的なコンサルティングをお願いしたいというような依頼がやっ

祓としての「変な意識の力」
変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。 胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。 (力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう) 狂った情報を祓う
新年 2022
みなさまあけましておめでとうございます。 2022年になりました。 元日の本日は、日が変わってすぐにぜんざいで餅を2つ、起きてからは白味噌の雑煮で餅を7つ食べました。 年明け前後は、先日から空き時間にちらほら読んでいた「The Yearling(邦題は、子鹿物語、仔鹿物語、鹿と少年など)」を読みつつ、年明けにクライマックスとなり、感慨
さよなら2021
2021年が終わります。12月生まれということで38歳になりました。半分にしたら19歳、あの時から倍生きたことになります。 中学や高校のときの同級生とも未だに遊びますが、考えてみれば出会ってから20年以上、出会ったタイミングから考えれば四半世紀前後の付き合いということになります。小学校の時からの友達で言えば30年を超えています。 20
未来を見るためのエネルギー
思い返すと昔はかなり先延ばし癖があり、未来を見ようとしないというか、現状維持に相当意識が向いていたような気がします。 それは未来を考えることが恐ろしいというようなものも含まれていますが、現状がそこそこ楽しいので、その空間をなるべく継続したいというような、そんな理由も結構な比重であったように思います。 十代後半の頃は、「とりあえず癖」が
第2000回投稿記念
これで2000記事目になります。ブログ創設から2000回目の投稿ということで「第2000回投稿記念」です。 前回の第1900回投稿記念は、2020年9月29日だったので、前回からの100記事は、1年3ヶ月くらいかけて投稿したという感じです。それまでに比べてかなりのローペースでした。 なお、第1000回投稿記念は、2017年9月20日だ
苦悩を縦横無尽に展開
思考がループする時は、基本的には情報不足や意志決定の気力不足が影響していたりします。決めるための情報が不足しているとか、あと一歩の思い切りの力が出ない、というようなものです。 堂々巡りを脱却するため、普通はそうした面でなんとかしようと思ってしまったりします。 また、とりあえず思考が働きだしたら「ストップ」と口に出したりして、思考ループ

倫理の照準
基本人格は小学生の時から変わっていませんが、Z会の発達に合わせて、怒り多き思春期を過ごしたりしました。 でもその時に出会ったからこそ「こうなるべきである」というような倫理の照準がうまく設定されたような気がします。 自我の領域として、情報が収束して形成される人格において、「こうなるべきである」と思った人格、象徴は、hide氏です。それは
最初から出ていた答え
遡って色々と振り返ってみると、最初からいきなり答えが出ていたというようなことが数多くあります。 そうしたことが多いので、今でも直感に従うことがよくあります。 世の中では「努力」についていろいろなことが言われていて「努力は絶対に必要だ」というような脳筋から、「努力は不要であり、嫌々する努力は逆効果」というようなものまでたくさんあります。

反省と少しの勇気と決意
小説や楽曲、映画、アニメ等々においても、なんだかんだで好きな物語には特徴があります。 それは「今の自分よりも立派な人間になろう」というような反省と、そうなるべく起こる少しの勇気や決断、決意が含まれているようなものです。 ドラえもんの中でもたまにあるような感じですし、藤子・F・不二雄氏は「のび太にはひとつだけいいところがあります。それは
カルトの定義
カルト(cult)とは、もともと熱狂的な崇拝を意味し、一種の原理や哲学に基づいた儀式、行動様式などを意味するような言葉になりますが、現代では反社会的な破壊的カルト集団を指す場合に用いられたりします。 カルトの定義としては、次のようなものになります。 精神の安定のために、絶対性を持たない原理に執著し、原理やそれと関連する人物、概念を熱狂
蹴球唾吐
1994投稿目ということで1994年…エキサイトステージ94…先日の強制終了…ということで、サッカーの思い出について触れていきましょう。 1993年から1994年頃といえば空前のJリーグ、サッカーブームの到来というような感じであり、当時小学校中学年だった僕の学校でもサッカーが流行しました。友人と「Jリーグ エキサイトステージ̵

顔の締まりとランラン光線
最近聞いた話ですが、推しの文化により、関連したものによって自分を表現しようというか、話の取っ掛かりを作って誰かに絡んでもらおう、できればモテようとするような雰囲気があるようです。 しかしながらそんなことでいくら取り繕おうが、本来、顔だけで人格はバレてしまうので、深い部分ではあまり意味がないのではないか、深い仲になったりする点においては