さよなら2014。
2014年は非常に記念すべき年になりました。
何よりも、身が軽くなりました。
不要なものがどんどんなくなっていきました。そのおかげで、周りの社長仲間たちには、「お金に困っているのではないか」と勘違いされるほど、無欲恬淡になりました。元からあまり欲は強くありませんが(代わりに元々は怒りが強すぎました)、本当にあまり物が欲しくないどころか、静寂を好むようになりました。
ある程度お金を持つと、「お金があるなら水商売かゴルフ、高級車などにお金を使うだろう」、という世間での推測がたちますが、あってもそういうものには使いません。
資産が100倍になっても使いません。そういうことをしなければ「何かをごまかせない」という段階はもうとっくに越えています。苦しみもすぐに消え、楽しみや喜びもすぐに消えます。束の間の刺激でごまかしていては決して辿り着くことのできない安穏は一度体感すると、そういう遊びによる刺激や所有がバカらしくなります。これはお金をかけて得れるものではありません。かけなくてもできることですが、外の刺激に頼ろうとしている限りは永久に振り回されるだけでしょう。
「外で遊んで楽しそう」では、独りでいることに耐えられない何かがあるはずです。それを見抜くには、外で思いっきり遊んでみればいいのではないでしょうか。ただ、その時に何が起こっていて、自分の心がどういう状態かを常に観察しながらでないと気づけません。
「楽しかったぁ」で終わっていれば、もうそういう刺激の虜になるだけです。手を変え品を変え、同じようなことを繰り返してしまうでしょう。それがない状態、もう経験できないという状態を想像するだけで煩ってしまうのなら、そういうことはやってもいいですが、よくよく観察してみるといいでしょう。
禁止されて、意識の中でグルグル「やりたい」と思う気持ちがめぐるなら、やればいいどころか、やったほうがいいでしょう。
また、世間で言われている人格者などは目指さないほうがいいでしょう。彼らの行動や考え方に共感しているのは表面上のことですから、自己啓発や変な宗教の力で欲や怒りのエネルギーが弱っているだけの可能性もあります。参考にはしてもいいですが、崇拝したり、依存の対象にしてはいけません。それは自分の心を観ることなく、外の現象を見て妄想しているのとあまり変わりません。そういうことをきっかけにして、自分の心を観察すること、それ以上になってはいけません。
観察し続けて、今現在をフィルターなく体感することを続けていくうちに、様々なものを「やめよう、やめておこう」とすら思わずに、したいとすら思わなくなる、つまり意識には現れなくなります。人に説明するときなどに「情報」として概念は残りますが、エネルギーは無効化されていきます。そして最後にはなくなります。
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