規則

「規則は私にとっていつも例外よりも興味がある」― こう感じる人は、認識が広く進んでいる人であって、大家に属する。 曙光 442

規則というものは何のためにあるのでしょうか。世の中には意味のわかる規則と、意味のわからない規則、そして、ギムキョ(義務教育の成れの果て)な発想の規則と、タダのわがままの部類に入る規則があります。

「規則を守れ」と声高々に言うことはいいですが、その規則がどういう趣旨のものかもきちんと説明できないと、僕のような中学生などに相談室で数時間拘束されることになります。

規則的には合理性があっても、ギムキョなままだと社会では相手にされません。ギムキョなフィールドで通用するようなことでも客商売では通用しません。

息子の入学式と自分の仕事

以前、息子の入学式に出るからと、自らの職場の入学式に有給をはめた人がいました。

「その日に有給休暇を取得すること」が許されるか許されないか、という問題になった時に、規則に従えば許されるという事にもなりそうですが、会社でも繁忙期の有給取得拒否は合理性があれば代替日を用意して、という流れになっています。

答えは、「そんな奴に大切な役職を与えるな」ということです。

規則に従えば、それは当然に結構なことですが、融通のきかない人は管理職になれないように、なぜ重要な仕事を任せられないのか、ということを考えればすぐに分かります。

「今年は大事な行事の日にたくさん有給をはめるので、担任は辞退します」それくらいの責任感が必要です。

その責任感がない人は非常勤講師をするなど、世間で言う「演劇が忙しいから契約社員なんだ」ということをしなければなりません。責任感がないのに重要な役職にだけはぶら下がろうとしているスケベな心が変ですね。

役職を与える運営側の姿勢

問題はその人というよりも運営側です。そうした人に役職を与える運営側の姿勢が問題となります。

会社であれば役職を降りていただくというのが当然です。厳しい会社であれば、数週間の病休でも、その年度などは役職を外したりします。しかしそれは、合理的なことです。

重要な仕事をフルで活動してくれる人が、管理職などになれるのであって、特にその病休の人の人格を否定しているわけではありません。

どこの会社にでも、会社の繁忙期に有給をはめようとする人はいるでしょう。それが仮に合理的なことであり、仕方のないようなことであっても、利潤の追求が最大の目的の株式会社にあっては、よいことではありません。そんな人の有給取得を認めることはあっても、その人を出世させることはありません。

しかし、そのような人を重要な役職につけているのはなぜでしょうか。その人に関わる様々な人の気持ちも考えずに「母親として」と言うのなら、非常勤講師にでもなってもらえばいいのではないでしょうか。年功制度などという体育会系を採用しているから起こる問題です。

「仕事を休んで息子の入学式に行きたければ、その年度は講師になりなさい。その年に限っては担任をしてはいけない」

「降格する」それくらいの決断ができないようだと、組織のトップに立ってはいけません。

別に有給をはめても結構ですが、なんせ人に物を教える仕事ですからね。いつまでも居直るがいいでしょう。僕には関係ないことです。

規則 曙光 442

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

「規則」への2件のフィードバック

  1. アルバイト先にはマニュアルがあり、マニュアル通りを求められます。マニュアル遵守をしていかに早く仕事をこなせるかというコンテストもあります。
    現実では、全力でマニュアル通りにやっていても、仕事が間に合わないことがあります。そして怒られます。求められる結果を出すのが従業員の役目だとはわかりますが、結果のために過程であるマニュアルをすっ飛ばすと同じく怒られます。
    後から入ってきた従業員のロールモデルにもなるので、やはり細かいことには気を使って常に正しくオペレーションを守る必要があると思います。
    このようにダブルバインドをされた時どうしたらいいのかわからなくなります。何かいい方法はないでしょうか?
    私の中では、全力でやっているのだから、どうしたらより良くできるか反省はしても、怒られても問題ないかとなりました。

    1. ひとつの視点としては「責任の範囲」を捉えてみると良いと思います。
      例えば、マニュアルを遵守することで業務をこなすことが遅くなるということから生じる責任は会社側にあります。
      作業効率が悪くなって、回転率が下がったりすることの責任は会社側にあるので、追加で人を雇い人件費を負担するか、待ち時間の長さから顧客満足度が減り、それに伴い生じた売上の低下を受け入れざるを得ない、という感じになるでしょう。
      ということから考えると、ご自身の責任の範囲は、求められている形で業務をこなすということであり、作業効率の良さは二の次という求められ方をしているという感じで捉えることができます。

      という前提をおいた上で、どっちにしても両方求められるということであれば、会社があれもこれもと自分の都合を押し付けているだけとなります。限界まで高めた上で、まだ難癖を言ってくる場合は、論理矛盾が生じてくるという感じになりますからね。

      もちろん可能な限りマニュアルを守り、可能な限り早くするということを目指すというのは基本姿勢とはなりますが、物理的な限界を越えることもありますし、たいていは、マニュアルの遵守と効率性のどちらを選ぶかということに関し、現場の管理者は常に判断を迫られているような感じになっているでしょう。

      それでも、ある人はマニュアルの遵守を理由に能率の悪さを棚上げしたりしますし、ある人は効率性を理由に杜撰さを棚上げしたりもします。なので、一律には論じ得ないような感じになっています。

      というのが基本的な構造となりますが、マニュアルというものは、現場にいない人が「様々な想定できるリスクから考えたもの」を現場に押し付けているものであり、現場において、効率の悪いものは結構無視されたりしています。

      「お偉いさんが来たときだけ、マニュアル通りに業務をこなし、普段は現場の管理者も無視している」というケースの方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

      ちなみに勤め人時代は、「そんなくだらないものに関わってないで、中心となる業務をやってくれ」という感じで、マニュアル遵守のための言い訳書類作成のために、管理者が独断でパートの方を雇い入れていました。

      そんな感じで、うまくやりこなしてみてください。

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