世の中では縁起が良い動物とか悪い動物という発想をする人たちがいます。もちろん本来の意味での縁起、「因縁生起」とはまた少し異なった感じで俗っぽくこうした縁起の良い動物や縁起の悪い動物について考えてみましょう。
縁起が良い動物は何か?
縁起の悪い動物は何か?
A そんな分類は意味をなさない
単純な答えとしては以上となりますが、もう少し詳しく書いていきましょう。
本能が反応するという仕組み
昔何かで読みましたが、人は大きく「蛇を怖がる人」と「蜘蛛を怖がる人」に分類されるというような感じで、怖がるものの類型というものはあるようです。その研究として次のようなものがあります。
進化前の先祖の記憶として古い本能としての記憶として、天敵だったもの、体に害を及ぼすものに嫌悪感を抱いたり怖がって避けるように条件反射させるように組み込まれているのではないか、というような感じで、特定の動物や虫に関してはその形状を見ただけで思考をパスして反応するようになっているという感じです。
実際に自然界においては、いちいち考えていたのでは逃げるという動作一つとっても間に合わなかったりするので、すぐに逃げ出せるように一瞬で恐怖や嫌悪を呼び起こし、逃走という行動を取るように仕組んでいるのではないかという説です。
「縁起が悪い」というのは本能的な負の反応
そこで考えてみたいのが、こうした本能レベルの恐怖心と「縁起もの」です。
「単に本能的に嫌いなだけじゃないのか?」
ということです。
まあもちろん思考レベルを超えて瞬間的に無意識レベルで反応するということなので、「語るまでもなく嫌だと思う」という反応が裏側で起こるのであればテンションも下がるだろうということから推論して、「それを見るとテンションが下がって何事もネガティブに考えてしまうようになる」という感じで縁起が悪いとされていたりするのでしょう。
「縁起が良い」は、本能レベルのポジティブな反応
逆に考えると、本能レベルで「語るまでもなく嬉しくなる」というものであれば「それを見るとテンションが上って何事もポジティブに考えることができるようになる」と言ったことが起こって、リラックスによって頭がより良く働いたり、本来無属性の現象に対して楽観的に好感を持つ感じで解釈をすることができたりするので、物事がうまく進むという感じではないでしょうか。
遠い先祖は捕食される側だったのかもしれない
そんな感じで考えると、蛇を怖がる場合は、遠い先祖が蛇に捕食される小さな哺乳類だったのかもしれませんし、蜘蛛を怖がる場合は、遠い先祖が蜘蛛に捕食される虫だったのかもしれません。
それを調べたところで仕方のないことなので、気にするようなことでもないのですが、胡散臭い占い師とかスピリチュアリストのような人がどこかの本で読んだ知識で語るような縁起の良い動物や縁起の悪い動物などという分類は、所詮本能レベル、無意識レベルでの反応程度の話になると考えることができます。
オーラが見える!
余談ですが、少し笑ってしまうような話をしておきましょう。
ある時、日差しが強い春に庭にいると「オーラが見える!」と言われたのですが、「何色?」と聞くと「緑」と言われました。
その時着ていた服は赤でした。なお、後ろは灰色のブロック壁でした。
ということで、白い服に着替えてみました。
「黒いオーラが見える!」
ということだったので、黒い服に着替えてみました。
「白いオーラが見える!」
ということだったので、あえて黄色の服を着てみました。
「青っぽい紫のオーラが見える!」
ということだったので、
「単なる補色やん」
ということになりました。
世の中には共感覚でそうしたものが見えるということもあると思いますが、胡散臭い系の人が見えているものは単なる錯覚かもしれないという感じで思っておいてください。
オチが分かったら恥ずかしいですよ。
縁起が悪いなどと忌み嫌われる筋合いはない
まあ縁起の良い動物、悪い動物等々に関しては、間接要因として考えれば、本当に気分として反応が起こるので、その反応が発端となり、目の前の現象の解釈の仕方が変わるのでまったくデタラメな推論とは言いませんが、それをオカルトレベルでどこかの本で読んだだけの知識で語るというのはやめておきましょう。
なぜならそれはある種の動物を差別的に捉えてしまうことになるからです。
胡散臭い占い師やスピリチュアリストの妄想で、様々な動物や虫、時には植物までもが意味なく忌み嫌われ、差別されてしまうからです。
本能に刻まれた遠い記憶からの反応を発端として意味なく忌み嫌われているというくらいまでならいいですが、縁起が悪いから殺すとかそういうことが起こったりもしますからね。
逆に縁起が良いからという理由で連れ去られたり殺されたりということも起こりうるので困りものです。
本能レベルから無駄に起こる感情と、カルト臭い思考から導き出されるものによって、自然界の生き物が意味なく傷つけられるというのは嫌ですし、生き物たちにとってもいい迷惑です。
ということで、まずは縁起云々という人たちの頭を疑いましょう。
「五本指ソックスは縁起がいい」
なんて単に汗を吸収しやすくて細菌が繁殖しにくいから、皮膚から感じる不快感が減るといった感じの「無意識レベルの体の反応の話じゃないか」ということです。五本指ソックスが何千年も前からあったのかということを思ってしまいます。
といっても風水は、風と水ということで、光や風や湿気のたまりを見抜くことで「細菌やカビの発生によってテンションが下がること」を防ぐためのハウツーとしては良いヒントがあるかもしれません。
それは皮膚的な不快感という面もあるでしょうし、空気が悪くて呼吸が浅くなり酸欠となって頭が働きにくくなるというような面も考えることができます。
そのような感じで生活空間の設計に活かすのはいいですが、縁起云々を根拠に生き物を傷つけたり忌み嫌ったりすることはやめておきましょう。
「単に無意識レベルで本能が反応しているだけじゃないか」ということを見抜いてしまったら、そうした因果は形を変えます。
縁起のあり方が変わるのです。
野放しにしておいたら無意識レベルでテンションが下がってしまうことであっても、それを制するということができるようになるため因縁によって生起するあり方が変化します。
何かが起こった時に動物や虫や植物のせいにするのも心なら、縁起もののおかげだと感謝するのもこの心です。
蜂を見ると恐いと思うからこそ縁起が悪いと思う、狐を想起すると捕食される側の小動物だった先祖の記憶が蘇るというだけの話です。
縁起が悪いなどと言われる筋合いはありません。
すべての生き物は仲間であり友達です。
敵だと思えば敵になります。
たったそれだけの話です。
意味なく「縁起が悪い」などと考え、特定の生き物を嫌うのは人間だけです。
すべての生き物に「生き物としての自然なあり方」を教えてもらいましょう。
謎のスピリチュアルとかカルト宗教のカルト臭い論理と感情について理性によりよくよく考えてみると、感情を知識でこじつけることで妄想が生まれるという感じになっています。生理的な不快感をはじめ、不安感、劣等感、罪悪感などの何かしらネガティブな感情があったとして、それに対して「解決策的なもの」として、意味不明な論理が展開されている「知識」によって思考上でつじつまを合わせているという感じになります。
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