墜落の夢はかならず覚醒につながっている

「墜落の夢はかならず覚醒につながっている」ということで、墜落の夢はたいてい「寝ている時に足がつっただけではないか?」と思っています。

と、それは睡眠中の夢の話ですが、「夢が墜落すると必ず覚醒につながる」という点についてでも触れていきましょう。

「必ず」という部分は怪しいものがありますが、概ね何かに陶酔していたものの現実を突きつけられて撃沈すると目が覚めて精神が成長するということは人の人格形成でよくあることです。

そういうわけなので、酔いの最中であってもそれはプロセスの途中段階なのでまあご自由にどうぞという感じもしたりします。

勤め人の頃の営業の研修のようなもので、他エリアの先輩営業マンのような人が壇上に立ち、営業とはいかなるものかをご講演されていました。その時に一人ではなく複数人が壇上に並び自らの体験談を筆頭にお話をされるという場面がありました。

その中の一人が、「いやぁ。営業って恋愛と同じだなぁと思って」云々、酔っぱらいのような話をされ始めました。

まあ、云わんとされていることはわかりますが、

「そうですか、最近彼女ができたんですね」

という印象しかなく、まさに酔っているという感じがしました。ある意味強い変性意識状態です。

きっとご破綻になったりとか、ある程度期間が経過して酔いがマシになってきたときには「何であんな話し方をしてしまったんだ」と後悔しそうな感じです。

まあその研修はその場限りのものなのでまだいいですが、仮に上の人が動画を撮って一般公開はしないものの社内で活用するなんてなことになったら、ずっと頭を抱えなければならないことになりかねません。

さて、夢は現実味を帯びてきたり現実のものになるに従い、否が応でも醒めていきます。

稼げると思って夢を描いていたものの、稼げなかったり、「稼げるけどこれくらいか」というリアルが見えてきた時に、どんどんエネルギーは低下していきます。

しかしながら、そうしたリアルを知るにも現実の世界を見るための実際の体験が必要になり、その手前には、知らないことをやってみるということのためのエネルギーが必要になります。

それは夢という形で思い描くことで生まれたりしますが、再三お伝えしているように、そうした夢を他人に設定されてはいけません。

いずれにしても他人など外界からもたらされた情報によって形作られますが、ここでいう他人に設定される夢とは、マルチ商法を筆頭に「あまりに具体的で、プロセスが示されているようなものを避ける」というような感じです。

といっても夢を思い描く人の中には、やはり「何だかズレている」という印象を受けるような人もいます。

そうしたタイプの人達は概ね「自分の輝きやセンスで人を元気にする」という感じで思っており、冷静に客観視すれば独りよがり感がするようなタイプの人達です。

「原則的に人のお役に立たないと収益を得ることはできないですよ」

というような商いの基本法則を、クリエイティブにウルトラC解釈で、「自分が輝くことが人の役に立つ」というふうに思っている感じです。

そしてかつてならそれは独りよがりとしてあまり表に出ませんでしたが、実は数万人に1人程度そうしたものに反応する人たちもいて、現代ではそうした人たちと出会える可能性がインターネットによってもたらされたという感じになっています。

そうした流れは15年以上前から密かに起こっており、「私のブログに書き込む権利」という感じでそれを売っている人がいて、実際にそれに反応している人がいたりもしました。

それで成り立っているのならば、その人達だけで楽しんでもらえればと思いますが、聞いた話によると、その手の人が広告のようなものを出し、あまりにレスポンスがないことを広告屋の人にあたりだすということもあるようです。

「自分は輝いているはずなのにレスポンスがないということは、広告屋のミスだ」という感じです。

まあ広告屋さんとしても、その仕事をしたかったわけではないでしょうし、無理に売り込んだわけでもないようでした。

向こうからやってきて、無下にするとキレてきそうだったので一応仕事として受けてみたという感じです。

そうしたタイプの人の話を聞くと、やはり「何だかズレている」という印象を受けます。

そこまでくれば「墜落している方がいい」とすら思ってきます。

Category:笑う月

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