目先しか見えないと改善の価値がわからない

目先しか見えないと改善の価値がわからないということで、目先の物事しか見えない人たちにとっては工夫や改良を継続して繰り返していく「改善」の価値がわからないというようなことについて触れていきます。

人は感情的になっているときほど本能よりの思考しかできなくなっているため、思考としての「過去」や「未来」というものを想定できなくなったりします。

ということで、今現在以外に意識が向くことで煩悩が起こるという面もありますが、今以外を思考上で想定できるということは、思考をする上では役に立ちます。目先しか見えない人たち、目先のことしか考えられない人たち、その場しのぎで生きている人たちにとっては、今の自分の感情に苛まれ、感情によって思考が鈍っているからこそ改善すら頭に浮かばないということが起こっています。

端的には「鬱陶しいなら鬱陶しくならないように改善しろ」ということになります。

目先のことばかり考えていると、今起こった出来事に対しての対処ということしか頭に浮かびません。ということで、目先のことしか見えない人たちは、今起こった出来事にのみ反応しているだけであり、今後それが起こらないように対処するという発想がありません。

特に商売においては、同じ結果なら手間暇が少ないほうが儲けが出ます。当たり前のことです。

そんな時に手間がかかることを鬱陶しいと思うなら少しでも簡単にできるように工夫をしていけばいいと思うのですが、感情を優先する人たちにとっては、「鬱陶しいことをしてきた相手が悪い」というふうに、相手の非を非難します。ということで成長もせず、楽にもならず、儲けも出ないのです。

鬱陶しいなら改善しろ

先日久しぶりに「たまに遊びのバイトをさせてくれる友人」と話をしたのですが、「事務員に限ってバイトを見下すようなあの態度は何かね?」と聞いてみると、「短期バイトに同じことばかり聞かれるから、話しかけれられる事自体が鬱陶しいんじゃないかなぁ」というような返答が返ってきました。

「遊びのバイト」とは、素性を隠し、お忍びで「バイト君」のふりをして社会を眺めるという遊びです。

そのような感じで、新入りバイト君のフリをしていると、僕が普段スーツを着ている時は愛想のいいフリをしてくれるであろう人たちの本性が見えるので毎回楽しかったりします。

それで数年前に経験したことですが、「事務員が僕を含めた短期バイトを蔑んでくる」という現象を経験しました。

何かしらわからないことを質問すると「ふんっ」と鼻で笑うか、めんどくさそうに舌打ちするかというような感じです。

ということで、お忍びの手配をしてくれた友人にその旨を伝え、思い当たる理由を聞いてみると、「毎回同じことを聞かれるのが鬱陶しいから短期バイトを見ただけでムカついてくるのだろう」という感じのことを聞かせてくれました。

目先のことしか考えられないからこそ工夫が浮かばない

「なるほど」という感じがしますが、そうであるならば「いろいろな人から何度も同じことを聞かれなくても良い工夫」をすればいいだけではないでしょうか?

今まで質問されたことを一種のマニュアルにしてもいいですし、何かの操作方法なら、その機械などの前に張り紙でもしておけばいいのです。

目先のことしか見えない、目先のことしか考えられないからこそ、そうした改善案や工夫が浮かばないという感じになるのでしょう。

短期バイトさんたちはだいたい初心者であり、大半の人が初めて経験する人たちです。

その人達を無条件に近いくらいで勝手に「鬱陶しい」と思うのは、明らかに間違いだと言えるでしょう。

「じゃあローカルルールとかをどうやって知るんですか?」

ということになりますからね。

鬱陶しいからということなのか、普通に質問しているだけなのに「無表情で無視をする」とか、「返答もせずに用紙だけ渡す」とかそうした感じの対応しかできないという感じでした。

で、毎年毎年、毎回毎回そのようなことが起こって鬱陶しいのなら、早く改善すればよかったのです。

目先の感情の処理にだけ着目し、勝手に気分が悪くなっているというだけでなく、目先のことばかり考えているからこそ改善するということすら浮かばないという感じです。自分の感情に囚われた愚者と言えるでしょう。

多岐にわたる改善の価値

改善の価値は、生産性や収益性の向上のような目線でばかり語られますが、それに繋がる別の側面として、「鬱陶しさを避けることができる」という面もあるはずです。

全てが解決することはないものの、何かしらの工夫を講じておけば、それ以降は毎年毎年楽になるのです。

これは目先しか見えないから、「鬱陶しい」とか「相手が悪い」という思考になっていて、どうすれば解決できるかを一切考えていないという感じになります。

ということで、

「馬鹿ですね―」

ということです。

そんなやつはクビにすればいいのです。

その方が会社は発展します。

ということを言っておきました。

前提知識が無い可能性を推測できない人たち

目先以外にも波及するコスト

またよくよく考えてみるとその事務員としては、自分の手間とか感情が最優先ということなのでしょうが、例えば短期バイトの人であってもその職場のことを気に入ってくれれば、次の時期も応募してきてくれるかも知れないということを見逃している感があります。

求人にかかるコストという感覚がないのでしょう。

例えば、小さな枠で一ヶ月5万円、まあまあ大きければ20万円とかそれくらいの求人広告費がかかります。

そんな中、「今年も行こうかなぁ」と思って、またやってきてくれる短期バイトさんが多ければ多いほど、広告を出す期間が3ヶ月必要だったものが2ヶ月とか1ヶ月で済んだりするのです。

必要な定員まで人員を確保するまでの間広告を出し続けないといけないとなると、企業にとってはかなりのコストになります。

そのような中、例えば大学生が1年生から4年生まで毎年来てくれたり、友人を誘ったりしてくれれば、どんどん求人広告に依存する割合が減ってきたりします。

目先のことへの反応だけによって増える無駄

で、そう考えると「鬱陶しいから」という理由で改善もクソもしないような事務員数人のおかげで、「なんだかあそこにバイトに行くのは嫌だ。事務員が無愛想で蔑んで見下してくるから」ということになれば、求人広告に依存する割合が増えて企業は無駄なコストを増加させることになってしまうのです。

短期バイトさんとの関わり合いは、確かに短期かも知れませんが、必要な人数の人を集めるということを長期的に考えれば確実に目先だけで終わる話ではありません。

去年も短期バイトで来てくれた人が今年も来てくれたりすれば、基礎スキルがある程度ある状態で来てくれるということになりますし、多少なりと必要な教育コストも削減してくことができます。

逆に言うと、毎回毎回求人広告で新規の人を集めなければならないとなると、広告出稿から面接、初期の教育などなど何から何までコストが嵩んでいくことになるのです。

短期の付き合いと言えば短期の付き合いかも知れませんが、構造をよくよく見ると目先だけで完結するという構造にはなっていません。

そういう事も考えられずに自分のその場の感情を優先するような人は企業にとってマイナスです。

目に見えないところで企業の足かせになっているというのが本当のところなのですから仕方ありません。

目先だけでは成り立たない商い

特に地域に根ざした小売業や飲食店などが対象になりますが、常に顧客一人あたりが一生涯でもたらしてくれる売上を検討しなければなりません。

一回一回のお会計は千円位かもしれませんが、その人がお店に30年通ってくれるとするならば、その人はものすごい金額を売上としてもたらしてくれるのです。

週一回1000円でも年間では5万円以上になります。それが30年になれば150万円以上の金額になります。

もちろん横柄な客は相手にする必要がありませんが、普通のお客さんや優良顧客は大事にしなければなりません。

目先の数百円、数千円を義務教育的に「私達が正しい」と突っぱねてしまい、顧客を嫌な気分にさせてしまうと、数百円は確かに正当(?)に儲かるのかも知れませんが、後の数百万円を失うことになるのです。

こんなことは語るまでもなく商人なら誰でもわかっているようなことですが、アルバイトやパートの人達が店先に立つようになってからは、プロの商人が減りました(しぶしぶ仏頂面の対応)。

まるで共◯主義的

最近ではコンビニでも「点線に並んでください」的な感じで人を管理しようとするような流れになってきました。陳列棚の間に停止線があり、店内をぐるっと回らないとその場所にも行けないにもかかわらずという感じです。

そして店員さんはだいたい学生バイトさんたちです。そんな中、特に義務教育を絵に描いたような人たち、共◯主義者のような人たちの場合は、見るも無惨な対応になっていたりします。

聞いた話ですが、店内に誰もいない場合でもレジに直行することが許されず、「キチンと並んでからレジに進んでください」などと言われたりするそうです。

「いや誰もいないからいいでしょ?」

と答えると

「それがルールですから」

などと返答されたりするそうです。

危ない時代になってきました。

こうして客を失い潰れていくのです。

しかし究極的にはそうした人たちを雇った経営者の責任であり、教育をしなかった経営者の責任です。

そんなことを指摘などしなくても必然的に潰れていくでしょう。

僕はこうした人たちを「リッツ」と呼んでいます。

彼らのいう「出口」の方から入ればすぐ目的の場所に行けるのに、入口の方から行くように強要され、敷地内をぐるっと周る形で凄まじく歩かせようとした赤い大学にちなんでいます。

まあこれは彼らなりの「改善」なのでしょう。自分たちが管理しやすいようにという、いかにもリッツの考えそうなことです。

発想が予算制の公務員的な人たち

Category:company management & business 会社経営と商い

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