偏見を解く過程としての混乱
「混乱」というと「なるべく避けたいもの」として取り扱われますが、見方によっては偏見を解くための過程としてのプロセスであるという場合もあります。 何かに抵抗する時、そこに執著があります。手放したくない思い、考え方、自己都合等々が含まれています。それはそれで一つの側面として、ひとつの選択の可能性としてそのままでも良いのですが、「絶対視するほどのものかどうか?」というところについては怪しくなってきます。 そこに気づいた時、混乱が起こります。その混乱は、保持していた考え、理解が、より一段階高いレベルになろうとしている時でも
オスのセキセイインコが持つポジティブさ
オスのセキセイインコは異常なほどのポジティブさを持っています。ポジティブと言うより、根底から「ネガティブがない」というような印象があります。 鉄腕アトムには基本的に恐怖心がプログラミングされていないように、オスのセキセイインコにも恐怖心や悲しみといったものがほとんどないという感じになっています。もちろん個体差はあると思いますが、楽観主義やポジティブの塊とでも言いましょうか、パラメータの振り分け的に、喜びや友愛が強く、恐怖心や悲しみ、妬みや僻みはゼロに近いという感じの印象があります。 9月20日~26日は動物愛護週間
執著の抑制というよりも解放
見渡してみるとたくさんの物が周りにあります。 空観的な見方をすると「世界には自分しかいない」というようなことも成り立つ中、それらの物の属性を考えてみると、全てが「お役に立てれば幸いです」ということでその場にいると言うような感じになっています。 「もうお役には立てません」 しかしながら役割を終えたとでも言うべきか「もうお役には立てません」という状況にあるものもあります。 例えば若い時に入社して、その後ご高齢になったスタッフの方がいたとしましょう。その方に対して、ボロボロの御老体に鞭を打ったり、また、役割がないのにその
お互いに素直であれば仕事は驚くほどうまくいく
何だかんだで会社を創業してから結構な月日が流れました。それで今までに取引した中でうまくいっている人を観察していると共通点として「素直さ」が際立つ感じがします。 お互いに素直であればいろいろな仕事は驚くほどうまくいきます。 まあ確かに世の中には悪徳業者もいて、そうでなくても騙し要素が含まれているという面も多々ありますが、「1ミリも損したくない」と血眼になってアラ探しをしたり、駄々をこねてたくさん業務をやらせようとしてみたりするより、結局投資で言う「成り行き」のような感じで気楽にやった方がうまくいきます。 素直さがない
大いなる自己肯定
厳密には「大いなる自己肯定」の肯定の対象は自己ではないのですが、それ以外に近い言葉がないので致し方なく自己と表記した上で、大いなる自己肯定について触れていきます。 端的には「~から」という理由づけのない、根拠のない自己肯定のようなものです。 自己中心的な視点からのスタートし、より全体へと視点が広がり、また逆流し、最終的には自己に収束していくような「意識や精神レベルの変遷」と「自己肯定感というようなものとはまた違った大いなる自己肯定」について触れていきます。 ― 「名とすべて」「虚しさの先にある安穏」の時と同様に雑記