紳士的な振る舞いはカッコイイこととされていますが、「カッコイイ」を意識しなくなると、素直に感情を味わうことができます。
たまに歩道を自転車で走ると、年寄りが「ここは自転車は通れないことになっとるんですわ」と、道を譲らないことがあります。
チリンチリン鳴らしても、意図的に無視しているふりをして、挙句そんなセリフを吐いてきます。
「そんなんはええから、はよのいて」
というと「ここは歩道で、自転車は車道なんですわ」と言ってきます。
「公務員みたいなことほざくなボケ!」
と言ってあげましょう。
他人の決めたルールを意図的に破ることはいけないこととされていますが、本来善悪というものは存在しません。
要は、万人の闘争状態における、国家という巨大勢力との力関係なだけであって、「解釈を入り込ませずに即時的に正しい」というのはトートロジーだけになります。
「地球温暖化防止に貢献するため、エレベーターを使わずに階段を使いましょう」
と、言うのは勝手ですが、企業においても退職金という金銭担保や昇給に響くという「脅し」がなければ、強制力は持ち得ません。
地球温暖化防止に貢献するため
そこで思い出したのですが、「地球温暖化防止に貢献するため、レジ袋を有料化させていただきます」とだけ言ってコストを削減しようとしたスーパーがありました。
地球温暖化自体が「新たな需要」を創出させるためだけのものかもしれないのに、というのはさておいて、有料化したレジ袋の分の収益を緑化活動に使うとか言うのならわかる話ですが、自分たちのコストを客に転嫁しているだけで、そのスーパーは何も貢献していません。
金銭的な抑止効果はあったとしても、事実上儲かっているのはスーパーです。貢献しているのは客です。
「環境への取り組み」
このキーワードを使えば、ある程度客に負担させても「異を唱えない『いい人』だと思われたい」という心理が働くので従うだろう、という考えです。
案の定、約半年後にそのスーパーは無くなりました。
カッコイイ人だと思われよう
カッコイイ人だと思われようとすれば苦しくなります。
「???」となるような禁止事項に対しても、それを守る義務教育の成れの果てになってしまいます。
「あなたはカッコイイ人だから、これくらいはできますよね」
という巧みな営業戦術があります。
先に褒めておいて、調子に乗らせて、後のクロージング時の「言い訳」に対して楔を打っていくというものです。
たとえば、車の同一車種でもグレードの違いなんかがあります。
少し上のグレードの車が止まっていた場合、そのことをツッコミます。
そして、そのこだわりを褒めます。
「やっぱりその少しの違いにこだわりを持たれていらっしゃるのってかっこいいですよね」
という伏線が張られることになります。
カッコイイにとらわれている小金持ちはこの戦術に引っかかる傾向にあると聞いたことがあります。
「その程度も出せないなんて」
「そんな細かい金額で」
そういう点に「やばい、みみっちい人だと思われたくない」という心理が働いて、見事に営業さんに単価を上げられてしまいます。
本当に欲しいモノだけを買えばいいのに。
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