これで1800記事目になります。ブログ創設から1800回目の投稿ということで「第1800回投稿記念」です。
前回の第1700回投稿記念は、2020年1月5日だったので、前回からの100記事は、4ヶ月弱かけて投稿したという感じです。書庫の植物を増やしたことが後半の伸びに影響しているでしょう。
1ヶ月ほど前に六周年を投稿したばかりですが投稿記念なので致し方ありません。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。
また、contactからご連絡いただいた方、投稿にコメントをいただいた方、ありがとうございます。毎度のことながらたくさんの気づきがあった他、様々な専門的情報については勉強になりました。
PC、タブレットなど機器の電源を切ったりする習慣ができたので、ご連絡が遅くなることもありますがご容赦下さい(今後も若干のタイムラグが生まれると思います)。なお、contact以外からのご連絡は確認が大幅に遅れることがありますのでご留意いただければと思います。
それではおなじみのアクセス解析から見るアクセス状況から投稿記念の回を進めていきましょう。
アクセス状況
前回の2020年1月5日から2020年4月25日までの間のユーザーさんの数は、66,850名であり、前期間(同一日数)は、104,017名なので、比較すると35.73%の減少という感じのようでした。
最近はまた右肩上がり気味ですが、年始からアクセスがガタンと落ちたので、今回の数値もあまり参考にはならないかもしれません。
男女比は男性50.63%、女性49.37%でした。前回までは女性寄りだったユーザーの男女比でしたが、若干男性ユーザーさんの方が多くなってきました。
なお、男性ユーザーの方が圧倒的に滞在時間数やPV数が多いので、ユーザー数減少の中でもPV数はそれ以前とそれほど変わっていません。
モバイルからのアクセスは75.4%でした。前期間と比較するとモバイル、タブレットからのアクセスが少しだけ減少し、デスクトップからのアクセスの割合が微増していました。
日本以外からのアクセスは、やはりアメリカがダントツですが、それ以外としては順に、台湾、タイ、オーストラリア、ドイツといった感じでした。
サイト内検索
さて、毎度おなじみサイト内検索です。今回は、983ワードでした。
とりあえずは検索回数が多かったものをご紹介しましょう。
- モテない
- Z会
- 孤独
- 性格
- 情動
- 読書
- 結婚
- 恋愛
- 嫌い
- 爆笑
その他、合意性過大視、バタフライエフェクトといったものもありましたが、般若心経、空海、色即是空、龍樹といった日本において馴染みのあるような大乗仏教系のワードが結構ありました。
さて、それでは投稿記念の回としていつもと違った感じで進めていきましょう。
投稿した瞬間に連絡が来る
意識を向けると物事が動き出すということは、僕の中では当たり前となっていますが、一応外向きには説明しにくいことなので詳しい理屈については触れずにちょっとした出来事だけ記しておきましょう。
先日、「画面割れ修理後にすぐに割れた時の対応」を投稿した時のことです。いきなり過ぎてびっくりしましたが、投稿の公開ボタンを押して69分後に当の友人から電話がかかってきました(比較的直近の出来事なので、着信履歴等々時刻を確認してみました)。
若干久しぶりの連絡でもあり、もちろん全く関係のない話しかしていないのですが、「さすがにレスポンスが早すぎるだろう」と思ってしまいました。
自然な流れとツキ
という彼と僕はある時から密約のごとく「自然な流れとツキ」を大切にするようにしています。まあそうしたものを阻害するものは避けようというような約束です。
まあそういうとスピリチュアルにハマった人のような感じがしてしまうと思いますが、そうしたものは「自然な流れとツキ」に妄想がくっついているだけなので、当たらずとも遠からずな面がありつつ、一応似て非なるものという感じです。
「自分はこれをやりたいんだ、これが好きなんだ」と思い込もうとしても、自然の流れが全力を上げて阻止してくることもありますし、阻止しているように見えて、単純に見えていなかったものを見せてくれるような試練的演出のように解釈できるような時もあります。
ということで、
「これは自然な流れに阻止されているのだろうか、それとも試練的なものなのだろうか?」
というようなことを思ってしまう時もあると思いますが、そうした判断はアイツこと「自我」がしている程度なので、大抵の判断は「誤り」だったりします。ただ、二元論的に考えることもできないようなことも多々あるので、完全に間違いというわけでもないように見えたりもします。
ただ、その心の静まり方によって「自然」か「自然と思いたいのか」を見分ける精度が変動します。
判断は頭でするものであり、かつ、人間の思考自体が基本的には不自然なものだったりします。そして、特に他人による「仕掛け」がたくさん潜んでいる情報の渦の中では、「それが自然であると思い込め」という罠がたくさんあるわけです。
頭で本当に理性的に考えているつもりでも、その実「不快な感情」に相当振り回されているという感じになっていて認知が歪んでいるという場合もよくあります。
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もちろん「自然な流れの方に帰れ」ということを突きつけるために「誤りを選択して散々な目に遭う」というプロセスを経るということもあります。そう考えると全てが自然な流れですが、合間合間に苦しさなどがやってくるので、無理に不自然な方に執著する必要はありません。
体育会系の発想で「頑張った自分が偉い」ということを平気で思う人がいたりもしますが、頑張ったにしろ頑張れたのは環境が整っていたからだということを見逃す形で傲りに耽っているということになります。
そして「頑張ったのに褒めてもらえない」と嘆いたりします。
ということで「誰か褒めろ!」ということでお金を出して夜の店に行ったりするわけです。
傍から見ると、自作自演の自業自得という構造がよく見えます。
好きなことで生きていく、みたいなやつ
自然な流れといっても、目の前の環境に耐え忍ぶという感じではなく、理に合わないという意味での無理なことを「好きなことで生きていく」などといった感じで「これなんだ!」と思い込もうとするようなことはやめるという感じです。
数ヶ月前、彼と道を歩いていた時に「好きなことで生きていく、みたいなやつ何なん?また仕掛け?」と聞いてきました。
さんざん自然な流れとツキを大切にしてきた僕たちとしては、もちろん「好きなことで生きていく」のを否定はしませんし、むしろその通りに生活しているという感じですが、なんだか単なる「責任的なものからへの逃げ」のニオイと「非自然的な感じ」を感じてしまうといった具合です。
「好きなことを見つけなければならない」というような強迫観念を生み出すだけではないかという感じです。
そしてそうした「義務感から探し出したもの」は、自然なものではないため、ステップ的な布石ということはあっても直接的には概ねズレたものばかりであり、低空飛行をした後に沈没するという感じがしてしまいます。
「もうどうしようもなく止められないもの」は、探さなくても勝手にやってきます。
ところが、世間のそれは「『もうどうしようもなく止められないもの』であるかのように思い込め」というような煽動に振り回されている感が否めません。
心の静まりとツキ
超絶甘党のおじいちゃんの置き土産のようなものですが二十代の頃から「実力や努力も結局ツキには勝てない」ということを思っています。
「フリーターから上場企業へ」などは顕著な例であり、共に正社員未経験の二人のコントラストがそれを如実に示していると思っています。
超絶甘党のおじいちゃんの実体験の話によると、戦時中の戦闘エリアにおいても「持てる者と持たざる者」が非常にくっきり別れていたようです。2年ほど戦地にいたようでしたが、ある程度の期間を経ると「こいつは生きる、こいつは死ぬ」ということが、見ただけでわかるようになったそうです。
おじいちゃんによると「我執が強いものほど、あっけなく」という感じのようでした。
そういえば手塚治虫氏も、空襲の様子を見に監視塔に行っている間に工場が爆撃されたという感じで生き残り、水木しげる氏も、偵察を任されつつ「キレイだなぁ」と鳥を見ている間に、部隊は襲撃されて全滅しつつ、自分は生き残ったという感じのようです。
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自然の流れに抵抗するとツキに見放されます。もちろん自然の流れに沿うという部分について、「劣悪な環境を受け入れろ」というわけではありません。
「調子が悪い時は静観して時を待つ」で触れていましたが、「私はこれがやりたいんだ」と無駄に躍起になった時に「選ぶもの選ぶものがカス」というような経験を経て、やはり「いくら自分でコントロールしようと思ってもツキには勝てないなぁ」というようなことを思うようになりました。
「ツキに見放されているなぁ」という時、その時には我執が強く働いています。
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思い返すと人との出会いや物事の発見に関しては、そのタイミングも含めて「見事だなぁ」と思う時があります。
特に社会的な事柄に関して、僕には「自分が努力で掴んだ」という感覚があまりありません。
そうした感覚をもたらされたのは、多様な人々がその奥深くを見せてくれたからだと思っています。まあ奥深くでないにしても、ある程度様々な環境を知り、推測できれば丸い気持ちになれるはずだと思っています。
傲りの消滅
例えば「同じような環境」とは言いつつも、全く同じ環境ではありません。
学業的成績や仕事の成績に関しても取り巻く環境において「気持ちを乱すものが少ないかどうか」というところも関わってくるだろうと思います。
「あいつの成績が悪いのは能力が低いからだ」とか「努力が足りないんだ」とかいうようなことを脳筋たちは平気で言ったりもしますが、例えば学業であれば、学校外の教育を受ける資金力があるか否かという経済的理由をはじめ、家庭内が平穏かどうかというところも集中力にも関わってくるので環境は千差万別です。
だからといって能力の低さを「仕方のないことである」とすべて免責にするというわけにはいきません。
しかしながら、我が事としては何かしらうまくいっても「色んな意味でツキのおかげだなぁ」と思って傲らずにいるのが理想的です。
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それでは引き続きご愛読くださいませ。
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