あの人は快適な真理を捕らえようとして狩猟をする。この人は― 不快な真理を。しかし前者もやはり獲物よりも狩猟の方が好きなのである。 曙光 396
狩猟ということで「狩猟免許」の案内を思い出しました。狩猟の発想から、食物連鎖の域を越え、特定の動物を経済動物と呼んだりすることで、己の良心を説得しながら、己の快楽を追求しています。
そう言えば先日銭湯に行った時にテレビがついていて少し見ていたのですが、福島かどこかで猪が街中をウロウロしているという特集でした。
事あるごとに、「猪が悪い」と結論づけようとしますが、別に猪が悪いわけでもなんでもありません。
ということで今回は、土地についてでも書いていきます。リアルエステートという概念と所有権についてでも触れていきましょう。
リアルエステート
土地や不動産のことをリアルエステートと表現することがありますが、もともとエステートだけで土地や不動産という意味があります。
で、リアルとは何なのかということになります。株などの無形物との比較の中で「リアルですよ」という認識が多いようですが、実際は「王族の」という意味があるようです。英語で言うところの「Royal」スペイン語の「レアル(Real)」ですね。スペインもあちこちを植民地にしているのでその名残でしょう。
まあつまりは、「王の所有物である土地」という意味です。
知っている人は知っている、知らない人は不動産屋さんでも知らないという感じです。
日本でも「国家のもの」という属性がいつまでもついていきます。
「いやいや土地を買ったら自分のものでしょ」
と思われがちですが、土地を購入しても、第三者である他人には文句を言われないかもしれませんが、固定資産税は取られますし、いざ都市計画なんかが強行されれば、無理やり立ち退きです。「ブルドーザーが入ってきて」なんてなこともありましたね。
ということはどこかで「国のもの」という属性がついています。だからリアルエステートという感じです。
といっても「王のものだから」というのも、思い込みと言えば思い込み、人間の世界だけでの力関係の問題であって、本質的には誰のものでもありません。
「所有権」とは人と人との関係にのみ適用される概念
「所有権」とは人と人との関係にのみ適用される概念でしかありません。あくまで、人で構成された社会における概念であり、相手や第三者に対する説得材料でしかないのです。
「ネパールの山奥で出会った鶏」で少しお伝えしていますが、権利義務とか金銭のやり取りとか所有云々は人間と人間だけの世界の話です。
しかも、他人を説得する材料でしかありません。
人間と鶏の関係においては所有権というものは入り込むことができません。あくまで相手は人間であり、人対人の関係においてしか所有権という概念は持ち出すことはできません。
「所有権」などをよくよく考えてみると、「これは私のものですから、他人であるあなた達は使わないでください」という説得くらいで、無理やり奪われそうになったときには、国家などなど大きな存在が「ルールですから」と強奪者をブロックしたり、取り返してくれるという程度です。
全て人間の、それも意識の上で起こっていることで、かつ、他の人間への説得としての機能を持っているにすぎません。
「所有」というものへの執着は苦しみの原因になります。
ということで、「なるべく自分のものにしたいなぁ」なんてなことは度外視して、ただ単なる使用価値くらいにだけ着目するとよいでしょう。
ということは、住むところに関しても、ずっと賃貸でもいいですし、ずっとホテル住まいでもいいはずです。
狩猟 曙光 396
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