世の中では選ばれない側の「つまらない人」たちが、群れて自分たちと同じようなレベルにまで引きずり落とすということをしようとします。インターネットの普及によりその行動はより起こりやすくなりました。
マスコミが盛り上がるというのも結局人の関心を刺激して収益を上げるということなので、つまらない人たちが反応することを取り上げるというのはご商売柄致し方ないことです。
ちなみにこの「つまらない人たち」というのは、僕から見てつまらないという意味ではありません。ご本人たちがご本人たちの日常を「つまらない」と感じている人たちです。
そして「選ばれない側」というのは、俗っぽく言えば「ベータメイル」です。モテたいのにモテないという感じの人達ですね。日常に不満を抱えています。
あまり関係ないかもしれませんが、令和の「令」を「よい」と捉えようとする人もありますが、あくまで「言うことをよく聞く」という意味で「よい」という程度の意味です。令嬢というのは、「言いつけを守る」という意味で「よい」という程度です。
いくら様々な意味があるなどといったところで、日常その字を見る機会は、命令とか政令とかそのあたりが中心であり、結局世の大多数である「真面目でつまらないベータメイル」がZ会を僻んでいるふうに見えます。「群れて平均化させてやろう、一人に一人ずつが分配されるように」というような程度です。
ニュースサイトのコメント欄で「正論っぽいもの」を書いている暇があるなら、「変人が経営する中華そば屋」に行っている方が面白いと思いますが、つまらない人たちはつまらないので、正論を叫びます。
逆にこのような個人レベルのブログにコメントを残してくれる人は、少し変わっているのでその様態は異なると思っています(いつもありがとうございます)。
特に、そうしたインターネット上の行動だけでなく、「群れて叫んでいる系」の人たちが心底楽しみ、心底モテの心配をしていないのかというと、おそらくそんなことはありません。人が集まるところで正論をどんどん発信したり、群れて叫んでいたしている人がモテているとは思えません。
ちなみに、モテる必要はありません。ただ、選ばれない側の「つまらない人」が、「童貞を守る」などというと、「できないのではなく、やらない」のではなく「やらないのではなく、できない」というだけで惨めに見えます。
そんな事を言っている暇があるのならば、「できないのではなく、やらない」の方になるために鼻毛でもケアしておいたほうがマシです。
選ばれない側でつまらないからこそ、「権力を利用して女性を囲う」とか「女人禁制の山」に反応するのです。
そこまではいかなくても、ファミリーカーでショッピングモールなどに行っている人達を見ると、「本当に楽しいのだろうか?」と思ってしまうことがあります。
心底「レッチリのライブに来ているアメリカ人」ほど楽しんでいる姿を見たことはありません。
他人の意向を加味した消去法、折衷案のような気がしてしまいます。そういうことをしても構いませんが、解放を伴うような楽しさがあるかと言うとそれは絶望的です。そんなところに行くからつまらないのです。
「民族衣装を着て火を囲んでドンドコドンドコのようなもの」をはじめ、本来「ハレ」というものは、どこの地域でも文化として存在しています。
そうしたものが弱すぎるような気がします。
中途半端なヒゲを生やし、縁の太い眼鏡をかけ、素顔を隠しながら、微かにカッコつけようとしてはいけません。
年代的な例えで申し訳ないのですが、最低限、同世代の男性陣を集めて黒夢を熱唱しなければなりませんね(ベーシストであれば人時さんのベースをなぞらなければなりません)。
奇声がうるさいとしますね。
なぜうるさいと言わないのでしょうか?
周りに負けていますね。
なぜ負けるのでしょうか?
ファミリーカーに乗り、ショッピングモールなどに行くからですね。
なぜそのような行動を起こしているのでしょうか?
周りに気を使っているからですね。
なぜ周りに気を使っているのでしょうか?
女に負けていますね。
なぜ女に負けるのでしょうか?
男が弱っているからですね。
また、スマートフォンに気力を奪われているからです。
特に個人的には、世の中の人に負けていてもらっていてかまいません。その分僕は勝ちやすくなりますから。ただ、周りにも強くいていただきたいですね。その方が一緒に黒夢を歌いやすいですから。
つまらないのならば、面白くしましょう。
行政や洗脳広告会社に促されて旅行に行ったりしているようではいけません。旅行に行くのは良いのですが、「促されて」というところが結局「つまらなさ」を加速させていきます。
刺激を欲しつつ、手軽で細かな刺激で「済ます」ということやっていると、どんどん弱っていきます。
弱ってしまうなら、やらずに溜めておいたほうがマシです。
その方が何かをやりたくなりますからね。
こんばんは。また久しぶりにコメントを残させていただきます。この投稿に適しているかは分かりませんが。
周りに気を使うことばかりの人生でしたが近頃は少し肩の力を抜けるようになりました。ただし以前との比較でありますので、客観的には気を使いまくってると思います。
そんななので近頃は仕事で体育会系の人たちからお言葉を貰うことが増えました。「もっと情熱を持とう」「もっと仕事しよう」「みんな苦労してるからお前も苦労しろ」と。
皆さん直属の上司とか管理職とかでありません。そして良かれと思って言ってくる風です。僕の仕事観も感情も生活環境なんか余裕で考慮しません。相手にしませんがちょくちょく向こうからやってきます。きっと舐められているのだろうと思いますが、最近は疲れてきました。
一方で良い事もあります。こんなこと言うのもなんですが最近彼女ができました。ようやくです。職場の別部署の方です。やはり、お互い素直だとトントンと進むようですね。僕の方から仲良くなりたいと願い、その人との時間を楽しんでいたら付き合うことができました。声を掛け、対等にしかし流れを渡さずといった感じでいきました。彼女は僕の人柄に惹かれたみたいです。(ちなみにbossuさんから頂いた最初からタメ口で接するというのもやってみました。これも上手くいったようです。)
いずれも自分に優しくなれたからなのかと考えています。仕事では、肩肘張らず自分のやり方を掴んできたところで、一部の人からは良く映らないのかなと、彼女の方はそれが良い方向で働いたのかなと。
仕事の上では彼らから見れば僕はつまらない人間なのかもしれません。これが舐められに発展したのかもしれません。しかし、僕自身と彼らの感情はまるで関係がないでしょう。問題は彼らは僕をどうにかしようとしてくることです。あの手この手で僕を変えようとしてくることに疲れてしまいました。
ただ、個人的に面白いのは仕事で上手くいっている時に彼女を求めてもできず、仕事が上手くいかなくなったこのタイミングで彼女ができたことです。
まとまった文章にならずすみません。
お久しぶりです。コメントどうもありがとうございます。
彼女ができてよかったですね。
おそらくですが、体育会系の人たちはとらさんに恐怖心を抱いてきていますね。ナメられていると言うよりも、負けそうなので先手を打ってきている感じです。
僕の経験で言えば「あの手この手で支配しようとしてくる体育会系天才詐欺師」の「鎖骨がティリティ」がその代表例です。
体育会系は序列が好きで、自分がその中の上の方にいないと「男を保てない」という構造になっています(サル山と同じです)。
で、先にアドバイス的な声がけをしておけば、実際に負けたときも「自分がアドバイスしてたやつが出世した」とでも言えますから。
力を抜くのが一番ですね。圧力をかけてきても暖簾に腕押し状態が一番です。
現在、仕事がうまくいかないのではなく、微妙に外圧のかかる過渡期なのだと思います。彼女さんができたのも、力がついてきた証だと思いますよ。
印象としては、仕事がうまくいかない時に~という感じかもしれませんが、全体的にうまくいっているので、外圧がかかり出したと言うだけだと思います。
本当にナメている相手には関わりすらしませんからね。
返信ありがとうございます。
実際に僕にも至らない部分もあると思います。しかし、今が過渡期という言葉は励みになりました。ありがとうございます。
暖簾に腕押しを心がけ、乗り切っていこうと思います。
再度コメントありがとうございます。
スッタニパータ風に言うと「音声に驚かない獅子のように網にとらえられない風のように水に汚されない蓮のように」という感じです。ガンガン突き進んでください。