先ほど、独り歩く夜道で出会った陰と陽で触れていた道を二周してみました。
あまり通らない道ではありますが、夜に歩くと「ぞっ」とするような感じがする道です。
昨年4月の時は「陰陽」の面で触れていましたが、伝統的には道教においては「あえて墓場で修行する」というように、「陰が強すぎる場所にあえて行って、それに対抗する陽を活性化する」というような考え方もあるようです。
まあそのような感じなのかもしれませんね。
とにかくその道は、住宅街ですが危機的な雰囲気から野生の本能が活性化するというような感じがします。
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そういえば昨年、全く同じ日に投稿した「休養と加速」(歩いたのはその少し前)で思い返したのですが、冬のこの時期こそ、「歩かなければ調子が落ちていく」というような法則性があるようです。
やはり一番は、娘の冬休みで一人空間が少ないことが要因になっていると思います。その他、寒いので外を避け、歩く機会が減って体が固くなったり、呼吸が浅くなったりというようなことがあるのでしょう。
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とにかく娘が誕生してからというもの、「この時期が一番つまらない」と感じています。それは娘だけでなく、親族が意識に入ってくるからかもしれません。
僕の中ではノイズでしかなく、どのように振る舞うかを色々と考えたこともありましたが、考えても仕方ないというか、意識から外して普通に稼いでいたほうが楽というようなことを思ったりしています。
娘の友達家族などからちらほら話が入ってきたりしますが、一番感じるのは「祖父母」の劣化具合です。
あくまで平均的なものにはなりますし、個々人のレベルでは様々でしょうが、少なくとも僕の感想としては、僕達世代の祖父母と比較して、娘たちの祖父母世代は、祖父母、そして人間として明らかに劣化しています(思い返すと、祖父母は力量があったと思います)。
原因は、戦後の消費文化を植え付けられた第一世代だからというような感じなのではないかと思っています。
端的には、孫たちよりも自分たちの消費の方が楽しいのでそちらを優先する、という遊び人世代です。
もちろんそれはそれで自由にしていただいてよいのですが、こちらもそれ相応の対応しかしないということを思っておいてほしいとは考えています。
都合の良い時だけ「家族」というものを持ち出してきても、切り捨てるということです。
もちろん、これは各家族ごと、個々人で大きく異なると思います。
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それに文句が言いたいわけではありません。
そんなことが話題に上がったり意識に上ること自体が「無駄」という感じです。
ただ、どうしても義弟などもやってきたり、娘の友達家族とも話をしたりしますからね。
おもしろいのが、義母は今年も「お年玉スルー」でしたが、僕の親友が、年始に我が家にやってきて、娘にそこそこのおもちゃを買ってくれたりしました。
A. 友達のほうが優しい。社会のほうが優しい。
という感じです。
まあひとつは「ドーパミン」の問題だと思っています。
コストパフォーマンス的な視点で考えると、義母としては「孫にお年玉を渡してもさほど嬉しくないものの、どこかの店で同額の消費をした場合、大量のドーパミンが出る」というのが答えです。
普段スマートフォン等で受動的なドーパミン獲得をしている人ほどこうした思考になります。
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そういう意味で、ドーパミン獲得は、能動的なものでないと感覚が狂っていきます。
現代ではスマートフォンが受動的獲得の主役です。しかしそれ以前でも、テレビがその役割を担っていました。
そう考えると、高校生くらいの時に、母がテレビを見ながら、
「何もええのやってへんわ」
と呟いたときのことを思い出します。
「ほな、ちょっとは掃除せい!」
ということを思ったりします。
それが、戦後の消費文化の縮図であり、僕達の祖父母との決定的な違いです。
受動的なドーパミン獲得への慣れは、人間を、そして人生を堕落させると思っています。
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たくさん歩くとそんなことを再確認したりします。
