この数年顕著なのは、話が通じる人と通じない人が明確に分かれてきたことです。
通じる人に対しては、問題がないので特に言及しませんが、問題は話が通じない人です。
話が通じない人には、抽象表現が伝わらない、もしくは意図的にスルーしているので、はっきりと言ってやらなければなりません。
これは本当に環境がもたらした現象だと思っています。ひとつはコロナ環境とその間に起こった情報とのあり方です。神経レベルで歪みが起こっていると考えています。基本的な要因は、フィルターバブルとエコーチェンバー、そして、ドーパミン経路のハッキングによる「日常のドーパミンの絞り」、それがもらたす思考停止等々です。
ドーパミンについては、短時間で淡い期待と運動を促すということが短時間で行われ、かつ新しい刺激が入ってくるので、ドーパミンが出すぎています。なので、受け取る側が感度を意図的に下げてしまいます。で、それが基準になるので、日常のほとんどが刺激不足に感じて無気力になるということです。報酬獲得まで時間がかかることにも耐えられないというような感じにもなっています。
この回路に基づくと、話が通じない人への意志の伝達は、基本的には、「小刻みにはっきりと」ということになります。
なぜこちらが狂っている側に合わせなければならないのか、ということも思いますが、抽象思考もできなければ、抽象表現に対する読解力もないので、とりあえずは仕方ありません。
「はっきり言うと、相手が傷つくのでは?」となってしまいますが、通じないよりもその方が全体的にはメリットが有るのではないかと思います。
下手をすると意志決定を含めて促す程度でないと、相手の弱った頭はただ混乱し疲弊するだけということになるかもしれません。
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「体を動かしているわけではないので疲れないだろう」というのが根本的なバグです。
体を動かしているわけでなくても、それ相応の「緊張」は走っているので疲れます。
興奮して続き物を見ていられる時もありますが、それは興奮による錯覚で、疲労自体は蓄積しています。酔っ払った時に動けるのの同じです。
これが短期的ならば、さほど問題はありませんが、日常的になると、相当なダメージを受けます。
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というわけでそんなダメージの自覚がない人たちは、発達障害傾向のある人のような反応をするようになります。元々その傾向がある人は、それがもっとひどくなります。
ということで、相手の話を理解できず、一方でこだわりが強く、ゼロ百思考になっているような人が、「自分は大丈夫だ」と思って日常に紛れ込んでいるわけです。
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安易なドーパミン獲得が可能になったので、基本的に目の前の人の話を聞いていませんし、周りの風景なども見ていません。
聞かなくても、見て何かを考えたりしなくてもドーパミンが出るからです。
ある程度の時間を要することが耐えられず、一方で、ドーパミン獲得が制限されると鬱傾向になります。
これはもはや「中毒」と呼んでも差し支えありません。
こういう人たちに話を伝えるには、具体的かつ短期で達成できることをはっきりと言うくらいしかありません。
こういう人たちにとっては「具体的かつ短期で達成できることをはっきりと言う」という表現すら抽象的すぎて理解できません。
「部屋の温度計を確認して、22℃を下回っていたらエアコンの暖房ボタンを押してください」
というのが「具体的かつ短期で達成できることをはっきりと言う」という感じになりますが、そこまで言う必要あるか?と思う程度に「予測」や「自発的思考」ができない人たちが増えている感じがします。
おそらく現実世界の臨場感が低く、廃人量産用ドーパミンハッキング用の無料ゲームの世界の臨場感の方が高いというような構造があります。
それがまだ業務などであれば、業務自体に社会性があり、さらに業務の報酬が周りの人への還元になるという社会性を帯びます。
はっきり言えば、そうした「お金」にも「リスクヘッジになるような社会関係性の構築」にもならないのであれば、意味はありません。
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続きはまた追記しようと思います。
