結果が出ることを焦ると全てが台無しになることがあります。
待つ時には待たねばならないと言う感じです。
焦燥感から物事を待てずにフライングしてしまうと、せっかく現れるはずだったものが姿形を変えてしまうことがあります。また逆に痛みを恐れて判断が遅れると損失がひどくなることもあります。だから穏やかに過ごすのが一番です。
「成長を温かく見守ること」で結果的にうまくいくとか、芽が出るまで穏やかに待つことによって、万事うまくいくということはよくあります。
ただ、単に待つだけでいいときと、待つにあたって「待つ体制」を整える必要がある時があります。
穏やかに待つというのもいいですが、その穏やかさは空間全体に広げなければならない場合もあるという感じです。
成長を温かく見守ること
先日、仲の良い社長仲間と話していると、「やっとうまくいきましたよ」と吉報をいただきました。「芽が出るまで穏やかに待つこと」ということで、詳細は伏せますが、環境を整えその人の成長を温かく見守ることを実行し、人事面でうまくいった社長仲間の会社の事例についてでも触れていきましょう。それは何年にも渡る人材面での課題が、一段落したという嬉しい知らせでした。
その時のキーポイントは、できない人であっても温かく見守り穏やかに待ったということ、そして、そんな人達にかかるであろう非難を直接的・間接的に防いだということです。
「二年経ってようやくですよ」
なんて言っていましたが、毎日毎日変わっていないように見えて、実は奥では変化を続けていて、二年くらい立ってそれが開花したという感じだったようです。
で、それまではそんな人達が一通りできるようになるまでに辞めてしまっていました。
それはクビを切っていたという場合もありますが、周りからの非難によって辞めていったということがほとんどだったようです。
まあ勤め人の人たちからすれば、できない人達があまりに擁護されていると、その人達に対する不満も募るので致し方ない部分はあります。
しかしその社長仲間は、そうした不満を別口でブロックするというところまで考えて実行しました。それは直接的な給与面でもある程度配慮があったようですし、また、誇りを保てるようにという配慮もしていたようです。
できる人たちを相対的に蔑ろにしてしまう
そう考えると、あまりに平等に扱ってしまうことは、できる人たちを相対的に蔑ろにしてしまうことになるということを示しています。
で、そうなると結果的にできない人たちは、いじめられてしまいます。で、耐えかねて辞めてしまう、と。
「いじめはダメです」とか「パワハラ反対」なんていっても、大人の世界なので直接的な暴力などはないにしろ、嫌でもそうした空気感が生まれ、自動的に重圧はかかってしまいます。正論を振りかざそうが空気までは変えられません。
でもあまりに直接的に差がつきすぎると、できない人たちは自己評価を高めることができないため、劣等感を感じすぎて辞めてしまいます。
内部制度等のシステムによって抑止力をつけようとするのはリッツです。でもシステムに依存していても、実質的な空気感は無くなりません。だから根本解決はできないのです。そのあたりがリッツの低能さと狂気を物語っているという感じですが、それは本題ではないのでそれは置いておいて続けていきます。
社長仲間自身は「芽が出るまで穏やかに待つこと」を選択し、できない人たちがいつか成長することを温かく見守ることにしたのはいいですが、そうなると「できる人たちを相対的に蔑ろにしてしまう」ということにもなりかねず、できる人たちからの不満ができない人たちに流れていってしまうことになりかねません。
そうなると上層部の思惑とは裏腹に「成長するまでの間」にできない人たちは辞めてしまったりすることになります。
そうなると元の木阿弥です。
いくら上層部がそうした配慮をと全体に説いたとしても、表面上は理解しても、心底納得はできないという感じになってしまいます。そして、そんな感じで微妙なまま事を進めたとしても、納得できない人たちは不満の矛先をできない人たちにぶつけてしまうことになるでしょう。ということで、待とうにも待てないようになってしまうため、それ相応の体制を整える必要が生じることになります。
待つにあたっても、手抜きのままではいられないという感じです。