奇想天外(キソウテンガイ)

奇想天外(キソウテンガイ) ウェルウィッチア

奇想天外(キソウテンガイ)

奇想天外(キソウテンガイ)

奇想天外(キソウテンガイ)こと「ウェルウィッチア」は、アフリカ南部の西海岸、ナミビアからアンゴラにかけてのナミブ砂漠にだけ生息する1科1属1種固有種で、 グネツム目ウェルウィッチア科ウェルウィッチア属の裸子植物です。ナミブ砂漠の南北約1200km、東西は海岸より10kmから150kmの間にのみ生息し、最高齢は2000年程度と推測される個体もあり、非常に長生きな植物です。

ウェルウィッチアは、1859年9月3日に、オーストリアの探検家フリードリヒ・ヴェルヴィッチュ氏によってアンゴラ南部で発見され、4年後にジョセフ・ダルトン・フッカー氏によって記載されたようです(学名:Welwitschia mirabilis)。なお、ユリ科のオモトに似ていることから、和名で「サバクオモト(砂漠万年青)」と呼ばれることもあるそうです。

奇想天外(キソウテンガイ)は、一対の葉だけを伸ばし続ける特殊な植物で、葉は「乾燥した分厚い昆布」並に固いです。周辺地域で降った雨が地表に出てきて砂漠に流れ込んできた時にできる川の近くで自生しているようです。

奇想天外(キソウテンガイ)

奇想天外(キソウテンガイ)

奇想天外(キソウテンガイ)は、長い主根と広範囲に渡る海面上側根を持っているようで、地下水脈からどんどんと水を吸い上げるようです。

奇想天外(キソウテンガイ)の葉

奇想天外(キソウテンガイ)の葉

奇想天外(キソウテンガイ)の葉

乾燥昆布並みに固い奇想天外(キソウテンガイ)の葉。砂漠地域の植物に珍しく葉の両面に気孔があります。これにより大気中の湿気をも吸収しているようです。その一方、自生地域が極めて暑く、葉を冷却するためにということなのか、葉の蒸散速度は速いようです。

「生涯でたった二枚」という究極のミニマリズム

奇想天外(ウェルウィッチア)の姿を初めて見た人は、砂漠に打ち捨てられた古タイヤや、枯れた昆布の山のように思うかもしれません。しかし、その混沌とした見た目とは裏腹に、この植物の構造は驚くほどシンプルです。

発芽した時に出した双葉(ふたば)。たったこの「二枚」だけを、千年以上もの生涯にわたって伸ばし続けるだけです。新しい葉に生え変わることはありません。根元にある成長点から帯のように伸び続け、先端は風や乾燥で裂け、枯れていく。生まれてから死ぬまで、同じ葉を使い続けるという徹底したミニマリズム。複雑に枝分かれして進化することを選んだ他の植物たちを嘲笑うかのような、頑固な一貫性がそこにあります。

ナミブの霧を「飲む」知恵

年間降水量がわずか数ミリという極限のナミブ砂漠で、なぜこれほどの巨体が維持できるのでしょうか。その秘密は、大西洋から流れてくるベンゲラ海流が生む「霧」にあります。

奇想天外の葉には、無数の気孔(きこう)が存在し、朝霧が立ち込める時間帯にこれを開いて、空気中の水分を直接取り込んでいます。雨を待つのではなく、空気そのものから水を飲む。この吸水システムがあるからこそ、他の植物が生きられない不毛の地で、悠久の時を刻むことができるのです。彼らにとって、毎朝の霧は命のスープのようなものでしょう。

進化の果てにある「孤児」

植物分類学において、奇想天外はあまりに特殊な存在です。「ウェルウィッチア科ウェルウィッチア属」には、この一種しか存在しません。親戚がおらず、地球上でたった一種類だけで独立したカテゴリーを形成しています。

これを「単型(モノタイプ)」と呼びますが、いわば進化の過程で取り残された、あるいは独自の道を突き進みすぎた「進化の孤児」です。恐竜が歩いていた時代からその姿をほとんど変えていないことから、「生きた化石」とも呼ばれます。広い砂漠にポツンと佇むその姿は、生物学的な孤独そのものを体現しているように見えます。

鉢植えにおける「直根」との戦い

栽培家としてこの植物に向き合う時、最も神経を使うのが「根」の扱いです。乾燥に強い植物ですが、移植には極端な弱さを見せます。

地下深くまで水を求めて伸びる「直根(ちょっこん)」は、いわば生命のアンカー(錨)です。この根の先端を少しでも傷つけると、植物全体が機嫌を損ね、最悪の場合は枯死してしまいます。鉢植えで育てる場合は、深い鉢を用意し、一度植えたら安易に植え替えをしない覚悟が必要です。地上部の荒々しさとは対照的に、地下ではガラス細工のような繊細さを抱えています。

学名「ミラビリス」への畏敬

学名の Welwitschia mirabilis にある「ミラビリス」は、ラテン語で「驚異的な」「素晴らしい」という意味を持ちます。19世紀にオーストリアの探検家ウェルウィッチ博士が発見した際、あまりの奇妙さに「これは夢ではないか」と我が目を疑い、地面にひざまずいたという逸話が残っています。

2000年以上生きると推定される個体もあります。キリストが生まれた頃に芽吹き、ローマ帝国の興亡も、産業革命も、すべてを砂漠の片隅でただ静かに見つめてきた存在。その圧倒的な時間を前にすると、私たち人間の悩みなど、風に舞う砂粒のように些細なものに思えてきます。

枯れてなお美しい先端

葉の先端が茶色く枯れ込み、裂けていく姿を「汚い」と感じて切り取ってしまう人がいます。しかし、それは美学に反する行為かもしれません。

先端が枯れているのは病気ではなく、代謝の証です。新しい細胞が根元で生まれ、古い細胞が先端で死に、土へと還っていく。一つの個体の中で「生」と「死」が同時に進行し、循環しているのです。その枯れた部分を含めてこその奇想天外であり、そこにこそ過酷な自然を生き抜いてきた歴史(年輪)が刻まれています。

Category:植物

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