芒(すすき、薄)です。イネ科ススキ属ですね。茅(かや、萱)とも呼ばれるようです。茅葺き屋根の茅ですね。他に茅とよばれるものには、チガヤ、スゲなどで、細長い葉と茎を地上から立てるイネ科ばかりのようです。夏から秋にかけて茎の先端に十数本にわかれた花穂をつけるようです。秋になるとお花屋さんにも並びます。野原に生息し、ごく普通に見られる多年生草本です。

芒(ススキ)
ススキの自生環境は、野原や土手などで、高さは1~2m。地下には短いがしっかりした地下茎があり、株立ちとなり、株元に多数の葉を根生させるようにつきます。多数の花茎を立てますが、花茎にはほとんど葉はつきません。
芒(すすき)の葉
ススキの葉は細長く、根出葉と稈からの葉が多数つきます。葉の長さは50~80cmで長線形です。ススキは、ケイ酸を多く含み、堅く縁はざらついて鋭い鉤状になっています(怪我をしそうですね)。地下茎は硬質で緊密に詰まった節が多く、節間から下に多数の丈夫なひげ根を出しています。茎はこの分岐した短根茎から出てきます。根茎の節から発芽するため、株はどんどん大きくなっていきます。

芒(すすき)株元に多数の葉を根生
株元に多数の葉が根生します。
芒(すすき)の花穂
花序は長さ15~30cmで放射状に多数の枝を出し、ゆるやかに垂れ下がります。夏から秋にかけて茎の先端に長さ20から30cm程度の十数本に分かれた花穂をつけ、花穂は赤っぽい色ですが、穎果(種子)には白い毛が生え、穂全体が白っぽくなります。穎果は風で飛んで様々な所に運ばれます。
芒を直に見ると凄まじく美しいといった印象を受けました。
たまたま通りかかった交差点で見たススキは、銀色に煌めいていました。
ススキの名称と種類
ススキの別名は、尾花、茅、萱、男茅(おとこがや)、乱草(みだれぐさ)、振袖草(ふりそでぐさ)、露見草(つゆみぐさ)、旗薄(はたすすき)など、たくさんの別名があります。
ススキとしても「芒」や「薄」と別の漢字が割り当てられています。ススキの漢名が「芒」であり、「薄」は日本読みで、漢字としての「薄」は、草むらや荒れ草を意味するようです。
日本に生息するススキの種類は、薄(ススキ)、常磐薄(トキワススキ)、八丈薄(ハチジョウススキ)、縞薄(シマススキ)、蝦夷薄(エゾススキ)や、紫薄(ムラサキススキ)、鷹羽薄(タカノハススキ)、ススキの変種である糸薄(イトススキ)などです。
常磐薄(トキワススキ)は別名、寒薄(カンススキ)、在原薄(アリハラススキ)と呼ばれ、冬でも葉が枯れない種類です。トキワススキの中にも、葉に縦縞を持っているものを縞寒薄(シマカンススキ)、葉の縁のみが白いものを陰寒薄(カゲカンススキ)、葉が細いものを、糸寒薄(イトカンススキ)と呼びます。
ススキの方言
ススキは、ただでさえ、尾花(オバナ)、茅(カヤ)などたくさんの呼び方をされていますが、さらに方言として様々な名称に変化しています。
オバナを筆頭に、テキリグサ、フキクサ、オバナカルカヤ、シノ、アオイ、カントーシ、ミミツンボ、その他沖縄では、イナビニ、ガイン、ギスキ、グシキ、グシチ、ゲーン、ゴスキなど沖縄だけでも多様です。
カヤの方言
ススキはカヤと呼ばれ、茅葺屋根として様々な地域で利用されたからか、「カヤ」の方言は非常に多いようです。
チガヤ、カヤギ、カヤゴ、カヤブ、カヤンボ、イチモンガヤ、イエフキガヤ、オトコガヤ、オニガヤ、オンガヤ、ススッカヤ、テキリガヤ、マガヤ、ヤガヤ、ヤネガヤなど、「カヤ」を変形・付加したような呼び方が多数あるようです。
指を切る「ガラスの鎧」の正体
ススキの葉でうっかり指を切ってしまった痛い思い出は、誰にでもあることでしょう。しかし、あれは単に「葉が硬いから」ではありません。ススキは土壌に含まれる「ケイ酸(シリカ)」というガラス質の成分を根から吸い上げ、それを葉の縁(ふち)に並べて鋭利なノコギリ状の結晶にしています。
つまり、彼らは文字通り「ガラスの鎧」を身に纏っているのです。これは草食動物に食べられないための強力な防御システムであり、同時に、細長い葉が自身の重みで折れずに空へ向かって立つための骨格の役割も果たしています。美しく風になびくその葉には、ガラス繊維で補強された、生物学的な工学技術が隠されています。
「草」が「建築」に変わるとき
野にある時は「ススキ」と呼ばれますが、刈り取られて屋根の材料になると「茅(カヤ)」と名を変えます。日本の原風景である茅葺き屋根が、数十年もの風雪に耐えられるのはなぜでしょうか。それは、ススキの茎が「中空(ストロー状)」構造になっており、優れた断熱材と通気材の機能を兼ね備えているからです。
一本一本は折れやすい茎も、数万本束ねられることで、雨水を毛細管現象で導き落とし、夏は熱を遮断し、冬は空気を抱き込んで保温する、究極の呼吸する屋根となります。枯れてなお、人間を守る家として機能する。その強靭さは、生きている時以上に、死して乾燥した後にこそ発揮されるのです。
「幽霊」に見間違えられる理由
「幽霊の正体見たり枯尾花(かれおばな)」。枯れたススキが幽霊に見えたというこの有名なことわざは、人間の恐怖心だけでなく、ススキという植物の特異な動きを言い当てています。
ススキの穂は、微風であっても複雑に揺れ動くようにできています。特に夜、月明かりの下では、白い穂が光を乱反射し、風の強弱に合わせて生き物のように不規則に踊ります。人間がそこに「不在の気配」や「あやかし」を見てしまうのは、彼らが風を可視化する装置としてあまりに優秀すぎるからです。その揺らぎは、私たちの脳が持つパターン認識のバグを突くような、神秘的な不確定さを孕んでいます。
「赤」から「銀」、そして「金」へ
私たちはススキ=銀色や白色と思い込んでいますが、穂が出たばかりの若い時期を観察すると、驚くほど鮮やかな「赤紫色」をしていることに気づきます。
これはアントシアニンなどの色素によるもので、強い紫外線から未熟な花粉や種子を守るための日傘の役割を果たしています。やがて種子が熟すと、綿毛が膨らんで「銀色」になり、最後は夕日を浴びて「金色」へと輝きます。尾花(おばな)という名の通り、その色の移ろいは、秋という季節が成熟していく時間をそのまま色として表現しているかのようです。
人間がいないと生きていけない「逆説」
ススキ野原は、放っておけば自然に維持されるものだと思っていませんか? それは大きな間違いです。日本のような気候では、ススキ野原はすぐに低木が生え、やがて森へと遷移してしまいます。
ススキがこれほど日本で繁栄できたのは、人間が「茅」として利用するために、定期的に草を刈り、野焼きを行って森になるのを防いできたからです。つまり、ススキは人間の生活とセットでなければ生き残れない「里山の植物」です。人間が利用しなくなった途端、ススキ野原が消えつつある現代。彼らの運命は、私たちの暮らし方と深くリンクしています。
イネ科
- イネ科チガヤ属 白茅(ちがや)
- イネ科キビ亜科エノコログサ属 エノコログサ(ねこじゃらし)
- イネ科ヨシ属 葦(ヨシ、アシ)
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