アフォリズム 921-930
- 921.起きた時の感覚
- 922.それが見えるということ
- 923.力みに対する数段階の態度
- 924.散歩派
- 925.答えなき問い
- 926.一定以上のやる気
- 927.やる気と受注
- 928.本を途中で閉じる時
- 929.振る舞いに困る時期
- 930.あの日々の自分を救うもの
921.起きた時の感覚
寝て起きた直後、一度現象のあり方の捉え方がうまくいっているような感覚が訪れ、次に歪みの方を味わう。そしてまた正常に戻り、また歪む。そうした揺れを繰り返して、その日はどちらかに落ち着く。つまり、稀に起きてから寝るまで歪んだままという時がある。
922.それが見えるということ
無限の可能性の中において、その人が現れ、その現象が見えたということは、それに対応するものを内に秘めているということになる。
923.力みに対する数段階の態度
力むとうまくいかない。
力むとうまくいかないのであれば何もやらない。
だが、何もやらないということに抵抗が起こる。
抵抗に対して力む。
抵抗に対して力むことをやめる。
それでも皮をむいた玉ねぎのようにまた力みが訪れる。
力んでしまうことに対応した観念を受け入れて解放する。
それでもまだ、どこからか力みが生じる。
何もしないということに対する執著を解く。
全自動で起こる世界が徐々に見えてくる。
924.散歩派
歴代の哲学者に散歩しながら考えた者が多いように、もし物事を考えるにしても、歩きながら考えた方が良い。
その方が、血の巡った考えが訪れるだろう。
925.答えなき問い
何にでもすぐに解答があると思うのは、一種の現代病である。答えなき問いを発見することが哲学の中心であるというのに。
926.一定以上のやる気
期限というものは不便なものである。ある一定以上のやる気がないと、できることとできないことがある。やる気がない時に無理にやらなければならないというような構造の中には、なるべくいない方がいい。
927.やる気と受注
楽しさを伴った「やる気」と受注件数は比例する。
やる気に応じて為した行動と関係がないところからも仕事がやってくる。
しばらくぶりの顧客から急に連絡があって受注したり、なんの脈略もなくお客を紹介されたり、といった具合に。
こうしたことから、大切なのはやはり常に自由に振る舞うということであると思っている。
昔はよく、気が向かない時は仕事上の連絡を返さずにベースを弾いたものである。
928.本を途中で閉じる時
やはり面白くない本は途中で閉じるべきである。一生かけてもこの世の本をすべて読み切ることはできないのだから。
929.振る舞いに困る時期
生き物として最も配偶者を求めるような時期に限って、社会との折り合いに迷い、何かと畏まり、自然な形で異性と触れ合えないような感覚だった。
930.あの日々の自分を救うもの
若きあの日々の自分を救うものでない限り、どれほど評価されているものでも、それを受け入れることはない。
ただの戯言である。
最終更新日:
お久しぶりです。久しぶりにコメントを残させていただきます。
929についてですが、これは僕も近頃感じています。
以前彼女を欲するが中々できないでいることを悩んでいましたが相変わらずです。
数は多くないですが縁はあり自分から動いたりしています。しかし私からお断りをしたこともあり、何故かと考えた時、畏まりと自然な形ではなかったからだなと思ったからです。
これは社会に対する解像度が高まりどこか偏屈な考えになってしまったからなのかなと思いました。特に今はネットでもリアルでも恋愛に対して非常に嫌な意見や論調を目にします。避けても目に映ってそれが記憶として残り、その論が頭をかすめてしまいます。
学生時代と違い色々知識を得て、昨今のハラスメントと捉えられる可能性があることや、仕事が後手後手に回ることも考えると段々そうなっていくのかなと思いました。
そうして恋愛からも遠ざかっていってしまうのかなと。これが不自然さを演出してしまうのかもしれないと考えました。
だから社会への解像度の高まりが不自然さ=臆病さにつながるのではないかと思ったのですが929はどういった感想によるものなのでしょうか?
コメントどうもありがとうございます。
ひとつは、やはり社会人になって礼儀というものが絡んでくるというものがあります(近年の「ハラスメント」の概念もそれに拍車をかけているような気がします。しかしマナー研修において講師の女性に「きれいなお姉さんに今日もきれいですねというのはハラスメントでしょうか?」と聞くと、「思っているのに言わない方がハラスメントよ」と答えられていたので、強引なものでない限りさほど気にする必要はないと思います)。
また、社会の中で色々なものを見て学習している最中であり、基本的には位置が定まっていない中、サマセット・モーム氏風に言うと「相手は家計簿の内に閉じ込めようとする」という感じが嫌で仕方ないという部分もあると思います。
端的には、「思考的判断」や「条件」が入り込むということになるでしょう。
それまでは、本能的、感覚的判断でしたが、それに色々と混じるわけです。
そしてこちらは「判断されることを避けたい」という感覚を持つ一方、
「判断される中で勝ちたい」というような意図も生じて混乱します。
しかしいずれにしても自分はまだ不安定です。
そんな中では気が重くなってしまいます。
こんな事を言うのもなんですが、個人的には、20代の頃は不安定で畏まりながらも年間数人の方をお断りしていました。感覚的にカチッとはまらないというのが理由です。
そうなると、双方のためによくありません。
本能的には盛りますが、生活基盤をということはあまり考えられません。
やはり社会に出て7、8年位は、そのような感覚が来るのではないかと思っています。
転職もあまりなくという感じで社会生活がある種安定している中ならば、そちらに意識を向けることができるのではないかと思います。
かつて高校卒業後に社会に出るということが一般的だった時代ならば、7年後は一般的に25歳です。
15歳で社会に出ることが多い時代であれば22歳ということになります。
それが大学卒業後となると29歳です。
浪人、留年、転職、病気療養等がある場合は、その時期も延長されると考えられます。
まあそうしたことは一般論です。
さて、畏まりや不自然さを避けて、自然な形で彼女を見つけたい時は、
相手が年上女性でも最初からタメ口で喋ってみてください。
最初から縁のない人はそれで去っていきますから楽ですよ。
礼儀を問われたら、「世間の礼儀よりもあなたと仲良くなる方を取っているんです」といった感じで返してみてください。
返信ありがとうございます。かなり詳しく説明頂いてありがとうございます。
礼儀による畏まりは確かにそうだと思いました。こちらが礼儀という観念により遜ったり、相手との壁を作ったりして、意図とは違う結果を招くことがありますし。大切なものだとは思うのですが、どこか圧というか壁になってしまうのでしょう。
元より1人で生きることが好きで、何でも一人でやって来まして(それが許される環境と年頃、青臭さがあったというのもあります)、かつ自分に自信がない中で社会人になり安定した収入を得て、そこから意識が変わって現在4年が経ったころです。あの頃の自分と今の自分は変わったのですが焦燥感が生じました。落ち着くところに落ち着けばいいのですが。
縁がないのなら因を生じさせる方向として捉えた方が良いと解釈しました(間違っていましたらすみません)。どこか固定観念が凝り固まってきてしまったみたいです。学生の頃はそうやって自然な形で関係作っていましたしね。
どうも最近再び軸がぶれているようです。
懇切丁寧なご返信ありがとうございました。励みになりました。
再度コメントどうもありがとうございます。
自分が相手に壁を感じている時、相手もこちらに壁を感じていると思います。
そうなると双方気が重たいですね。
「こちらを蔑視している」とか、「虚勢を張っている」という感じがないのであれば、異性に限らずたいていの人はなるべく自然に接して欲しいと思っています。
それよりも礼儀、形式を重んじたい人は、単に自尊心の欠落により威張りたいだけか、固定観念に縛られているか、といった感じなだけです。
そういう相手とは根本的に関わらなくても構いません。
ご返信ありがとうございます。
及び腰になっていることに気が付きました。肩の力を抜いて自然に接していきたいと思います。
これからも投稿陰ながら応援させていただきます。お身体どうぞご自愛ください。