ほんのちょっとのことですが、ぶわぁーっと豊かさの感覚を感じる時があります。
当たり前であると思っているような当たり前のことに感謝をするというようなこともそれにあたりますが、些細な事に気づくということもまた醍醐味があります。
―
先日、親戚の子が京都に遊びに来た時のことです。
帰りの時間の関係で、次の観光地までそろそろ移動しようかと思った時、「ちょっと寄り道」プランがあったのですが、周りの大人に急かされ、断念しそうになりました。
しかしながら、心残りというか残念な気持ちが残る諦めはいただけません。諦め癖がついてしまっては、長い人生で大きく受け取るものが変わってしまいます。
どうせ「また今度」と言って、結局一生その「また今度」が来ないような結果になります。
そして、今この時は、今この時しか無い、ということになります。
ということで、タクシーに飛び乗って、寄り道プランである駄菓子屋へと向かいました。
大型スーパーの駄菓子コーナーしか知らず、街の駄菓子屋には行ったことがないということだったので連れていきました(アニメやドラマの中でだけ知っているという程度のようでした)。
―
タクシーで駄菓子屋に行くというのは、何とも豊かな気分になりました。
(駄菓子代よりも交通費の方が高いというのは少し面白い感じがします)
費用としてはしれているものの、タクシー代と駄菓子代の相対的な比較で馬鹿らしく感じてしまうかもしれませんが、問題はそこではありません。
馬鹿らしく感じてしまうようなことでも、「ぜひ行こう」という思いを大切にするということが重要です。
大人の都合や大人の思考、合理性によって、思いが砕かれるのはいただけません。
―
個人的には何のためらいもなくタクシーに飛び乗れたこと、その部分に非常に豊かさを感じました。病中の頃であれば仮にタクシーに飛び乗ったにしても、どこかしらに抵抗感があったはずです。
今は他にお金を使うことがあまりないという部分もありますが、一切の抵抗がなかったことに多大なる豊かさを感じました。
その感覚に対しての実際の費用は安すぎるくらいでした。
「心残りが生じない、っていうのはいいなぁ」
ということを思ったりしました。