世の中には驚くほど雑な人がいます。近年では「失言」として取り扱われたりして後で撤回ということもよく起こっていますが、根本的にそうした失言は「うっかりしてたなぁ」といったものでもなんでもなく、本心から出た言葉であるというのが本当のところとなっています。
相手や社会のことはお構いなしで、自分の感情に正直、そして、偏見に満ちており、思ったことをすぐに口にするといったような感じで「雑」を極めていたりします。そして自分に都合の悪いことには耳を貸さない、というより聞こえていないふりをしたりします。
まあ一種の「種としての生存戦略」のようなもので、この手の人もパターンとしては必要だからこそ、未だに世に一定数存在するのでしょう。
ちなみに自分のおばあちゃんもこの手のタイプですが、幼少期より接していて慣れているので「爆笑するしかない」という感じになっています(なお、溺愛されていたので、「インコのひなの死」を除き僕には特に実害がありませんでした)。
個人的にこのような雑の極みのようなタイプの人のことを「う○このでかい人」と呼ぶことにしています。
さて、「雑な人の驚くほど雑な行動」等々で雑な人については幾度となく触れていますが、ここでひとつ以前経験した「雑」の極みとしての発想について触れてみようと思います。
デブ・ハゲでも諦めないでください!
「デブ・ハゲでも諦めないでください!」
といったようなこのフレーズは、知人の結婚相談サービスを手掛ける方(女性)のブログのようなものに書いてあったフレーズです。
「ほう、どう出るのか?」
と思って読み進めてみました。
そうした肥満や薄毛の方に対して、元気づけるようなことでも書いてあるのかと思ったりしたのですが…
「デブは痩せることができます!
ハゲていても現代ではいい薬があります!」
という「40代、息子の彼女と間違えられる」「50代、毎晩夫に求められる」レベルの胡散臭い広告並みのことが説いてありました。
読んですぐに爆笑してしまったのは言うまでもありません。
僕としてはてっきり、少し有名な次のような話を持ち出すのかと思いました。
神様が「せっかく男女の数を均等にしたのに、この人はモテすぎてしまうから、バランスが崩れてしまう」と、その人の頭を薄くしてしまいます。
しかし、「その代わりに」ということで、そうしたところを気にしない本質を見てくれる素敵な女性をパートナーとして結びつけてくれました。
まあこうしたお話もあながち空論ではないと思っていますし、結構その通りだと思っています。
豊かさや男らしさの象徴として捉える国も結構あります。何より薄毛に関してはZ会的な能力値の高さがそこに示されているということにもなります。
というより、病気や怪我でそうした状況になっている人もいます。そうした面をどう捉えているのか、というところを踏まえて「雑」の極みとしての発想であると思ったりしました。
ただ、見方を変えると、「人格」の面でこの手の人を見分ける良い指針となりますので、ビジネスや家庭問わず、「くっついて後で大惨事」ということを回避する良いシグナルというふうに捉えることもできます。
まあこの雑な人に関しては、ご本人が30代まで全くモテたことがなく、結婚相談サービスで成婚し、その後結婚相談サービス事業の中で、お客の「お母さん以外の女性とほとんど話したことがない男性」にモテだしたということで変に自信をつけていった感じのようでした(そして自信をつけすぎて音速離婚しているようです)。
爆笑ついでに言いふらしてみる
ということで、爆笑してしまった僕は、その人を知る社長仲間たちに、当の投稿をこっそりたくさん知らせてしまいました。
その後、その方は、デブ・ハゲに該当するであろう既婚男性陣を中心に「すいません、諦めんときますわ!」と冷やかされていました。
そして、経営者会合では
「諦めないでくださいね」
「痩せることもできますし、いい薬もありますからね」
ということが、社長仲間の軽い挨拶になっていた時期もありました。
ちなみにこの女性は「咨軽薄の人と交りは結ぶべらかずとなん」で「やたらと熱意を持ってやってくる人」として触れていた人と同一人物です。
苦しみへの布石となる「傲り」
これは老苦で触れていたような「青年時における青年の意気(若さのおごり)」に通じる、苦しみへの布石となる「傲り」が根底にあります。
何事もそうですが、自分がそうなるか、もしくは、近いような状態になる可能性が1%でもあるのなら、傲りを持ち、相手に何かを要求することは対人関係のリスクにもなる上に、自分自身の心にとってリスクになるだけです。
若さを誇っても、それは必ず消えていきますし、何かしらの整った風貌等々があったとしても、それは変化していきますし、そうでなくとも事故や病気でそれが崩れる可能性は常にあるわけです。
まあそうしたことを外して考えても、「他に誇ることのない青少年期」の発想であると思ってしまいます。そしてそれを引き摺っているということで「モテのこじらせ」を感じてしまいます。
ということで、少し言葉を削る形になりますが、「I have a dream」の言葉を借りて締めくくりましょう。
I have a dream that my little children will one day live in a nation where they will not be judged by the their skin but by the content of their character!!
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