ヒステリーへの憂い

世の中の歪み、苦しみの八割は「誰かがヒステリーを起こすことを予防しようとすること」から起こっているのではないかと思っています。

DVやブラック企業はわかりやすいですが、そこまでいかなくても、「目的のためには論理が破綻していても意見が通るまで押し切る」というヒステリーを成功法則にしている人たちの、ヒステリーを見たくないからと、周りが変に合わせているから起こっているのではないか、ということです。

相手は普通の一人の人間だからということで、一応話を聞いたりもしますが、実際は、何かしらの障害に分類される人たちが、情熱的に意見が通るまで押し切るものだから、相手はそういう勢いに飲まれるというか「そうしたヒステリーを見たくないからと理不尽なことを受け入れてしまう」ということから、変な構造になっているのではないかと思っています。

激しくヒステリーが生じている時はもちろん、そうしたことが再度起こらないようにと気を使っているというような感じで、歪みが歪みのままになっている気がします。

ある程度合わせていると、そういう人たちは、相手を勝手に理想化します。そしてそれから少しでも外れると気が狂います。

そういえば最近、ちょっと怪しい系の人たちにキレられたり、そっぽ向かれたりします。どう怪しいかと言うと、障害があるのではないかというような人たちです。

で、相手も一人前の人間だからと言い返したりもするかもしれないのですが、最近、僕はそうしたことを一切しないんです。

なぜならそういう人たちは、自分の意見が通るまで、どんな手でも使うから。

そしてもし議論に勝っても何の実りもないからです。

勝手に論理空間を自己完結して、理想化して、それと合致しないとヒステリーを起こすんです。

そして他責思考です。

でも問題はもっと手前にあります。

自分がうまくいかないんです。

自分がうまくいかないのを、他人のせいにするのが好きなんです。

だから成長がありません。

そういう意味でも発達に障害があるんです。

それはそれで仕方ないと思う人もいるかも知れませんが、そんなヒステリーモンスターが普通の人に混じって社会の中にいるんです。

で、周りは圧倒されます。

ただ、僕はそれを非難することはありません。関わりたくもないですが、そんな時にはミルトン・エリクソン氏になります。

相手の怒りを受け止めるのではなく、自分が相手の怒りをコントロールして調整するということをやることもあります。つまりこれは、意図的にもっと怒らせるということもやるということです。単に去るだけの時もあります。

一方的にぶつけられているだけでは、嫌になると思います。

どうにかしようとも思いませんし、どうにかしてあげようとも思いません。

相手は選択肢も少なければ、さらに制限されていて、自分で操作することもできないことにヒステリーを起こしているのですから。

情報を与えたり論理で攻めれば解決する場合もありますが、基本的にはそういう問題ではありません。

ただ、別に相手にする必要もありません。

「どうにかしなければならない」

と思うと、問題が問題となります。

問題が問題となった時、相手にコントロール権を渡しているような格好になってしまいます。

そんな事に気づいた時、自分の中の遺伝子の何かのスイッチがオフになったんです。

いろいろな人が色々と教えてくれました。

たとえば、幼稚園の運動会に行った時に、弟か妹を見に来ていた小学生男子です。両親の負担をいかに軽減させるか、自分に今できることは何か、ということで両親の様子を何度も確認している様子が沁みました。

ミルトン・エリクソン氏の本も良かったですね。

ヒステリーを避けることに意識が向くと、実力の10%くらいしか出せなくなります。

何と言うか、不器用になりますね。

あらゆることを自然にゲームのように楽しむのに一番適している感覚は、海外から帰ってきた時の感覚かもしれないということを思い返すことがあります。

何となく言葉か通じない中でも、何となく色々とできたなら、言葉の通じる日本では何でもできるだろう、というような感覚です。

いつも身の回りにいる人の空間から離れて、多少の危険にもさらされながらというのがいいのかもしれません。

Category:miscellaneous notes 雑記

「ヒステリーへの憂い」への2件のフィードバック

  1. 今回の文書も大好きです!言葉のプロテインでした。
    私もミルトンのように常にα波で生きたいなと思いました。
    ミルトンって幼少期の障害の経歴とそれを自己治癒した経験から体性感覚が並はずれてて、当時の誰よりもα波優位のヒーラーだったから勝手に相手も催眠にかかるみたいな感じだったんですかね?小手先のテクニックもあると思いますが。

    ありがとうございました。

    1. コメントどうもありがとうございます。
      もちろん脳波とホメオスタシス同調という面もあると思いますが、彼は相手の情報状態が見えていたと言うか、仮に物理的な表現をすれば、脳の中の状態や伝達の動きが見えていたのだと思います。
      これもイメージですが、ある言葉をかけた時、もしくは相手がその言葉を使った時に「どのような尖りが出るか」というところをみて、その周辺に楔を打って、方向性として別のルートがあることを自ら気づくように誘導するというような感じが多いと思います。

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