数多のビジネス書が結局精神論ばかりになる理由という感じで、世の中で出版されるビジネス関連の本が精神論とか心のあり方に落ち着いてしまうワケについて触れていきます。
具体的なハウツーが欲しいのに、なんだかんだで書いてあることは精神論だったり考え方だったり、心のあり方だったりという感じに落ち着いているというようなやつです。
まあそれを嫌だと思う人も結構いると思いますが、どうしても最終的にはその人のマインドが大きな影響を及ぼすのでビジネス書においても結局最終的には精神論ばかりになるという感じになっています。
レベルによって見える世界が違う
仕事上でもいろいろな人と話したりするのですが、「ああこのレベルか…」と思ったりしてしまうことがあります。
まあ早い話が「深いところでは話が通じない」という感じです。
これは極端に言えば、次のような感じになります。
お金を稼ぎたいと思っている人がいたとして、その人がマルチネットワーカーだったとしましょう。マルチ商法によってお金を稼ぎたいと思っている状態にある人です。その人としては「どうやったら自分のマルチビジネスがよりうまく進むか」ということしか考えられない状態になっています。
しかし、お金を稼ぐということに限ってみても、そのような方法だけではありませんし、そのような後に傷がつくようなものはやめておいて、もっと稼げて心もスッキリするようなものを選ぶほうがいいという現実があります。
というのが本当のところであるはずですが、その人としては「どうやったらもっと子会員が増えるだろうか?」という具体的ハウツーばかりを探しているという感じになっています。
だから話が通じないのです。
その人としては目の前の問題のようなものをいかに解決するかということしか頭になく、根本的にその領域からは脱したほうがいいということが頭に浮かびません。
ということで「レベルによって見える世界が違う」という感じになります。
帰納法的に示されるもの
時代は日々進化していますし、あまりに具体的なやり方というものは、それがそのままいつの時代でも通用するということはありません。
ただ、そうした具体的事例には、どこかしらエッセンスがあって、それが今の時代の環境ではどのように出ているかということが朧気ながらつかめたりもします。
自分の唯一の関心事に完全に合致するような事例はないかもしれませんが類似するような事例もたくさんあるはずですし、いろいろなケースを知れば、共通して示されるような「帰納法的に導け出せるような法則」が見えてくるはずです。
そしてそれが理解できれば、現状の環境に応じてどうすればよいかということの仮説を立てやすくなります。
で、その究極的な地点というのが、いわゆる精神論になってくるという感じになります。
ただそれは抽象的すぎて実感がわきません。何にどう適用していいのかすらわかりません。しかし、それらの考え方や捉え方は一つの「問題解決の材料」として、いつどこで本領を発揮してくるかはわからないという感じになります。
具体的な情報
特にインターネットが進化してきてからは、問題に対する答えがすぐに提示されるかのような感覚が加速してきています。
そして考えるのが面倒だから具体的なハウツーばかりを求め、探してみたもののそれが自分の問題に直結しているものでないと落胆するという感じになっています。
しかし誰でもすぐに答えを知ることができるようなものにはあまり価値がありません。特に経済社会においては、優位性が生まれてこないので競争力として力をつけることにはならないという感じになります。
「株式会社の作り方」や「ネットショップの運営の仕方」というようなあまりに具体的な情報はいたるところにありますが、「安定的に成り立つ会社」はどうやって作ったらいいのかということは自分で発見していくしかありません。
そして様々な具体的情報は、それだけである特定の問題を解決してくれたりもしますが、それら情報によって自社の独自性や優位性をもたらしてくれるということはほとんどどありません。
浅い思考を持った人ほど、「安くわかり易く簡単に儲かる方法」をいつの日か発見できるのではないかと思っていますが、確かに稼ぐためには「その仕事が簡単でありシンプルでありコストが掛からない構造」になっていなければならないものの、そんなパッケージが他人から提案される形で自分のところにだけ都合よくやってくるはずがありません。
そうした感じで都合よくやってきたものかのように思って手を出すのがマルチ商法という感じです。
フランチャイズなども、自分の頭を使わなくて良いという意味では楽ですが、その楽さに応じて本体だけが儲かるブラック環境だったりします。
情報を得ることのメリットとデメリット
情報を得ること自体は「思いつき」の素材集めとしてのメリットがあり、考えの材料にはなりますが、逆に固定観念を作って盲点を作ってしまうというデメリットもあります。
既にうまくいっているやり方を知ることは勉強になりますが、義務教育的にその方法論の枠組からしか考えられないという感じで視野を狭めるということにもなるという感じです。
起業したい人が知りたいこと
ところで、ビジネス関連の本がどれもこれも結局精神論的であり鬱陶しいという人達にとって何が不満なのでしょうか?
そうした感じで「起業したい人」なんかが最も関心をもつこと、最も知りたいことは何でしょうか?
それは非常に単純で「何をやるのかが決まらない」ということを解決してくれる情報です。
だからよく経済団体のようなものが、士業や広告屋の集客のために開くような、「起業家セミナー」などで「法人の設立登記」とか「会計のあり方」とか、「売れる広告とは?」みたいなやつを開催したりしますが、概してあまり反応がないというのはそんなところが原因になっています。
「実際に会社を設立する時とか、広告を利用する時などには役立つかも知れないけど、本当に知りたいのはそこじゃない!」
というやつです。
同一業種で独立する人であればそれでいいのかも知れませんが、「何がやりたいのかわからない」とか「どういうことをすればいいのかわからない」という人たちにとって、「それを知ってプラスになる」という面はありながら、「そこじゃない!」という感じになっています。
といっても、何をすればいいのかを教えてもらえるのなら、勤め人でもいいわけです。その方が手っ取り早いですし、いいところ同じ業種で独り立ちするくらいがちょうどいいでしょう。
「どういう分野で起業すればいいのか誰か教えてくれ」
というのが、起業したくてもできない人たちの本音ではないでしょうか。
既に起業してしまった人たちにしてみれば、「お金とか時間を理由にしている」という目線で、起業することへのマインド的なブロックを想定したりしますが、おそらく根本問題はさらにもっと手前にあって、「何をすればいいのかわからない」というところにあると思っています。
で、そうした質問をしてみても、「儲かることをすればいいんじゃない?」という返答くらいしか来なくて、「じゃあ具体的にはどんな分野なんだ!」という感じで曖昧性に苛立ちを覚えるという感じになっています。
そのマインドが問題だからこそ
ということで、ビジネス書が結局マインド的な話になる要因のうち、一つの大きな要因は、そうした「起業がしたい人たち」のもつ「すがり根性」が根本的に起業家に向いていないという点になるのではないでしょうか。
「何をすればいいのかを人に導いてもらおう」という精神の状態こそが起業家に向いていないという感じになります。
最近では人のセミナーを受けて弟子のようにセミナー系で起業をする人たちがいます。しかしそれは本来の起業家の人たちとは様子が全く異なっています。人に反応しただけですから。
だいたい事業を興す人は少し変人です。
そしてだいたい「思い切り」が良かったりします。
逆に言うと、少しのことでも不安になって、何かで保証がされていないと不安で仕方がないという状態にあっては、事業など興すものではないという感じになります。
「具体的に何をすればいいんですか?」
という質問に対しては、とどのつまり
「そんなことくらい自分で見つけて自分で決めろ」
ということになるので、数多のビジネス書は結局精神論ばかりになるという感じになります。まあ他にも要因はありますが、こうした構造がその中の大きな部分になるでしょう。
ただ、それを克服しようとすると、逆にそのマインドを強化することにもなりかねません。
だからそれに抵抗することなく、曖昧に心地よい感じで精神論が書いてあったりするということになるでしょう。
ヒントは書籍の中にあったりもしますが、結局の所は何かをやってリアルな体験の中で得た情報が「生きた情報」になるので、いいことを聞いても「何もやりたくない」となってしまう意識のほうが問題だということが示唆されているということになりましょう。
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