「もうこれで安泰だ」と安心したい気持ちはわかりますが、世の中に安定というものがあると思っていること自体が誤謬であり、慢心が起こるととんだ災難に見舞われることがあります。
「安定はない」というのは普通に考えれば誰でもわかりそうなことですが、喜びの感情などによってそれが見えなくなる場合もよくあります。
安定というものが必ずあり得ないというのは、諸行無常という概念にも表れていますが、その厳密な意味を捉えられなくても、「自分を含めて全ての環境は変化する」ということくらいはすぐに分かりそうなものです。
「リスクの想定」は積極的なことであると解釈することもできる
何をするにしてもリスクはあります。しかしながら、それらリスクは可能な限り前もって対処することができたりもします。特に大きな事柄であればいつも以上に慎重になるべきところを、大きな事柄ゆえの「喜び」などが先立って、その実際のところが見えなくなったりするのです。
リスクに対処すること、リスクを予見しておくことは、何も物事をなさないための言い訳探しといった消極的なことではありません。
むしろ、何が何でも叶えたい、継続させたいと思うからこそ真剣に考えるというだけのことなので、そうしたリスクの想定は積極的なこととすら捉えることができます。
数十年で自分を取り巻く環境がどれほど変化するかはわからない
友人知人にたくさんの不動産関連の人がいて、いろいろと話を聞く機会も多いのですが、例えば「住宅の購入」など金額的に個人レベルでは相当のリスクがある買い物になります。
個人的には、それほど所得が高くない業種の勤め人の人がそうしたものを数十年のローンを組んでよく買うなぁ、とすら思っています。
今は住宅ローン金利がかなり低金利ですが、金利の面の支払総額といった面はさておき、住宅購入にも様々なリスクがあるはずです。
その数十年で自分を取り巻く環境がどれほど変化するかはわかりません。その変化に全て対応しないと、失業にあってローンが返せなくなったりするというリスクを考えると、かなり厳しいものがあるような感じもします。
この30年間の変化
例えば30年ローンだとしたら、今から遡って考えれば1988年です。金融経済の話に限って少し考えただけでも、その時代から今までの間に、バブル崩壊やITバブルの到来、そして崩壊、その後リーマンショックなども経て現在に至るという感じです。
コンピュータや通信の環境としてはパソコンの普及からインターネットの登場、携帯電話の普及はもちろんスマートフォンでありふれる世の中になりました。
その間にたくさんの人が失業し、もう世の中に存在しない職種というものもたくさんあったことでしょう。代わりに新興企業が勢いよく成長したりして、名だたる大企業になったりもしました。
1988年から2018年ですらそのくらい変化していますが、1958年から1988年までの間の変化も凄まじいものがあります。
ローンの年数などを考えて、それくらい時代の変化、社会の変化があるということくらいは頭に入れておくべきではないでしょうか?
「一国一城の主」の喜びにより盲目になってしまう
ところが住宅の購入となると、「一国一城の主」感ということなのか「マイホーム」が嬉しすぎて、その喜びの前に盲目になってしまうというのが一般的なのでしょう。
リスクがあるから買うなということではなく、もちろん買いたければ買えばいいのですが、かなりたくさんのリスクを伴っているということくらいは頭に入れておくべきです。
価格が大きいと鈍感になる
返品をよくする人を例にあげると、数百円、数千円のものに慎重になっていながら、その一万倍の価格のものには鈍感になっているという感じが不思議でたまりません。
「やっぱり自分にはあまり適していない」とすぐに購入商品を返品してしまうような人なのであれば、一万倍くらい慎重になってしかるべきではないでしょうか?
しかしながら、そうしたリスクの予見や吟味における前提知識があまりに不足しているゆえ、考えても仕方がないということで感情で突っ走ってしまうというのが本当のところなのでしょう。
その勢い自体はいいですが、その勢いのエネルギーのいくらかはリスクの予防に使うくらいでちょうどいいと思っています。
大きな買い物をするのならそれ相応のリスクを考えておかねばならない
そういえば最近水害で損害保険金が出るのか出ないのか、というところが問題になったりしていますが(というより額的な問題のようですが)、阪神大震災の時も地震をきっかけとした火災は保険金がでないとかなんとかで一悶着がありました。
大きな買い物をするのならそれ相応のリスクを考えておかねばならないはずですが、そうした面でもリスクの想定が甘すぎるという感じがしてしまいます。
その業界にいる「信頼できる友人や知人」にお金を積んででも相談する
といっても、不動産やそれに関連する業種ではない人であれば、いくらリスクを見渡してみても、ほどんど見えすらしません。
ではどうすればいいのか?
その対応策の一つとしては、「その業界で働いている信頼できる友人や知人にお金を積んででも相談する」という感じで対応できるでしょう。
「いきなり買って友人を驚かし、羨ましがられたい」
なんてことを思っているとババを掴むことになります。
「とんだ災難」は、ほとんど本人に原因がある
「とんだ災難」というものは、そのうち90%以上が本人に原因があるのです。
その原因が見えていなかった、不見転の如く見えていないのに突っ走ったというのがほとんどで、傍から見るとそれがよくわかったりします。
時に突っ走ることをしないと前に進めないということも多々ありますが、走る前にできることを「めんどくさい」と思って走り出すのは少し違うのではないかと思っています。
それは怠慢であり、慢心であるのですから、その結果の享受については誰のせいにもできないということがほとんどです。
それが怒りに燃えて、という場合ももちろんですが、それが喜びや楽しさという明るい感情であっても
「今、感情に苛まれていないか?」
ということを少し静観するとそれだけで少しはリスクが低減していきます。
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