成長しつつある徳

「徳が高い」「功徳がある」というようなことを言語情報として見聞きしても、何の説得力もありません。「あの人は徳が高いことで有名だ」というような情報ですね。それを第三者から聞かされた場合などです。

功徳といったようなものは、そういう一種のプロモーションをしても、実際に会ったりしてしまえば、その人からぷんぷん情報が出ていますから、取り繕うことはできません。

簡単にいえば、いくらライターが新曲の事をあれこれ感想や過去の楽曲との対比のような記事を書いても、その曲を実際に聞いた時にそのような言語情報など何の意味も成さなくなるのと同じことです。

画像だけでわかるその人の徳と人格

ところで、最近では画像を見るだけですぐにその人の徳の具合といえばいいのかなんというか、人格のようなものがわかるようなってしまいました。

「こんな人に言い寄られてるんですが、どうでしょう?」

と、たまに友人知人などから相手の顔が写った画像を送ってきたりしてもらいますが、

「おそらくこういう人ですから、こういうことに気をつけてください」

と、送ると、数カ月後に

「その通りでした」

と返事がやってくるようになりました。

画像なので、ある程度情報は落ちていますが、おおまかなことくらいはそれだけでわかります。

実際に会えば、一発でわかります。

嫌でも情報は伝わって種となる

しかし、実際に会うことによって、こちらが持っているような情報が相手に伝わります。同時に相手の持っている情報もこちらに伝わりますが、ある種の邪念のようなエネルギーを吸い取るような形になります。「同じ空間で影響されあうなら」という箇所で少し触れました。

そこでその場以降は、その瞬間に得た印象とはまた少し違ったような人になります。

しかし、やはり触れているときは少し変わるものの、また普段の環境に戻るとそちらが優勢になります。

優勢になったとしても一度話して伝えたことは種として潜みます。

ある条件が整ったとき、やはり大きな変化が訪れるでしょう。

それは命令のような形でしても、反発心が優勢になるため、あまり芽が出ることはありません。感情の抵抗が大きいほど、芽が出にくいのですが、その感情の抵抗に気づいたとき、その抵抗がコントロール下に入ります。

それでも多少はブレるでしょう。

しかし、じわじわじっくりと裏の方では確実に育っていくはずです。

誘導を回避する

同じようなことが広告などで密かにその広告の出稿主に都合のいいように種が植えられています。

それに気づくか否かで、注意を向けるか否かで、誘導されるか誘導を回避できるようになるかが決まってきます。

誰かと会っている時に、相手の影響で自分の言動が多少なり変わっていることをいつでも意識して気づくことです。

そうすれば、その場は影響を受けても、それを残すことはありません。

誰かと一緒にいる時に、普段一人ではなかなか起こらないような欲が起こったら起こったで、起こったことに気付けば、こちらのものです。

野放しにすると、知らぬ間にそういう性格の方に導かれてしまうでしょう。

原因を開花させないために

自分の意識に入ってきたものは、追々の何かの原因になります。

それを開花させるか、開花させてしまうか否かは、原因があっても原因にしないようにすればいいだけのこと。

それには、気付きが効きます。

もしそこまで集中力を保てない時は、せめて開花する条件を潰してしまえばいいだけのことです。その間に別のことに意識を向ければいい、というやり方もあるでしょう。

根本解決にはなりませんが、少し実用的です。

受験前に、友だちとゲームの話をしていたらゲームがやりたくなった、という場合なら、ゲーム機を親戚に預けるか売ってしまえばいいのです。

それでも「ゲームがやりたい」という衝動は残っています。

このエネルギーが抑圧されて、精神に負荷を与えてしまうことは実感のあるようなことです。ですからこのやり方は、根本解決にはなりません。

何度も何度も「ゲームがやりたい」という衝動が勝手にやってきて、「でも、できない」、「でもやりたい!」と、それが負荷になります。

目の前にゲーム機をおいて、「それでもやらないぞ、やらないぞ」と苦行のようなことをする必要はありません。

目の前に誘発するようなものがあれば、自分の意識とは関係なく、勝手に衝動がやって来てしまうという事に気づいたほうが賢明です。

それは自分の意識の中のどの部分がそんな衝動をもたらしてくるのか、自らの意識の中を分解していけばいいでしょう。

そうしていくと、自分がやりたいからやっている、と思っていたことでも、誰かの意識の中でやらされていた、ということにいずれ気づいてしまいます。

そうなると、最初は行ったり来たりしながらも、追々その衝動の呪縛からは逃れることができるでしょう。

呪縛が一つ無くなるごとに、身が軽くなる体感を大切にしてください。

成長しつつある徳 曙光 456

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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