不遜

不遜とは見せかけで偽りの誇りである。しかし誇りにまさしく特有な点は、それが遊び事も、偽装も、偽善もできないし、願いもないということである。― その限り不遜とは、偽善の才能のない偽善であり、非常に困難なものであり、大ていは失敗するものである。 曙光 291 前半

不遜(ふそん)、つまり思いあがりであり、へりくだる気持ちのないこと、これを意図的にそのように演出している様子は、滑稽なものですが、こちらは自然体でいるのに、「おい君、遜り給え」と主張してくるタイプの人がいますね。

昔はよく「お酌してまわれよ」と言われたものですが、今ではほとんど年齢を勘違いされるので、「される側」です。

しかし丁寧にも断り逆にその役を引き受けたり、手酌にすることにしています。

そうでないと、勝手にしてきてくれる人はいいですが、「若いからお酌にまわらなくては」と思ってアチラコチラにまわっている人はいつまでもその場で落ち着くことができません。会場の従業員でもないのに、仕事のような空気感になるのはもったいないでしょう。

宴会の空気感が変になる

先日、宴会の席で自分よりさらに若手の方が隣にいたのですが、「どこかに醤油はありますか?」と聞いただけで、その若手の方の向かい側の方が、「言われる前に気付け!」と、少し怒り気味だったということがありました。

なんだかんだですぐに立って自分で探しに行ったのですが、隣の若手の方も立って一緒に店員さんを呼びに行くという変な現象が起こりました。

そういう空気感が変だったので、「そういうのはやめましょう」と怒りだした方にチラッと言っておきました。

不遜とは、こういう場合に「自分がやるべきなんだろうけど、やってやるもんか」というような気持ちです。

別に代わりにやる必要はありません。

しかしその行動のきっかけが、若手だからなど、そういう理由である必要はどこにもありません。

むしろ怒ってばかりいて、誰かに命令のようなことをする態度をとるくらいなら、自分でやればいいことです。

元の意図は相手の喜びである「気遣い」や「もてなし」

元々醤油を取るということに関しても、気遣いやもてなしのようなものであり、その意図するところは相手に喜んでもらったり気楽にしてもらうことです。であるなら、「言われる前に気付け!」という怒りは本質とは逆行しています。

言われる筋合いのない関係性

自分はしないのに命令をする、それは会社の中では「自分の代わりに何かをやってもらう代わりに賃金を渡す」「誰かの頼みをきいて行動する代わりにお金をもらう」という関係なのでいいですが、別会社の人にやってはいけません。また年齢や会社の年数などで態度を変えるのも変です。会社の中であっても勤務時間外ならそんなことに応じる必要はありません。

相手のためでもないような「礼儀」

スーツを着ることが礼儀というのも長い歴史の中でまだ100年位の文化でしょう。着ることがイコールで礼儀というのもただの思いこみですが、あえて外すというのも一種の執着です。

個人的にはカジュアルな服を着て、相手が怪訝な目をしている時間がもったいないので着ているという理由があります。つまり相手を苛立たせない配慮に近いような理由です。相手はそう思い込んでいるのだから、その思い込みを外してあげる時間がもったいないということです。

ただ、スーツにしてもどうせ着るなら、調和という意味で綺麗に着た方がいいでしょう。個人的には真夏でも必ずネクタイをすることにしています。理由は胸元のスカスカ感が不調和に見えるからです。

相手が気にしない人であれば、おそらくスウェットかジャージで行くでしょう。ジーパンは固くて重くてやってられません。それに腹が冷えますから。

不遜 曙光 291

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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