ストレンジ カメレオン
いくら歳を重ねたとしても、 時代が変わろうとも、 この曲を頭から離したくない。 この体から、 心の奥底から、 離すわけにはいかない。 何年たってもこれは揺ぎ無い。 全てに変化が訪れる事は避けられない。 環境も状況も 感情も理念も 主義も主張も 身体も感覚も この世に溢れる全ての価値も それでも、 それに逆らうことが愚かだとしても、 死ぬ間際に桜井のように全力で歌いたい。 心の奥底から冷や汗と涙が湧き溢れる。 出し惜しむことなく全力で走ることができる。 そんな気がする。 明日のことを考えて、 来年のことを考えて、 遠
ハイブリッド レインボウ
虹を見るとすごく晴れやかな気分になります。 たまに家の表の水道のホースの先についているシャワーを「霧モード」にして虹を作って遊んでいます。 確かに見えるのに、そこには色鮮やかな虹が見えるのに、それを掴むことはできない。 水を止めた瞬間に、それは何事もなかったかのように消える。 まるで「空」を表しているようです。 以前、ゼミナール(一応法律系)で、「このコップはありますか?」と質問されたことがあります。 「君なら『ない』もしくは『あるともないとも言えない』というかも知れないと思って質問してみたんだが」 というフリ付き
Our love and peace
昔、新京極通りに「わぁ!」とピースマークの飾り物をいきなり見せてきて人を驚かせることを生きがいにしているおじさんがいました。 Bボーイみたいな人にそれをして、「心臓止まるかと思ったやろこら!」と胸ぐらを掴まれていました。 最近は全く出没しないそうです。 ― 平和というのは、どういう状態のことをいうのでしょうか。 ともすれば、社会的目線で考えてしまいがちですが、結局個人の集合体が社会です。 愛にあふれるようになると、自然と喧嘩も起こらないのではないでしょうか。 唯物論が好きな人は、社会学的に物事を見ます。 しかしはっ
LITTLE BUSTERS
トルコのレストランで昼食をとっていると、その前の大通りを盲人が通っていきました。 レストランの店員は少し走りながら、彼に近付いてその肩を抱いて、次の交差点まで彼を誘導しました。 そして走って戻ってきて仕事につきました。 「できる範囲でやる」 いい手本を見せてもらった気がします。 With the kids sing out the future Maybe kids don’t need the masters Just waiting for the little Busters ネパールのカトマンド
カーニバル
一般的には祝祭、祭りという意味になるようです。 でも最近では「フェスティバル」が多用されることが多いと思います。 その理由は、「フェス」と言いたいから。僕は寒気がしますが。 祭りの中で一番印象づいているのは、ネパールに冒険に行った時に訪れたダクシンカリのカーリー祭です。 ダクシンカリ カーリー祭 ネパールに滞在している時です。 ダクシンカリという町でヒンドゥー教のカーリー神を祀る生贄の儀式があるようで、現地の人に連れて行ってもらいました。 「ダクシンカリに行ってみるかい?祭りがある」と。 「ぜひ、行きたいです」 「
この世の果てまで
19 実は英会話を8年ほど習っていたのですが、未だに中学生レベルです。 今までネパールやイスラエルなど数カ国を冒険に出ていますが、僕が初めて海外に行ったのは19歳の時でした。 海外に行きたいけどなかなか踏み出せず、全力でくすぶっていた時のことです。 英会話のレッスン中、先生が突然聞いてきました。 「海外に行ってみる気はあるの?」 「行きたいですね!」 「じゃあいつ行くの?」 「いやぁ、とりあえずお金が貯まってから」 「いつまでにいくら貯まったら行くの?」 「そうですねぇ・・・2ヶ月後くらいですかね」 「じゃあ2ヶ月
Vain dog(in rain drop)
勤め人だった時です。営業先というか、手続き先に最初に出てきたのが挙動不審な若い人でした。 そして決定権者である女将さんみたいな人が出てきました。 そうするとその若者は、急に横柄になりだしたのです。 おそらくメダカか何かの仲間でしょう。 群れて初めて強気になる。というか後ろ盾ができた瞬間、強気になる、非常に見苦しい姿を見ました。 遠くから叫ぶだけ むしろ反対に独りで叫ぶのも虚しく感じます。 でも、抱きしめたくもなります。 感情的なことが絡む局面で、叫んで相手の行動は変わったとしても、それは後味の悪いものです。 何もで
巴里の女性マリー
巴里の女性マリー… 巴里(パリ) えー、 。。。 行ったことがありません。 マリー 。。。 えーっと 。。。 知り合いにはいません。 自分で決めたルールの割に、既に窮地に立っています。 巴里の女性マリーか。。。 どうですか、このグダグダ感。。。 巴里の女性マリー 『巴里の女性』(パリのじょせい、原題:A Woman of Paris)は、1923年公開の長編サイレント映画。監督、脚本、製作はチャールズ・チャップリン。 一気に逃げてみました。 映画なんですね。今知りました。 今度観てみようと思います。 SYNCH
Funny Bunny
うさぎは軽薄だという意見をたまに聞きます。 そんなことはありません。 非常にわかりにくいだけで、かなり感情豊かなことは確かです。 吠えたりはしないのでわかりにくいですが、喜怒哀楽はすぐにわかります。 うさぎも鳴きます。 ぷぅぷぅぶぅぶぅ鳴きます。 媚を売るようなことはしませんが、鳴いて僕を呼びます。 そんなうさぎの姿はなかなか見れないでしょう。 葉束 うちには養子のうさぎがいます。 正確な誕生日はわからないのですが、一応養子入りした日を毎年祝っています。 プレゼントの代表格といえば花束ですが、うさぎ用なので「葉束」
RUNNERS HIGH
「このままの勢いが続けばいいのに」 そう思って、続かないのは寝るからです。たくさん寝ると、気分が大きく変化します。特に大酒なんかを飲んで、昏睡なんかするとそれまでの勢いはだいたい失速します。 気分にとらわれている間は、絶対に続くことはありません。 大きく気分が変わる出来事があればしなしなヘタっていきます。 ― 一時期、休みが「月に一度あるかないか」、という時期がありました。 半年から一年くらい続いたのですが、ある時夕食を摂ろうと座った瞬間に上半身が激しく震えだしました。 そのまま蹲り、天井を見上げることしかできませ
ray
未だに大人にはなったのかどうかはわかりませんが、彼らの音を聞くといつでも少年に戻れる気がします。 どちらかというと、「周りは全て敵」みたいな中学生のような気分ではなく、周りの同級生も大人も含めて全ての人に全幅の信頼をおいていた、まだ自転車に乗れるか乗れないかくらいの足のおぼつかない遠い昔。 家の前に呼びに行くだけで、そこには友達がいつもいて、おしゃれではなく熱中症予防のためのキャップと水筒とリュックを背負って、彼らと一緒に旅立つまだ見たことのない世界見るための冒険、にワクワクするような感覚。 そこには財布も地図もい
いつかはすべてがナツメロ
流行らそうと思って流行らせたものは、後に寒気を催します。 そして時代時代で流行ったものにとらわれていると、「若者」に笑われます。そしてあげく「最近の若いやつは!」ということになって、「お面倒」になってしまいます。 昔のものでいつまでも評価されるようなものは、たいてい時代を意識しなかったようなものです。 「最近はこの作り方が流行っているから」 そんなことを一切考えずに作られたものは結局いまでも再評価されたりします。 よくメジャーデビューなんかすると、それまで英語で曲作っていたのに、「日本語で曲を作ってくれ」と会社に命
アイドル志望とハイスタンダード
ちょうど昨年の今頃、大阪にあるライブハウスに行った時のことです。 僕が観たかったアーティストの後の順番に、女の子が3人出てきました。 パフュームなどを歌って踊りだしたのです。 キレイにフライヤーなんかも作って、さらにグッズなども売り出していたのです。 疑問1 この人たち何? 疑問2 この人たちと一緒の日のイベントに僕の好きなアーティストとブッキングってどういうこと? 疑問2は特に触れません。経営が苦しいのでしょう。 この人たち何? 僕はアイドルに興味がありません。 むしろ芸能人にも興味がありません。 テレビなどを観