
2010 大連
Gallery 2010 Dalian
中華人民共和国 大連

2012 上海
Gallery 2012 Shanghai
中華人民共和国 上海
先物取引の電話
以前、自宅に先物取引の営業の電話がかかってきました。 素人のふりをして話を聞いてみました。 ひとまず業者の名称だけは伏せておきましょう。 でも、「やっぱり脇が甘いねー」、と思いました。 まずは適合性の原則。 電話口が誰かも確認せずに商品や市場について説明を始めました。 父の同窓会名簿から電話してきたことも遺憾ですが、電話口が父である確認はしていませんでした。 そして、先物取引の勧誘であることを告げずに市場の話を始めたこと。 金の相場がど
動物園の帰り道
幼き日の動物園の帰り道、僕はお母さんに手を引かれて東大路通りを歩いていました。 そこで通りかかった中古レコード店の店先のダンボールで見つけたドーナツ盤に惹かれました。 昔からあまり物を欲しがらない僕が、かつてないほどに強請ったのを思い返します。でも、買ってはもらえなかったのです。 その記憶はいまでも鮮明に残っていて、あの道を通るたびに幾度も思い返したものです。 現在の僕は、人に強請ることはありません。 そして、その気になれば、オークショ

ray
未だに大人にはなったのかどうかはわかりませんが、彼らの音を聞くといつでも少年に戻れる気がします。 どちらかというと、「周りは全て敵」みたいな中学生のような気分ではなく、周りの同級生も大人も含めて全ての人に全幅の信頼をおいていた、まだ自転車に乗れるか乗れないかくらいの足のおぼつかない遠い昔。 家の前に呼びに行くだけで、そこには友達がいつもいて、おしゃれではなく熱中症予防のためのキャップと水筒とリュックを背負って、彼らと一緒に旅立つまだ見た
東京オリンピックとかNISAとか
僕は一応文化系なので、オリンピックがあるときも全く観ません。 ただ、「東京オリンピック」のニュースの時、いろんな友人からいっぱい電話がかかってきました。 内容は投資についてです。 最近ではよくNISAの文字を見かけます。 イベントごとがあると、ほのかに匂うお金の匂いと、世間の誘導によって投資を始めようという人がいます。 別に投資を始めるのは結構なのですが、生半可ならやめておいたほうがいいでしょう。 昔投資で勝ち続けた自慢とかではありませ
あの日のおにぎり
おにぎり 字を見ただけで温かい気持ちになります。 食べると必ず胃酸過多になる母校の食堂の通称「胸焼けおにぎり」 思わずなぜか年数回は無性に食べたくなる弁当箱の「蒸れたおにぎり」 上海で温めて食べることを初めて知った「全家」の店員との「友情のおにぎり」 おにぎりにはたくさんの思いがあります。 どういう感情かよくわからない感情 仕事柄、お客さんからテキストを配布いただくことがあります。 たいていは文章を書く仕事をされているわけではないので、
シェア
おそらく最近の流れは「シェア」という言葉を流行らせようとしてきたのでしょう。シェアとは元々共有という意味がありますが、ここではインターネット上、とりわけSNSでの共有行為について触れていきます。 繰り返しになりますが、僕は違和感を大切にしています。 「共有」というものの本意は、もちろん何か感じたことや、ものをみんなで味わおうというものですが、コミュニケーションとしては「ただひとり、あの人には伝えたい」であるべきなのではないかとふと思いま

国宝みうらじゅん いやげ物展
国宝みうらじゅん いやげ物展に行きました。 貰っても少し困ってしまう土産物=「いやげ物」を展示しているということで大阪まで行きました。副題は「総展示数、約2千点のなんでやねん」です。 いやげ物のヘンジク、ペナントコーナーです。 新京極では「WANDS」をよく見かけましたなぁ 土産物屋によく置いてあるようなご当地インスタントカメラが置いてありました。スマートフォン全盛期の現代ではほとんど姿をみなくなりましたが、修学旅行先などではよく土

さよなら私
早いもので、この特別企画「さよなら私」は最終回を迎えることになりました。 ついでに言うと、この記事をもって100投稿目になります。 スタートしたのが5/5なので、完走まで5日間でした。 一日10投稿程度でしょうか。大体予想通りです。 「これは書きやすいな」と思って「さよなら私」のお題を拝借したわけではなくて、ただ単にその時目の前にあっただけでした。 さよなら私シリーズは全52投稿ですが、また、何かの折に特別企画を行うかもしれません。 ―

じゃまくさいが正しい
他人と比較すると苦しくなるのは、再三書いてきたことですが、改めてじゃまくさいについて考えてみたとき、そのまま行くと、「他人と比較しない自分づくり」が必要なのではないかと思ってしまいます。 でも、そんなことをしなくてもかまいません。 そんな試みを行ったところで必ずがっかりするでしょう。 自分というものを意識している限り、そこからは抜け出せないからです。 「自分」という存在が「ある」と思っているからこその他人との比較で、自分がなければ比較す

キープ・オン・バカさ
「頭がいい」ということはかなり安易に使われています。 回転が速いのか、ものすごく知識量があるのか、それとも理論に抜け目がないのか、それらを前提として置かないまま、曖昧に「頭がいい」という言葉を使っています。 知能指数の高さをやたらに主張してくる人がいます。 「頭はいいほうがいい」これは、「モテ」を意識しているから出てくる発想ではないでしょうか。 苦悩の元凶としての思考 以前、植物の生き方について触れましたが、思考は苦悩の元凶です。 主従

暇と退屈
暇なときに人がとる態度といえば 「やばい!暇になってはまずい!」という感じになるでしょう。 あれほど「寝まくりたい」と言っていたにも関わらず、惰眠の後「暇だ、やばい、暇だ」となって何故か不安になります。 暇や退屈という苦悩 特に他人を意識しなくても、こうなるでしょう。そして、特に他人の目が気になるときは、携帯電話をいじっています。 最近やたらに「LINE」というものがもてはやされています。 別にたいして革新的な技術ではないのに、やたらに

若いうち
「若いうちはこうした方がいい」 「まだ若いんだから」 そんなことをいうのはどこかで体育会系、いや、儒教的な発想があるからです。 「年上の方が優れている」 「目上を立てろ」 そんなことは、統制のために悪用された妄想です。 ミスター脳筋「孔子」 僕は孔子をミスター脳筋くんと呼んでいます。 体育会系を筆頭に、年齢を根拠に優遇されたいという思いを持つ人達には儒教の祖として崇められたりしていますが、先祖崇拝や年功序列を筆頭に、根拠なき差別を助長し

人生サーファー
生きていれば現象としての波があります。 万物は常に安定などせず、流転しています。 その波に一喜一憂しているのは、波に飲み込まれているからです。 いっそサーファーになるといいかもしれませんね。 波の上に乗ってみてください。 すると楽しいだけです。 浮き沈みがあっても、その上に立っているのだから溺れません。 苦しいどころか余計に楽しいだけです。 もう一段階すすんで、ただの流木をイメージしても面白いかもしれませんね。 人生という名の航海 「人

そこじゃない!
いくら自分で決めていい、ということになっても、目指す目標が「会社を作る」ことであるのならば、定款の認証や登録免許税を払っての登記は必要になります。 商いをするだけであれば、極論的には税務署への届出もせずに勝手にすることができます。 スーパーで80円のジュースを買ってきて、人に120円で売っても、それは商いです。 ただ、効率を考えれば、闇でこそこそやるより、堂々と自営業をしたり、会社化してもっと大きい規模のことをしてもいいはずです。 信用

本当に好き?
「本当に好きなことを探して、それだけをしなさい」 そんなことを言われても、なかなか本当に好きなことというのは見つかりません。 「将来何になりたいか決めなさい!」 そんな脅しをされたところで、数ある既製品の中から選べと言われているようなもので、それが思春期なら世の中をそんなに知らないので、トンチンカンなものしか選ばないでしょう。 好きな理由 「本当に好きなのか?」 そんなことをたまに考えてみてもいいですが、「理由」をいくら並べたところで事

愛は無報酬
先程は性欲と「アガペー」ベースで少し触れましたが、再び「愛」です。愛は無報酬ということで無償の愛を表現するというのが良いですが、それこそが愛の本質という感じになっています。 愛とは何か? それは、愛されることを望まずに、何かを愛することです。 「そんなことは損だ」と思ってしまうのは、この世は「有限で溢れている」と思っているからかもしれません。 「数に限りがあるのに、人にあげるなんてとんでもない」 と思っているのでしょう。数に限りのあるも

無理なもんは無理
「信じる」という言葉があります。 以前にも触れましたが、信じるということは無理なのです(パッケージプラン)。 「人に言う」と書いて「信じる」です。 100%信じていれば、信じているという言葉とは別のものになります。 100%信じているのならば オスに聞きます。 あなたは自分がオスであるということを信じていますか? 「は?」 という感想を持つでしょう。 それが100%信じているという状態です。 「気持ちはメスかも知れない」といったところで

あきらめるが正しい
「学ぶは『まねぶ』からで、結局マネすることです」と、かなりの頻度で引用されます。 安易にこの言葉を使う人は、「ほら、俺を真似ろよ、俺を尊敬しろよ」と数%は思っているのではないでしょうか。 よく方法論ばかり解説する人がいますが、別にそれを取り入れて体感してみるのはいいのかもしれません。 しかしながら、うまくいかないことが多いように思います。 そんな話は古本屋で100円で売っている 試してみる人用にカスタマイズされた方法論でもなければ、時代

カッコイイって何
カッコイイって何なんでしょうね。 結局オスがメスの気を引くための「オレは強い」が転じたものなのか、「気の弱い自分を隠すため」なのか、「みんなと一緒がいいけど、やっぱりどこかひとつくらい違うところを」なのか、「弱った自分を奮起させるもの」なのか、さっぱりわかりません。 本能的なものが社会的なフィルターにかけられたか、自尊心の問題、といったあたりでしょうか。 でも、本当に誰に「カッコイイ」と思われたいのでしょうか。 思われるどころか嫌われる

生きるって悲しい
人は他人と比較し、自分の置かれた状況に一喜一憂する生き物です。そんなことばっかりして一生を終える生き物といってもいいでしょう。「生きるって悲しいよね」とは、そのことです。本来は善悪の判断だけを教えておけば事足りる学校で、勝ち負けまで教わってしまった悲劇なのです。 「運動会で手をつないでゴールイン」が叩かれた時がありました。 確かにトンチンカンといえばトンチンカンですが、別に「運動」をする会なのでいいといえばいいということになってしまいま

正しい「思春期」
一般的に、身体の変化に動揺し、自我が芽生え、それまで自分と世界の区別がつかなかったものが、分け隔てに気づき大人になる成長過程、というふうに言われます。 身体の変化に動揺し、と上品に言っていますが、男の場合は、○玉による支配が顕著になるだけです。 そんな思春期には、ホルモンの影響による精神の変化もありますが、知能の発達による「矛盾や理不尽の発見」といったものも起こります。それまで大人側がごまかせていたものが、ごまかせなくなるというようなこ

青春なんて
動物においての発情を人間界では”愛”と呼び、その期間のことを”青春”と、呼んでいるからです。 青春というと煌めくような微笑ましいイメージがありますが、発情を人間は愛と呼び、発情期のことを青春と呼ぶということのようです。 芥川龍之介氏もそんなふうなことを言っていました。 恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。 少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない。 – 芥

薄口と濃口
醤油に薄口と濃口があるように人間にも薄口と濃口があります。人間の場合、薄口は”淡白”、濃口は”絶倫”と、呼ばれています。 ― モテないが正しいですが、絶倫はいつか女子に嗅ぎ分けられてモテてしまう運命にあります。 主従関係を逆転しない限り、男性はすべからく生産工場に支配されています。 「英雄色を好む」という言葉がありますが、絶倫とパワーはほぼイコールでつながっています。 自分の力ではどうする

モテより大切なこと
本当はモテたいわけじゃなくて、モテてるところを他人に見せて羨ましがらせたいだけのこと。そんなつまらない優越感だけのために我々は悩んできたわけです。 もっと好きに生きたらいいんじゃないですか。 「アンチエイジングが趣味」とか本当かな、と思います。 世界に誰ひとりとして「見せびらかせる人」がいなくなった状態でも、なぜかやり続けてしまうものが好きなことです。 カッコイイ、カッコ悪い、そんなことを気にせずに生きればかなり身が軽くなります。 苦し

メソメソ男子
メソメソしていてかまってくれるのは、やさしい親御さんか気のいい先生くらいなもので、オスの涙に同情するメスは少ないのではないかと思います。 「男は泣くかわりに酒を飲む」と、たまに聞きますが、確かにそんなフシの人はいます。 ということは、強がっている大将も社長さんも毎日泣いていることになります。実際そうなのでしょう。 「今度飲みに行こう」という誘いは、 「今度一緒に泣きに行こう」ということになります。 本当はメソメソしていてもかまいません。

モテるオスは不幸である
「英雄色を好む」という言葉にとらわれていた友人がいました。 その言葉に振り回され、同僚や後輩たちの手前「本当は早く帰りたいのにお姉さんに粘ってみる」という行為を繰り返していました。 実際にパワーのある人は盛んであることは確かです。 ということで、英雄ヅラをしたくて、盛んなふりをしていたというのです。 しかしそんなことはくだらないことだということに気づいて、今では真っ先に帰るそうです。 モテるオスは不幸 実際にいい思いをしたり、同性からは

無意味こそすべて
およそ実用性からかけ離れているものほど、情報的な付加価値が生まれ、プレゼントなどには適している場合が多いように思います。 たとえば現金と花束を「実用性」で考えれば、わかりやすいように思います。 コレクターと言われる人が集めているのは、「これだけあれば便利だろう」と言う理由ではないはずです。 ともすれば、「意味」や「理由」を求めてしまいがちですが、そんなことに裏付けされても、突き詰めれば雰囲気です。 実利的な理由付けの逆効果 「どうして弊

男イチコロメニュー
ふと、ガラス張りのお料理教室を覗き込んだことがあります。 そこにはおよそ「…」な人たちが、なんとかオスを騙そうと、必死で料理の勉強をしていました。 昔から思うのですが、「料理を作ることができない」という人は本当に本気で言っているのか、と疑問です。 その料理がどう作られているのかを想像する 毎日何かは食べているのに、それがどういう風に作られているのかということを本当に想像もできないのか、と思ってしまいます。 料理というものは概ね毎日複数回