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実は英会話を8年ほど習っていたのですが、未だに中学生レベルです。
今までネパールやイスラエルなど数カ国を冒険に出ていますが、僕が初めて海外に行ったのは19歳の時でした。
海外に行きたいけどなかなか踏み出せず、全力でくすぶっていた時のことです。
英会話のレッスン中、先生が突然聞いてきました。
「海外に行ってみる気はあるの?」
「行きたいですね!」
「じゃあいつ行くの?」
「いやぁ、とりあえずお金が貯まってから」
「いつまでにいくら貯まったら行くの?」
「そうですねぇ・・・2ヶ月後くらいですかね」
「じゃあ2ヶ月後に行くのね」
「いや、貯まりしだいということで」
「2ヶ月後になったら、また、その1ヶ月後、2ヶ月後とか言うでしょ?」
「いやぁ・・・」
「今すぐ決めなさい!」
「今すぐ・・・ですか?」
「行きたいっていう人は多いの。でも本当に行く人は少ないの。まだ未成年だから国によってはいろんな制限があるかもしれないけど、治安のいい国でいいから今すぐ、いつ、どこに行くのか決めなさい!」
僕が決めなかったら、勝手に航空券をとってきて、目隠しされて空港まで運ばれそうな気迫でした。勝てるはずがありません。
思えば、何をするにもぐずぐずしていた当時の僕に対して、とっさに決断できる強い人間になって欲しいという愛情だったのでしょう。
「ア、アメリカに行きます!1ヶ月後に!」
よくわかっていませんでした。理由はどこにもありませんでした。
「じゃあロスにする?ニューヨークにする?ハワイでもいいよ。ハワイなら安全だね。でも、日本人ばっかりのワイキキはダメ」
「ハワイに行きます」
「来週のレッスンまでに航空券の価格を調べてきなさい。お金が足りなかったら貸してあげるよ」
もう、断ろうにも断れない状況でした。でも、自分の胸は非常に高鳴っていました。
それから、すぐに航空券をおさえて、なけなしの貯金を叩き、滞在中の費用をまかなうために日雇いのバイトもやりました。航空券と滞在費として20万円。それまでの僕の中では、一番高い買い物だったかもしれません。しかもたった10日程で消えてしまうのです。土産物は別として、形は何も残りません。10代、何とかアルバイトして稼いだお金です。仮に時給が800円だとしたら、250時間分の労力と交換するわけです。
当時の僕にはそれがすごく恐くて、それでもそれ以上の何かがもたらされることに期待を膨らませながら、19歳の僕は、英会話の本と、レッスンノート、分厚い辞書を片手に、単身常夏の国へと向かうことになります。
ガクガクブルブル震えながら。
Waikiki
期待に胸をふくらませた僕は、右と左をキョロキョロ見ながら、非常に怪しい出で立ちでホノルルに到着しました。
航空券をとった時に、出入国カード記入代行という項目を、わけも分からずチェックしてしまったので、3000円ほど価格が上がってしまったまではよかったのですが、手荷物と預ける荷物の区別もわからずに、大きなカバンの方に出入国カードを入れてしまい、結局、隣り合わせた心優しいアメリカ人に教えてもらいながら(日本語です)、機内で書いたのを覚えています。
僕が滞在先に選んだのはオアフ島の東沿岸部に位置するカイルアという街でした。
カイルアは98年にアメリカで最高のビーチとされたカイルアビーチなど、美しい海を持つ街です。
―
ひとまずワイキキです。まず、ホテルを探すため、タクシーに乗り込みました。地図を出して指し示せばなんとかなったので、まだ英語は使っていません。
こうなったら「一度も英語を使わずに帰るのも面白いかもしれない」などと思ってしまいます。
着いた先は、玄関が完全に解放されていて、玄関のドアがない仕様でした。
早速、アロハシャツを着た受付の方に声をかけます。
早速、通じません。
・・・・
いきなり説教モードになった受付の方を、奥にいた支配人さんとおぼしき方がなだめられ、パスポートを確認して、何とか部屋までたどり着きました。
・・・
「・・・大丈夫だろうか?」
大丈夫とか大丈夫ではないとかいう問題ではありません。
意思が通じなければ何をしにきたのかわかりません。
そんな時、部屋のトイレがいきなり詰まっていたのです。
・・・
行くしかない。
必死で英会話の本と辞書で調べました。無駄にロープレなんかもしてみました。ガクガクブルブルしていました。
思い切って受付まで行って、話してみました。
1秒間の沈黙がありました。受付の方は一瞬理解できず、空の方を見ていました。
そして「ああ」という感じで「すぐに部屋に行きます」と、返してくださいました。
・・・
よかった。
思えばトイレが詰まっていたのは、「一度も英語を使わずに帰るのも面白いかもしれない」という考えに対しての戒めだったのかもしれません。
それからというもの、3点セット(英会話の本、レッスンノート、辞書)を片手に、オワフ島を巡る自信がつきました。
―
そしてその夜、ホテル予約についてきたディナーサービス券を片手にチャイニーズレストランに向います。
そこでまた、事件は起こるのでした。
「中国人か?日本人か?」
「日本人ですよ」
「これは2人で来た場合のセットだ。君は1人だから、違うメニューになる」
???
1人前にしてくれたらそれでいいだろう、と思いながら、何が出てくるのか楽しみにしていたら、焼き飯だけでした。
トイレ事件のあと妙に自信のついていた僕は、食ってかかりました。
若者だから、日本人だから、観光客だから、どんな理由かはわかりませんが、鼻で笑うスタッフに異常なくらい腹が立ちました。
「作ってくれた人には申し訳ないけど、いらねぇよ!」
といって(もちろん辞書で調べました)立ち去りました。
平気でこんなことをする人も世の中にはいるんだなと。
―
早急に部屋に戻りたかったので、おにぎりを買うことにしました。
1ドル60セント。当時のレートは117円ほどでしたので、異常なくらい高く感じました。でも最高に美味しかったです。
何も海外に来てまでの初日のディナーが、おにぎりでなくてもよかったのですが、日本人であることを確認したかったのかもしれません。
―
そのような具合で、なんとか一人旅初日を終えるのでした。
Pearl Harbor
モアナルア・ガーデン・パークにて、「この木なんの木」がモンキー・ポッドと言う名称であることを確認した後、バスに乗ってパールハーバーに向かいました。
あまりに挙動不審な僕に、あまりにファンキーなアロハシャツの運転手さんが、所々で観光案内してくれつつ、紐で「降ります」のベルを鳴らすらしいことを教えてくれました。
「シンプルなの最高だぜ!だからバス代が安いんだ!」
記念館らしき所をぐるぐる回った後、「なんか、単なる観光だな」と、急に面白みがなくなって、バスで来た道を少しだけ歩いて帰ろうと、海岸沿いをゆっくり歩き出しました。
途中、軍隊の方に尋問されました。
「なぜ、君はこんな所を歩いてるんだ?」
夕暮れ、土埃の舞うただまっすぐ続く道の真ん中で、「どうしても持ってきたい曲」のひとつ、「終わりなき旅」を取り出しました。
汗だくのシャツに、土埃にまみれたスニーカー。
夕日がすごくきれいでした。
その時、ふと思いました。
「言葉がはっきりと通じない状況でもなんとかなるのに、言葉がちゃんと伝わる状況で、僕は何を恐れているんだろう」
スーツにネクタイ、革靴でいる時でも、この時の気持ちを大切にしています。
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