「人を褒めよう」ということが囁かれ、それがだいぶ蔓延してきました。「ほめる」という行為がレイトマジョリティにも浸透してきたということですが、かなり気持ち悪くなってきています。
それは保険屋のような胡散臭い営業系がやたらと研修名目で「なるべくたくさん褒めよう」などと布教しているからですが、褒められる側で繊細な人はかなり嫌がっているようですね。
「ほめる」という策略
「褒めるといいんですよ」
「どうせなら歯の浮くようなお世辞がいいんですよ」
なんてな感じで吹聴されていますが、彼らのそれは裏を返せばそれは「ほめること」で意識のガードを緩めさせ、自分たちの都合の良いように事が運ぶようにと言う策略でしかありません。
無理がある「褒め」
以前、社長同士の集まりがあって、仲のいい人と二人で話し込んでいると保険屋が割り込んできました。それはそれでいいのですが、僕たち二人の会話を聞きつつ、二人のうちどちらかを交互に褒めだすのです。
「元から経営者としての素質があったんですね」
「それを分かっている人は稀ですよ」
僕は変人ですからひとまず置いておいたとしても、確かにその時に話し込んでいた人は確かに「それをわかっている稀な人」であることには間違いないのですが、喜ぶこともなくまた、嫌がることもなくただ聞き流していました。
そういう系の本には「喜ぶこともまた相手を喜ばせる」というようなことを説こうとします。それは一理あるのですが、そういう茶番からは早く脱出することです。
「褒め」が効いているかどうかの確認作業
無理して褒めようとしていることがバレていないと思っていることが情けない。悲しくなります。
およそそれまで人のいいところも自然に感じることなく最近「ほめる人」デビューをしたのでしょう。そして安物の理論に翻弄されている姿は見苦しいとしか言いようがありません。
「褒め」が効いているかどうかを読もうとしているのもこちらにはわかります。いままでそれほど鈍感に生きてこられたならよかったのかもしれませんが、僕はどうもそういうわけにはいかなかったので、相手のスケベ心など筒抜けです。
相手に一切関心が無いよりはマシかもしれませんが、お寒いことには変わりありません。
そしてその会合が終わったあと、その「褒められていた側」の人は
「ああいうの寒いですよね」
と漏らしました。
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