この半年間ほど、「行き詰まりからの八つ当たり」をしてくる人によく出くわします。本当に脳疲労が限界を迎えているような感じで、論理の飛躍を伴ったような、建設性に欠けるぶつかり方をしてくる感じですね。
これは情報との関わり方と、それが身体性を伴わないことが大きく影響しているのではないかと思ったりもします。
あまり問題のなさそうな「映画等々が見放題」のようなサービスについても、実際に映画館に行ったり、そこまでいかなくてもかつて「レンタルビデオ屋さんに出向いて探したり」というようなことが無くなった分、人のヒステリーを加速させているのではないかと思ったりもします。
タイムパフォーマンスは高まっても、脳に対して過負荷であったり、別のところが歪んでいると思わざるを得ないような感じになってきました。
それで、そのスピード感に慣れるとその速度で解決しなければ気に食わないというような感覚にもなるのではないかと思ったりします。
それが「行き詰まりからの八つ当たり」を生み出しているような感もあります。
端的には、広い意味での情報処理に慣れていない人たちが、急に現代の情報のあり方に触れると、頭がパンクして抑制ができなくなるというような感じです。
常に過負荷状態で、さらに睡眠の質は落ち、脳幹は炎症を起こし⋯というような感じですね。
はっきり言うと、「情弱」が実際の生活を蔑ろにしつつドーパミン刺激に任せてコンテンツに触れすぎたり、「通知」を制限せずにいると追々発狂するということです。
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それで、八つ当たりに遭っているのは自分だけかと思ったら、何だかんで妻もそんな感じでたまに当たられることがあるようです。
身の回りだけかもしれませんが、僕だけではないということは少し意味深です。
この「謎の八つ当たり」に関しては、同世代以上の人たちに多い傾向があります。年齢的な若さも影響しているのかもしれませんが、いわばデジタルネイティブの人たちにはその傾向は見られません。
八つ当たりに関しては、高齢者の方が多いんです。
同世代以上は、かつて「理不尽で暴力的な社会が残っていた時代」に生きていて、かつ、情報に対する耐性が弱いという点から来ているのかもしれません。
つまり、やり方、発散方法的には怒り、かつ、手前の行き詰まりは情報に対する耐性という感じでしょうか。
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行き詰まりや不快感に対する「八つ当たり」は、何の実りもありません。
これらの人たちの怒りのようなもの、嘆きのようなものが、なぜ「八つ当たり」かというと、自分の行き詰まり感を隠して、本質的解決することではなく、攻撃的発散を目的としているからです。
そして、責任転嫁をして「あなたが解決しろ」というような脅迫をしているだけです。
「自分の行き詰まり感を隠して」というところが自尊心の保全的で寒いですね。
しかし、本来ある程度理性が働いていると、こんなことにはならないんです。
まずは脳疲労なり何なりに気づくことです。
しかしたいてい相手は認めませんね。
不快感を論理でぐるぐる回しているだけですから。
本来構造としては、不快感が先にあって、目の前にいる人をお題として、論理が構築されているだけなんです。
「この人のせいだ」
というような論理が展開されているだけです。
世の大半の「夫攻撃」のようなものも、疲労から来ているだけだと思っています(僕が攻撃されているわけではありません)。
身体的疲労ではないからと、自身のスマートフォンの使い方を問題視することはありません。
疲れているから、「協力的でない人」という視点、「この人が動けば疲労は軽減される」という論理が展開されているだけです。
しかし、根本問題は、常時接続や情報過多による脳疲労、そして、日常の疲労の原因と負担分散を考えれば、目の前の夫だけでなく、他にもたくさんの関係要因があるはずです。
しかしながら、例えば少し洗濯が面倒だと、「乾燥機を買わない夫が悪い」という論理展開が起こったりします。
ただ、実際に乾燥機を買ったところで、その浮いた時間と気力と体力は、フリマアプリや動画視聴に向けられるだけです。
つまり、残酷にいえば「人のせいにして、第三者に貢いでいる」というだけです。寝たほうが断然良いですね。
手前には疲労等々からくる不快感があるんです。
で、それを解消したいとは思っているんです。
しかしその解消プロセスが歪んでいる、ということです。
解消するに当たって、乾燥機を買って負担を軽減させて、楽しみであるフリマアプリの買い物を増やせば良いと思っているんです。
そしてそれを叶えるための最短ルートは「不機嫌さから圧力をかけて、乾燥機を買わせることである」と思っているんです。
で、反発されるとキレるか嘆くということです。
これは不快感を落ちた理性で無理やり論理展開した構造です。
まあこのへんは例えですが、そこら中でこんな事が起こっているのではないかと思っています。
